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渓流喫茶店 苔むした窓辺
灰白色の曇天が街をぶ厚く、覆っている。今にもぽつり、ぽつりと降り出しそうな、そんな、空模様。だから、僕は此処に来た。
今頃、僕ん家の窓はしっかりと強固に閉まっている筈。勿論、君へのメッセージ・カードも忘れずにね。
此処は、渓流喫茶店。
植物が青々と生い茂る、緑の森。喫茶店なのに?と思うだろうね。でも、そこがこの店の売り、なのさ。
屋根は何処にも無くて、真っ白な雲から、薄くて儚い光が差し込む。店内の真ん中には大樹が生えていて、まるでそこだけ、切り取られた様に明るい。
どこもかしこも、シダや、苔や、多肉植物や。兎に角、緑が隙間無く生えている。朽ちた樹たちは倒れて、新たな苔の苗床となり、また緑が増えるんだ。
そして足元を流れる、渓流。さらさら、と、水草だけが揺らめいている日もあれば。誰か宛ての、壜郵便が流れて来たりする日もある。
多分、渓流は店中に水路で張り巡らされている、んだと、僕は思う。
曇天で、しかも雨が降りそう、となれば。もうこの喫茶店に行くしかない。
ぼんっ、と傘を開く。僕はビニール傘が大好きだ。透明だから、上を見上げれば雨が天から降って来るのが見れるし、やっぱり何より、ポッポッと雨粒が弾ける感じが直に伝わって来るから。僕はそれを聞くと決まって、心がむず痒くなる様な、わくわくが、湧いて来るのだ。
渓流喫茶店では、靴を履かない決まりだ。僕が勝手に作った、決まり、だけどね!だって、ふかふかの植物や苔を裸足で歩かないなんて、どうかしてる!
ゆっくりと僕は高脚の椅子に座る。(僕の身長では高脚は本当に高い、いや、もしかしたら渓流喫茶店の高脚基準が高いのかもしれない)椅子の脚も薄っすら緑色をしていた。
ウォーター・ピープルの店主に珈琲を注文した後、卓上の真っ白な磁器の砂糖壺を眺めた。これも蓋から多肉植物がちょこんと生えていて、可愛らしく思う。
さらさら、さらさら。
それから、やっぱり、水路の小川。
ぽつ、ぽつり。
丁度、白く光る雲から、雨も降って来たらしい。
ちらほら居た、ウォーター・ピープルのお客さんたちが、その透明な水の体を、ふるふると揺らして、少しづつ少しづつ、歌い出す。
しとしとしと、ぽつぽつぽつ、さらさらさら。
透き通った 流れる体
銀色の魚 二匹
踊り揺らめく
その尾びれ 幾千もの
鱗靡かせて
僕は暫し、ウォーター・ピープルの歌に聴き入った。静かで、厳かだけど、水の、雨の、川の。冷たさや激しさを歌う訳では無く、ただ。いつも聴いていて、でもずうっと胸の奥のほうに、ふわりと宿る、懐かしい、そんな、歌なのだ。
流れて、流れて。海になって、雨になり、また流れて、川になる。澄んだ、ウォーター・ピープルたちの、記憶。
同じウォーター・ピープルなのに店主は動じずに、ただ佇み、ゆっくり、こぽこぽと珈琲を淹れている。
透き通った 流れる体
硝子の海 鯨が跳ねた
金色の魚 二匹
今はもう いないよ……
寂しげに終わってゆく、歌。
寂しさを友に人生歩む気は、あんまり無いけれど。寂しさを感じる、そう、ただ、寂しさが在る、って日もあるべきだと、僕は思うんだ。
だから、今日は君、禁止令を僕は僕に、かけた。絶対、今日は君、禁止。いくら君が「遊ぼう」って誘っても、駄目なんだから。その為の窓辺しっかり鍵閉めだし、メッセージ・カード、なんだから。
店主がコトリ、と僕の前に珈琲を置く。ありがとうございます、と僕が言うと、こぽり、と音が聴こえて店主が微笑った気がした。
君が、居ない。
君が居ないと、とっても静かだな。
でも偶にはそれが、心地良い。
僕の中の寂しさもきっと小さく歌ってる。
さらさらさら、水草が揺れる。
こぽこぽこぽ、珈琲を淹れるお湯の流れ。
ぽつぽつぽつ、雨粒が天蚕糸みたい。
苔むした窓辺、君はきっと来ないだろう。
なんてったって、寂しさとの付き合い方については、僕よりも君の方が、ちゃんと理解して、弁えているもの。
「僕は大切な事は全部、髭で感じるのさ、この、ピンとした髭で。」
君の鳴き声が、静かに、静かに、森の奥で、木霊する。気が、した。
嗚呼、僕は、もう少し、此処に留まるよ。
飲み込んだ珈琲は熱くて、爽やかな味が、する。
僕は君の名前を知らない、君は僕の名前を知らない。多分、僕らにはそれが丁度良い。
それはきっと、こんな物語。
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