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山口心亜には天敵がいる。
『天敵』というのは、食物連鎖において自分を捕食する存在だが、人間にだって天敵はいる。
たとえば、心亜みたいに偏屈で男嫌い、そのうえ円滑な人間関係を苦手とする女にとって、キラキラと着飾り、トイレでまつげをカールさせ、2人ないし3人、もしくは4人で流行りの店に予約していく女は、間違いなく天敵だ。本能的恐怖を感じる。
「あ……」
残業後、電車の手すりにつかまって、ようやく開いたスマホの画面に、薔薇を散らした大皿の写真が映し出される。Twitterのタイムライン。最近フォローしている読書仲間がリツイートする度に、心亜にも流れてくる。
21時。結婚式場で事務をしている心亜にとって、10月この時間に帰れるのは早い方だ。
空腹の胃袋に見せつけるように、テリーヌだろうか緑、白、ブラウンで三層を成す台形型の料理に、とろりとオレンジのソース。
ガタン、と電車がしゃっくりをするようにブレーキを掛け、その拍子に画面を更新してしまう。
すると、また料理の写真。投稿者はもう覚えてしまった。美琴、という女……正確には、<美琴@マインドフルネス実行中♪>というアカウント名だ。ピンクペッパーを散らしたポークソテーが現れる。じゅわじゅわと焼き立てなのが伝わるように、一切れだけナイフで切り取られ、泡立つ肉汁と油が皿に溢れだしている。
ぐきゅううう。
胃袋が堪らず、悲鳴をあげた、しかも大声で。心亜は前に回したリュックで腹部を押さえ、そっと辺りを見回す。
飯テロ。
会ったこともない女の無差別攻撃に、サバンナの小動物、ミーアキャットのように怯えている。
電車の窓ガラスのなか、くせ毛をひっつめ、毛玉だらけのカーディガンを着た我が姿は問う。
Twitterを開かなければ、飯テロ被害も防げるのでは?
確かにそれは一理。
けれど心亜には友達がいない。日々のよしなしごとを徒然に吐き出せるのは、青い小鳥の御前だけである。親指で素早くタップするのは、どこかの誰かも感じているだろう、平凡な疲労とストレス。
”しごおわ。
お客様が残業で打ち合わせに遅刻
↓
私も残業
↓
腱鞘炎悪化”
ふう、とため息をつく。平日この時間に外食を済ませている、ということは、美琴は定時に帰っているのだろう。ナイフを持った指先が時々写っているのだが、その指先はラインストーン付のネイルが施されており、定期的にデザインも変わっている。
事務作業によって慢性化した腱鞘炎に悩まされ、クリームを塗るのも億劫になった心亜の指先とは天地の差があり、買えない宝石を見るような虚しい気持ちで写真を眺める羽目になる。
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