香る窓辺 無花果の蜂蜜蒸し

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香る窓辺 無花果の蜂蜜蒸し

 仄かな無花果の香りが、僕の鼻から抜ける。無花果って本当に、不思議な形をしている。まるで何かの、球根みたい。それか、玉ねぎだ。 「玉ねぎみたいな、そいつは何者だい?」  おやっ?と気付く時には、もう君は、窓辺からするりと、素早かに入って来ていた。 「無花果だよ、市場で見かけてさ、珍しいから買っちゃった」 「ふうん、確かに玉ねぎじゃあ無さそうだ」 ふんふん、と君は無花果に鼻を寄せて、香りを嗅いでいる。 「秋とも冬とも言えない匂いだ」 こいつめ!と君は柔らかな肉球で、少しばかり無花果をぽむぽむする。 「この前、栞ヶ浜古本市があったろう?」 と、僕は君に話しかける。君は嗚呼、あの……と鳴いた。 「書痴ばかり集うって言う?」 「そうそう、皆が本を片手で読みながら古本市を商っていたよ」 「それで、古いレシピ本を手に入れたって訳だ」  君はにんまりと笑うが早いか、僕の肩に飛び乗り、こんがりと頁が枯れ葉色に焼けた(ここまで綺麗に焼けていれば最早芸術品!)レシピ本を眺めた。 「よっと。やあやあ、それで何か旨そうなものを見つけたって算段だな?」  僕の頭の中は、全く持って君にはお見通しらしい。いかにも!と言う様に、僕は両手をぱっと挙げてみせた。  無花果をじゃぼじゃぼ洗って、ヘタの先っぽを少しばかり包丁で落とす。家で一番おっきな鍋を出して来て、少しばかりの湯を沸かす。 「果物を蒸し焼きにするって事?何だかあんまり美味しそうぢゃないなあ……」 「まあ、はじめて作る訳だし、サ」  多少、歪でも、下手くそでも。食べてみたい、美味しそうって思った、あの時の僕の気持ちはホンモノで。その中には、君に、食べて貰いたい、食べさせてあげたいって気持ちも、あるんだぜ。だから(勿論、僕の自己満足もあるんだけれど)これは、勝手に沸いた、親愛なる腹減りの君を、もてなすおやつ。  スープ茶碗を逆さまにして、鍋の中に置く。その上から無花果を乗せた皿を置けば、蒸し器が無くっても作れる、簡易蒸し器の完成!  無花果の皿には、たっぷりと蜂蜜を回し垂らそう。君も僕も、甘いのは大好きだからね。とろり、とろとろ。台所の暖かな色合いの電球の光を反射した蜂蜜は、ぴかぴか、ぴかり。つやつや、つやり。いい塩梅だ。  ついでに、シナモン・スティックや、ナツメグ、八角なんかを、皿の好きな位置に置くだけだ。(余談だけれど、八角って僕が知ってるスパイスの中で、一番吃驚したよ!変な形で、コツコツ硬くってサ。もし君が、八角を手に入れる機会があったら、僕の言ってた事を思い出してご覧!)  鍋蓋に布巾を巻いて、湯気の水気が落ちないようにする。このひと手間で、無花果が、水っぽくならずに済むんだって。 「煮込む、まあこの場合は蒸すんだけど。僕は案外、料理してる間の、隙間に出来る、この時間が嫌いじゃないんだ」 「君が、そんな事を思ってたとはね」  イカすよ、と君はしなやかな肢体をなめなめ、毛繕いをしながら話してくれる。  此の街の他の奴らは、特に最近だね。皆せかせか忙しなく動き回ってて、まるで情緒も、へったくれも無いやつばっかりに、なっちまったよ。でもそれは、その人達のせいって訳でも無い。季節の変わり目?って言う奴も、まあ多分、少しばかりあるだろう。料理をするってのは楽しくって、時には戦争で戦いだ。料理ぢゃなくったっていい。裁縫でも、何でもいい。つまり何かを作るって事だ。それは、当たり前なんだ。それが、当たり前だったんだ。 「余裕、ってのが無くなって来てンだな」 「君の言いたい事が、僕、少し解る気がするよ」  なんとなく、だけど。 「余裕も、時間も、昔は有り余る程あったんだぜ?今ぢゃ、余裕や時間は買うものになってる。買わなきゃ手に入らないものになってる」  大きく伸びをした、君。  うん。矢っ張り、僕は君の伝えたい事、解るよ。 「その様子ぢゃ、君にはその心配はいらなそうだ!」  ぴょんっと、勢い良くリビング・テーブルに、飛び乗った君。 「ご心配をおかけしたようで」 と僕は意地悪げに、にししと笑う。君に、心配をかけさせてしまった事を、隠したくって。苦し紛れの、笑みを浮かべた。 「なんだいなんだい!べっつにー、僕は君の心配なんかしてないさ!そーんな下手くそな笑い方で、僕を誤魔化せると思うなよ!」 「解ってるさ。君が心配してるのは、無花果の蒸し具合だけだもんね」  そ、そうさ!と君は鳴いてくれる。 「それで、無花果の方はどうなったの?」  僕はタイマーを確認してから、大鍋の蓋を開けた。途端にぶわり、とたくさんの湯気が外に駆け出て来る。もわもわ、あちち。 「……すごい」  君が呟いた、鳴き声だけが聞こえて、僕は我にかえる。  立派に蒸された無花果は、蜂蜜がさらりとしたシロップ状になっている。君がすごいと鳴いた訳が、今になって僕にも分かった。 「無花果から染み出したのかなあ?」  僕の声もきっと、きらきらしていたに違いない。 無花果の蜂蜜蒸しのシロップは、輝くピンク色をしていたのだ。  僕は慌てて、君と手を(前脚を?)合わせる。 「「大成功!」」  やったね!と鳴いた君は、もうじゅるりと、よだれを垂らしていた。僕は、火傷しそうなくらいに蒸された皿を、四苦八苦しながら、どうにか大鍋から取り出した。後は、ラム・レェズンを添えるだけ……、とはたと気付く。 「君、冷やさないと食べれなくないかい?」  君も、気付いたようだ。ぴたっと固まったまま、じわりと悲しげに萎れてゆく。ちょっとだけ、その様子が僕には可笑しかった。 「ぢゃあ、夕食の後って事で〜」  僕はせっかく盛り付けた飾り皿に、ラップをかけて、冷蔵庫へと入れにかかった。君は「ごめん寝」の体勢で、前脚をぷにぷに、テーブルに叩きつけていたっけ。よっぽど悔しかったんだろうナア……。でもごめん、僕は不覚にも笑いを禁じ得ないよ……。 「……ッ!こうなったら、憂さ晴らしだっ。こうしちゃいられない、ひとっ走り行くよ!」 「ええっ?!走るの!?」 「いいぢゃないか、食前の軽い運動だね。久しぶりに、水車小屋まで行こうぜ。あすこは、今なら小麦やら米やら挽いてて、面白い」 「おわ〜」  僕は濁した様な声を上げて、窓辺から今にも走り出しそうな、睛をぎらっと光らせた、君の方を向く。 「……出来るだけ、頑張ります……」 「あったりまえ!」  帰って来たら、君と、ようく冷えた無花果の蜂蜜蒸しを、一緒に食べよう。スパイスが効いて、ちょっぴり不思議な味わいになった、柔らかな無花果を。ピンクの甘い湖に、浮かべながら。  君は僕の名前を知らない、僕は君の名前を知らない。多分僕らにはそれが丁度良い。  それはきっと、こんな物語。
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