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武家の男が刀を抜く代わりに、懐から取り出したのは扇子だ。
親骨がきらりと輝く鉄扇。
まずは肉薄して来た一人目を足払い。その肩に鉄扇を打ち付け、背後に回って肺の後ろを蹴り飛ばす。
間髪入れずに突き出された二人目の小柄を避けて、一端後ろに跳躍。迫る二撃目の伸びる腕を己の腕で絡めて捻り、がら空きの腹を踏みつけた。
崩れる体の頭頂部に、扇を叩き込む。
「痛そう」
「うむ」
里衣と商人は互いの顔を見合わせた。そうしてお互いの頭の天頂を見つめてから、撫で撫で。
頭を殴られたことがないわけではないが、あんな音が鳴るなんて初めて知った。
「鼠。刀の錆とやらはどこへいった」
「あれ、抜いてよかったぁ?」
「やってみろ、この場で斬り伏せる!」
「いやぁ、どうやって」
倒れ伏す男たちの中心で、武家はからから笑って刀の柄を叩く。
いや、一人足りなくないか?
里衣の体が宙に浮いた。商人が里衣の体を抱き上げて跳躍したのだ。二人がいた場所に走る、銀光。
どうやら最後の一人は境内を回り込んで、里衣たちの背後に回り込んでいたらしい。狙いを外した男は、小柄を突き出した体勢のまま歯噛みした。
「鼠ぃ、あと一匹!」
「頑張れ」
「せめて刀返せ!」
「頑張れぇ」
里衣を抱く腕が震えたように思う。多分、怒り故だろう。ただ、見上げた顔が無表情であったことは…むしろ恐怖を煽る。
商人は里衣を守るように片手で抱えたまま、もう片方の腕で腰に吊り下がった印籠を引きちぎると、相手に向かって投げつけた。
男の顔にぶつかったそれは、粉状の中身をまき散らす。まともに被った男は寄声をあげてその場に倒れ、もんどりうった。
苦しそうに目を覆い、喉を抑えと忙しない。
「毒?」
武家が、「えげつねぇ」と舌を出した。
「貴様のような連中のせいで、最近食欲が薄くてな。あれは薬研堀で貰ってきた漢方よ」
「かんぽう」
「蕃椒」
「ばん…唐辛子!!?」
なるほど、えぐい。
げっふ、ごっふと咽込みながら喉をひっかき、目を真っ赤にして涙を流す様は、悪党でも同情を覚える。
投げた当人は、「あれだけは肌身離さずにしておいてよかった」と満足げ。
とはいえ、助けられた事実は変わらない。里衣の頭はのぼせ上がったままだ。体は未だ丁寧に、商人が横抱きにしてくれているのがなお嬉しい。
「あの、ありがとうございます」
「いいって、いいって」
武家は快活に笑う。あまり武家らしくない様である。この人たちは何者だろう、と里衣は思う。きっと素晴らしい人たちなのだろう。書物の中だけと思ったこの出来事。
なんと素晴らしい出会いか…と里衣は感動した。
大門を飛び出して暫くは不安が凝っていたが、外でこんな出会いがあるのならば、やはり未来は明るい。そうだ、二人の家のどちらかで、雇ってもらうことはできないか。付き合いをこれで済ますのはあまりに寂しい。
二人共もなかなか身なりもよさそうだ。
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