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匂い
先輩の家は本当に近かった。
5分位歩いたマンションの最上階。
カードキーでオートロックを開け、先輩が部屋に入る。
「さぁ、立ってないで!入って入って。」
促されて恐る恐る中に入る。
「俺さ、コイツと一緒に先入ってきちゃうから。悪いけどちょっと待ってて。」
そっと後ろからついて来た私を余所目に、先輩はリビングの電気をつけ、ガチャガチャと服に入っていた荷物を乱暴にテーブルの上に置き、逃げ回る猫をバタバタと捕まえて、浴室に行ってしまった。
「…。」
ジャーっとシャワーの音がし始め、時折ニャーっと子猫の鳴き声が聞こえる。
「…。」
私は荷物を腕に抱きかかえたままリビングに突っ立ったっていた。
今さっき起きた出来事が走馬灯の様に蘇る…。
なんとなく押されてついて来ちゃったけど、やはり断るべきだった…。
自分の軽率な行動を少し悔やんでいた。
…………。持っているカバンをギュッと抱きしめる。
広いリビング…。
とても大学生とは思えない豪華な家具。
いったいこの人は何なんだろう…。
ピーーーーーーーーッ
ガチャ!
!!!!!
廊下の先から鍵が開いた音がした。
「おーい、直哉〜。何で電話出ねーんだよ!」
ドアが開き男の声がする。
!!!!ヤバイ!どうしよう!!!
焦ってあたふたと辺りを見渡したが、ドスドス足音が近づきあえなくリビングの扉が開く。
ガチャ。
「えっ??…女。」
見つめ合う私と男…。
「…こ…こ…こんばんは…。」
……………………。
沈黙が流れる。
「ねぇ!この子にめっちゃ引っ掻かれた〜!あはははは〜。
わぁ!!!!!!!」
タオル姿で子猫をつまんで出てきた家主が、2人の見つめ合う場面に出くわしギョッとした。
驚いてヨロけた勢いで、腰に巻いていたタオルが外れてしまう…。
「きゃーーーーーーーーっ!!」
…………………………………………………………………………………
2時間くらい浴室に居ただろうか…。
やっと乾燥が終わり、自分の服を取り出して身につける。
冷静になって考えると、後から来た男は修二先輩だった。
着替えが終わり、そっとリビングのドアを開けて中を覗いた。
「…あの、私これで失礼します。」
そう小さな声で私が言うと、ガハハと大きな声で笑っていた2人がこちらを見た。
「え?もう帰るの?ちょっと一緒に飲んで行けばいいのに。」
直哉先輩が残念そうに声を掛ける。
「いや…、私まだ未成年だし。」
ニャーオと子猫が私に擦り寄って来る。
「じゃあコーヒーだったら飲むでしょ?淹れるから飲んでってよ!さぁ、座って!猫もそう言ってるよ!」
そう言って直哉先輩がソファーから立ってバリスタの準備を始めた。
私は2人から少し距離を置き、ダイニングの椅子に腰を下ろした。
待っていたかのように猫が私の膝に飛び乗って来て、撫でろと言わんばかりに頭を出してくる。
「そうそう、俺たち取って食うような奴じゃ無いから安心して!」
「…はい。」
無邪気に笑う2人の顔が、どうしても悪い人に見えなくて流されてしまう。
「今コイツと猫の名前考えてたんだけど、聞いてよ!ダッセー名前しか出てこなくて!
…マイケルだってよーーー!」
クククっと直哉先輩が笑った。
「…るせーな!知らねーのかよ!ホワッツマイケル!」
照れた様に修二先輩が言う。
「マ…マイケル…!ねーわ!ぜってえねえ!」
「じゃあ何だよ!お前言ってみろよ!」
「…茶々丸だよ!」
「はぁ?茶々丸?」
「そうだよ、茶々丸!もう決まり!ね、良いでしょ?!」
そう言って、直哉先輩が私の顔を覗き込んだ。
笑顔が眩しくてドキッとしてしまった。
「…わ…私は何でも。」
「じゃあ決まり!茶々丸〜。」
そう言って私の前にコーヒーを置いて、膝の上の猫に顔を近ずけて撫で回す。
…ち…近い…。
「そしたら俺疲れたから寝るわ!」
そう言うとクルッと振り向き、ソファーに体を投げ出して寝てしまった。
………。
直ぐにグーっと寝息が聞こえる。
自由人…。
「…ったく。ごめんね、こうゆーやつで。ちょっと酔ってんのかな。」
修二先輩が呆れたように言った。
「蒼井さんだよね、同じ研究室の。」
「あ、はい。」
そう普通に答えてみたが、私の事を知ってて少し驚いていた。
「優秀だって聞いてるよ。学年で一番なんだってね。」
「…いえ、そんな事ないです。」
そんな事まで知ってるとは思わなかった。
「猫好きなの?」
「まぁ、実家で3匹飼ってるんで…。」
「3匹も、すごいね。」
「はぁ…。」
私は妙に緊張していて、相槌しかできなかった。
次の会話が思い浮かばない。
男2人の部屋に居ることなんて産まれてこのかた経験したことなんて無いのだ。
早く帰りたいとひたすらに念じながらコーヒーをすすった。
「…コイツさ、滅多に女を家に上げないからびっくりしたよ。」
「え…?」
急に修二先輩が話し掛けたので、少しビクついて猫が膝から降りてしまった。
先輩は立ち上がり毛布を取ってきて、呑気に寝ているソファーの上の家主に被せた。
「茶々丸ってさ、1年前に死んだコイツの飼ってた猫の名前なんだよ。」
「…そうなんですね。」
「コイツさ、その猫を溺愛してて。死んだ時は荒れたなぁ〜。」
「…。」
時期的に私がちょうど直哉先輩を毛嫌いしていた頃と重なるかもしれないと思った。
「茶々丸はさ、コイツの死んだお袋さんが可愛がってた猫なんだよ。
高1の時かな、交通事故で亡くなって…。」
話を聞いてグッと胸が締め付けられた。
「その子猫も母猫が引かれちゃって、泣いてたんだろ…。聞いたよさっき。
…自分と重なったって言ってた。」
あの時の直哉先輩の鋭い目が蘇る。
「ごめん、こんな話しして。俺もちょっと酔ってるな。忘れて忘れて。」
何も言葉が見つからず、また沈黙が流れる。
「でもさぁ、コイツの優しい顔…久し振りに見れて良かったよ。嬉しそうにさ、君と泥だらけになって穴掘った話聞いたよ。
君が一緒にいてくれたおかげかもしれない。ありがとう。」
「…いえ、私は何も…。」
心臓がドキドキと音を立てて鳴っていた。
テレビから10:00のニュースのテーマソングが流れてくる。
「あ、私帰らないと終電が!!」
「そっか、ごめん!」
「じゃあ、私はこれで!ありがとうございます!」
そう言って軽くお辞儀をして、足早に玄関を出た。
「気をつけて帰りなよ!」
そう背中で修二先輩の声がして、ドアが閉まった。
電車の中でドキドキが止まらず、
何度も深呼吸をして極力自分を落ち着けながら家に帰った。
服から直哉先輩の匂いがするからいつまでもドキドキしてしまった。
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