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心亜のアパート近くのスーパーは、大手チェーンで遅くまでやっているけど安くはない。腹の虫すら瀕死の胃袋を抱え、数年前は金物屋だった細長い店内へ入っていく。
透明なプラスティック容器に入ったひじきサラダ198円と、から揚げ7個入り398円を手に取る。ああ、カロリー取りすぎだよなあ、とから揚げを戻し、サラダチキンの真空パックを手に取った。その瞬間、痩せる必要ないよ、という同僚の言葉がちらりと掠めた。それはすでに痩せているから必要ない、というよりは、痩せても何にもならない、という意味で、
「だってブライダルエステに申し込んで、何着もドレス試着して挙式に至るわけでしょう。なのに悲しいかな、離婚率は3組に1組。結婚=幸せの時代は終わってる。自分の好きなように暮らして、ついでに結婚したけりゃすればいいんじゃない」
斯く云う同僚は、男性アイドルグループの追っかけに時間も金も注ぎ込んでいる。
先日は休みが足りなくて、仮病で休んだ。確かに好きなように暮らしている。
「好きなように、かあ」
と心亜は独りごち、とまれ、朝の胃もたれを考えると、やはりサラダチキンだ、と思い直した。
獣道のように細い路地を進むと、アパートの照明が見えてくる。
学生時代から住む場所を変えていない。2階だから日当たりもいいし、狭いけれどロフトも付いている。おまけに家賃は相場より安い。
心亜は靴箱の上に置いたお菓子の空き缶に鍵を入れる。カチャン、という金属音にかき消されるほどの「ただいま」を静寂に囁き、靴に消臭剤を吹き付ける。
保温の切られた炊飯器から冷えて固まったご飯を茶碗に移し、レンジにかける。
その間に着替え、手を洗った。
レンジが止まると、おなかすいた、と言いながら、殺伐とした夕食の始まりだ。
極力食器を汚したくないから、ひじきサラダはそのままで、サラダチキンはしぶしぶ100均の皿に移し、テーブルに並べてテレビをつける。PCで疲れた目は、液晶の映像を映すと少し沁みるような痛みを感じる。
録画していたアニメを見ているうちにうたたねしてしまい、びぃんと痺れた身体で目を冷ますと24時半を回っていた。Twitterを見ると、また美琴のつぶやきがリツイートされている。
<おやすみなさい☆ 明日も良き日になりますように>
どうして、こんな内容のない文章がいいねやリツイートをもらうのか、理解に苦しむ。
いいねが25、リツイートが14、か。
美琴はおやすみなさいを言う相手が、私生活にもいるんだろうか。
心亜には特にいないので、「寝ようかな」とつぶやいて、歯を磨いてベッドに潜り込む。
潜り込んだ後、少しだけ目がさえていたけれど、考えることが何もない。
明日もきっとない。刺激的な小説を買って読まなくちゃ、アマゾンで買おう、と暗がりのなかスマホに手を伸ばし、中古を1冊、カートに入れた。
読書は知的な趣味だと思っていたけれど、心亜の思考は彼女の内部を通り抜け、また新たな思考と入れ替わっていくだけだ。
布団が体温を吸って温まっていくが、けして心亜を温めているわけではないのと同じように、どこかから来て、どこかへ去っていく。
何かにしがみつきたい気持ちを救ってくれるのは、眠気以外にない。
けれど、今日は冷たいものばかりを食べたせいか、なかなか眠気が来なかった。
美琴はぐっすり眠っているのだろうか。それとも美顔器や半身浴に時間を割いているのかも。
隣に誰かがいて、甘い吐息をついているのかもしれない。
人と比べない生き方なんて、できねーよ。
部屋の照明はすべて消しているのに、外の街灯のせいで、いつまでも薄暮のような窓辺。
旅先で買ったぬいぐるみの影が、奇妙に浮き上がっている。
ああ、遮光カーテンを買いたいな、と考えの軌道がそれて、墜落は免れた。
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