きっとソレに、答えはない。

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 そして、今日も。 「高い音が、全然出ませんんん……」  部活帰りの、喫茶店にて。席に突っ伏してしょぼくれる私の目の前には、優しい優しい御影先輩の姿がある。  他の部活ではどうなのか知らないが、御影先輩が後輩ズの相談に乗ることは吹奏楽部では珍しくもなんともない光景であるらしい。“飛鳥井相談所”なんてこっそり呼ばれていたりもする。高い技術を持ち合わせているのにそれをひらけかさない、初心者でもわかるような簡単で優しい言葉を選んでくれる先輩は、相談役としても非常に優秀なのだった。  それでも、最近は圧倒的に私がその“飛鳥井相談所”を利用することが増えている。一緒に楽器関連の買い物に付き合ってもらうまでしたのだって、私くらいのものであるはずだ。告白も何もしていないし、部活の一環だとは知っているが――そろそろ本気で仕掛けてもいい頃だ、というか向こうもちょっとくらい私に気があるんじゃないか、なんて思うようになるのは当然の流れではなかろうか。 「高い方のド、レ、ミ……くらいまではなんとかなるんですけど。ファより上となるともうだいぶきっついです。ましてやハイBとか一体どうやって出せばいいのか皆目見当もつきませんですよ……」 「あー、次の夏大会の、課題曲の奴か」 「そうですそうです。課題曲っていうからにはもっとつまらない曲をやるかと思ってたら、なかなかどうしてカッコいいじゃないですか。しかも、トロンボーンにもメロディーっぽいところあるし……私がやる3rdトロンボーンさえそういうパートがちょっとだけあるんですよ?そこ頑張りたいと思うじゃないですか普通。なのに、まさかここまで音が出ないなんて思いませんでした……」  夏の大会の課題曲“陽炎の聖戦”。日本人の、聞いたこともない作曲家が作った曲らしいのだが(というか、私がクラシックの作曲家なんてものに全く明るくないのが理由なのだが)、これがまたイケているのである。最初から、壮大なファンファーレで幕を開け、ピッコロとフルートの囁くように飾るメロディーで徐々に盛り上げていく構成だ。ヨーロッパの騎士の戦いをイメージした曲であるらしく、なんらかの物語がついているらしいのだが、その物語を知らなくても戦いの流れがイメージできるのだからよほどよくできているのだろう。  最初は盛大に盛り上げ、血気盛んであった仲間達が、やがて一人ずつ倒れていき敗色濃厚となっていく。しかし、一人の勇猛な剣士が皆を再び鼓舞し、戦いを盛り返して最後は勝利を収めるのだ。ちなみに、その勇猛な剣士がみんなを鼓舞しているっぽいところに、大久保先輩のトロンボーンソロが入るわけである。  課題曲だけれど、そうでなくても素晴らしい演奏にしたいと思わせてくれる一曲だった。私も全力で練習に邁進してきたのだが――メンバーの中で一番簡単なはずの3rdトロンボーンを任されたというのに、なかなか進歩が見えずに非常に焦っているのが現状なのである。  トロンボーンに限らず、多くの楽器のパートは高音を担当するパートから順に1st、2nd、3rd、4thとパートを割り振るのが一般的である。4thはないこともあるが、いずれにせよ低めの音を担当することになる3rdは比較的初心者向けのパートであるのは間違いないのだ(4thまで行くと逆に低すぎて演奏が難しかったりするのである)。超初心者から始めた私がここを担当することになるのは極めて妥当な判断だった、はずなのだが。  だからといって、高音の箇所がないとは限らない。  そして高めの音を演奏する場所は、全体でもトロンボーンが目立つ箇所であることも少なくないのだ。そこで私が失敗して、みんなの足を引っ張るわけにはいかないというのに。 「トロンボーンはメロディ―少ないから、そこまで難しくないかなとか思ってましたけど……そんなことなかったって実感してます。難しいですよね、ほんと」 「まあそうだね。しかもトロンボーンはスライドで音を調整するだろう?ボタンを押す楽器と違って、その日の調子と手のブレで音が大きく変わってしまうんだ。まあ、だからこそ音の微調整がしやすい楽器だとも言うけど。だからとにかくスライドのお手入れは大事なんだよね。滑りが悪くなったら演奏にならないから」 「ですよね。でもって、早い箇所を演奏しようとするとめっちゃ手も肩も痛くなります。体力もいるし」 「だよね。でも、やりがいはあるだろ?」  今日も御影先輩は、にこにこと爽やかにトロンボーンの魅力を伝えてくれる。
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