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「御用だ、御用だ」と闇夜に響く声が境内の外から、そして内側へ入ってくる。笛の音、草履が砂を踏む音、そして無数の提灯明かりが、三人を取り囲んだ。鉢巻を巻いて、十手や縄、梯子を手に持つ彼等は町方役人だ。
「ふむ」
重く頷いたのは商人だ。彼は里衣を抱え武家の方を睨んだまま、一歩、二歩と自分達を囲む役人たちの方へ。
「俺が貴様とただ鬼ごっこに勤しんでいたと思うなよ」
「ま、そうでしょうねぇ。もちっと遊んでいたかったなぁ」
「馬鹿言え、これまで十分遊んでやったわ。もう骨休みといこうではないか。鼠よ」
「全くアンタは面白みのない。ほんと犬だねぇ、根っこから公儀の犬」
鉢巻頭の中から一人、陣笠を被った物々しい武家が出て来て、商人の隣に並び、武家と商人とを交互に見た。
「何やってんだ、あんた」と、その顔にでかでかと書かれている。
「せめて私の刀を」
「後でいい」
商人はちょっとだけ叱られた子供のような顔になった。
恐らく、追い込まれる側であろう武家は、しかしどこまでも余裕笑みが崩れない。商人の片手が挙がる。
「俺としちゃあ、湯屋で大事な刀と着物盗られるような間抜けにだけは捕まりたくないですねぇ」
「その盗人が、よくも言う」
挙げた手が、振り下ろされる。役人たちは獲物を握って、武家に肉薄した。
武家は武家で、からから笑うと自分の方からも役人たちに向かっていく。一瞬慄いた役人の一人、その肩と頭に手をかけて乗りあげ、さらに別の役人の肩に足を、次いで別の役人の頭にも…。
ほい、ほい、ほい。
軽業師も目を見張るような身軽さで役人たちの上を渡り、彼等の獲物である梯子を上って境内の上へ。境内から近くの木の上へ、そこから塀の向こうへ…。
向こう側に飛び降りる瞬間、彼は鉄扇をこちらに投げつけた。
砂利に刺さってこちらに向いた扇紙には、流暢な線で描かれた鼠の絵と文字――『鼠小僧、参上!』
「鼠ぃっ!!」
あっはっは。
風が、彼の声だけをいつまでも残していた。
「か、刀っ。則宗!兼定~!いやぁ~!!」
「落ち着け、仁ノ介。明日にはどっかの質屋だ」
「いやぁ~~」
商人が陣笠姿の役人の肩を叩くが、彼はその場に倒れ伏してしまった。えぐえぐ、咽び泣きまで聞こえて…事情は分からぬも、里衣は憐れみを覚えた。
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