うさぎ男

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うさぎ男

 僕がうさぎ男に出会ったのは、夜中に近所のコンビニでアルバイトをしている時だった。僕がそいつのことをうさぎ男と呼ぶのは、そいつが、人間の体にうさぎの頭をつけたような見た目をしていたからだ。全身真っ白な毛で覆われていており、二本の長い耳が頭の上からうなじの方へだらりと垂れ下がっていた。顔つきは人間とうさぎの中間くらいの顔をしていたが、どちらかと言えば人間寄りの顔であったと思う。そして、目は真っ赤に充血していた。  僕はその時、客がいなくて暇だったのでカウンターの中の椅子に座って漫画雑誌を読んでいた。そして、コンビニのドアが開いた音がしたので、いらっしゃいませと言って何気なくそちらを向くと、そこにうさぎ男が立っていたのだ。うさぎ男は入口付近に立ち止まって、じっと店内を睨みつけるように見回したかと思うと、今度はカウンターの中にいる僕に向かってまっすぐに歩いてきた。急なことに驚いている僕をじっと見つめて、うさぎ男はしゃがれた低い声でこう言った。 「ゴロワーズカポラル」  ゴロワーズカポラル?最初、僕はその言葉が何を指すのかが全くわからなかった。訳がわからず黙っていると。うさぎ男はもう一度、今度は大きな声で「ゴロワーズカポラル」と言った。ゴロワーズカポラル。まるで、いにしえの扉を開くための呪文のようだ。しかし、強く言い直されたところで、僕は扉の番人ではないためその扉を開くことはできない。 「ゴロワーズカポラル。置いてへんの?」  うさぎ男は、今度は投げキッスのようなジェスチャーをつけてそう言った。そこで僕はわかった。うさぎ男が言っているのは、タバコの銘柄のことだ。 「ゴロワーズカポラルですね」  銘柄表をみると、やはりその名前の銘柄があったので、僕はカウンターの後ろに置いてあるタバコの棚からそれを取り出し、バーコードをスキャンしてカウンターの上に置いて値段を言った。  うさぎ男は無言でフィルムを取り、タバコを一本箱から取り出して火をつけた。そして、僕の方をじっと見ながらゴロワーズカポラルをふかした。手の甲は白い毛で覆われていたが、手のひらは白い肌がむき出しになっていた。店内にはもう何百回と聞いたキャンペーンのアナウンスが楽しそうな音楽と共に流れていた。 「お金は?」  その時、僕はうさぎ男に対してそう言ったのだと記憶している。僕は何も、コンビニ店員の使命から必ず代金を支払わせようと思ってそう言ったわけではない。その場の沈黙に耐え切れなくなってただそう言っただけだ。 「見てわからんけ?」  うさぎ男はまっすぐ僕を見据えながら言った。人を威嚇するような言い方だと思った。 「すみません」 「何がすみませんやねん」 「え?」 「はっきり言わんかい」 その時の僕の顔は見ていられないくらいに引きつっていたことだろうと思う。 「お財布を忘れられたんですか?」 「はあ?!うさぎが財布持ってるわけないやろ!デパートでうさぎが財布買うてるとこ見たことあんのかい!そもそもうさぎがどうやって金稼ぐねん!おい!誰がこんな毛むくじゃらのうさぎなんか雇ってくれるねん!おい!教えてくれや!どうやったら金稼げるねん!お前が雇ってくれんのけ?!おい!どうやねん!」  うさぎ男は店中に響き渡る大きな声で言った。店員はそのとき僕しかいなかったから誰も助けてくれる人はいなかった。カウンターの下にある通報ボタンを押そうと思い手を伸ばした時、うさぎ男に襟首を掴まれた。 「おい!なんか言えや!」  うさぎ男は、僕をカウンター越しに引き寄せて言った。 「お金は結構です!」  僕はもう何が何だか分からず、もう泣きそうになっていた。 「そういうわけにはいかんやろ。タバコもらっといてただで帰るわけにはいかんやろ」 「いや、本当に大丈夫です」 「お前、火つけろ」 「タバコにですか?」 「ちゃうわ!なんでもええから燃やして火用意せえゆうてんねん!」 「なんで?」 「俺が差し出せるもんゆうたらもう体しかないんじゃ!俺が焼かれたるからお前食えや!」 「は?」 「人がせっかく己を差し出すゆうてんのに食えへんのんかい!」 「そんなこと言われても」 「食えゆうとんねん!」  そう言ってそいつは、勢いよく僕をカウンターの奥へ突き飛ばした。後ろのタバコの棚にぶつかってタバコが何箱か転げ落ちて僕の頭に当たった。 「お前ができひんなら俺がやったるわ」  うさぎ男はそう言って店の棚を中央に向けて次々に倒しだした。 「何してるんですか!?」  そして、うさぎ男は倒れて積み重なった棚の上に窓際に置いている新聞や雑誌をばら撒いて、店の外に出た。帰ってくれたのかと思い少し安心したが、すぐにまた入口のドアが開いてうさぎ男がポリタンクを持って戻ってきた。そして、中の液体をその上に撒きだした。そして、うさぎ男は手に持っていたライターに火をつけた。その瞬間、僕はカウンターを飛び越えて転倒しながらも必死で店の外へと走った。走りながら横目でうさぎ男がライターを放り投げる瞬間が見えた。ドアを抜けた瞬間に爆発音が聞こえて体が吹き飛んだ。煙に包まれた中コンクリートの地面に転がってどちらが前なのかわからなくなった。それでも体を低くして煙から抜け、コンビニの正面の道をよろよろと30メートル程進んだ。振り返るとコンビニ全体が大きな火に包まれていた。そして、火はさらに一秒毎に大きく膨らみ、あっと言う間にコンビニ全体が大きな火で包まれた。  その時、近くを歩いていた女性が悲鳴をあげた。火事が起きていることに驚いて悲鳴をあげているのだと思ったが、いつまでも叫び続けているので変に思いコンビニの方をよく見ると、コンビニの中でうさぎ男が全身火だるまになって暴れているのが見えた。頭と長い耳を振ってとても苦しそうに暴れているようだった。そして、うさぎ男は炎に包まれながら何度も何かを叫んでいた。その声が、「食え」と言っていることに気づいたとき、僕はその場にへたり込んだ。だんだんとコンビニの周りに野次馬が集まり出した。そして、遠くから消防車のサイレンの音が聞こえてきた。コンビニ全体を包む炎が闇に大きく揺らめいたと思ったら、その数秒後に風が勢いよく僕の周りを吹き抜けた。煙の匂いに混じって、芳ばしい香りがした。
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