4人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
秋雨と金木犀酒 窓辺の導き
窓の外を眺める。秋の終わり、冷たい雨がしとり、しとりと降っている。ふわあ、と僕が息を吐き出すと、白く煙る窓硝子。
ぺた。ぺたり。
ふわあっと白くなった窓硝子の向こう側から、肉球が伸びて来た!
コンコン。
間違いなく、君の前脚だと解り、僕はすぐさま、窓枠を上に持ち上げて窓硝子を取り去った。途端、さあっと霧みたいな雨が、風を連れて部屋に入って来る。
何だろう、僕、何でだか、今ワクワクしてる。
「早く開けたのは君にしては懸命だな、」
「だって君が開けろ、って言ったんだろう。」
「僕は言ってないさ、礼儀正しくノックしただけ。……まあ、良いや。さあ、突っ立って何してるんだ、出掛けるよ!」
雨、水は君って嫌いじゃ無かったの?と僕が聞くと、誰がそんな事決めたんだい?と不服顔の君。
「出掛ける、ってどこに?」
「窓枠さ。」
はてなを飛ばす僕を、にんまりと、悪戯が成功したみたいに、君は笑った。
「良い金木犀が手に入ってね、洋酒を造ろうと思うんだ。」
そう言って金木犀を束にしたのを見せてくれた。花はきらきらと、まるでひとつひとつが小さくした太陽みたいに輝いている。甘い香りが、朝の焼き立てのパン屋の様に、魅力的に部屋に広がった。なんて馨しい!
「もしかして秋雨金木犀?」
だとしたら、凄い話だ。秋雨金木犀は、《秋》しか育てられない品種だし、それに花が付くまで三百年待ったって言う《秋》も居る。収穫するのにはその《秋》一番の雨が必要だって事も、僕は知っていた。
「そう言う訳で、じゃあ行こう。」
「材料蒐め、ってところかな?」
「当たりっ!」
君が窓枠でぴょんっと跳ねる。ピカッと白い光りが辺りを包んだ。
するとどうだろう、僕達は海辺の小屋に、正確には海辺の小屋の窓枠の前に、立っていた。
「星捕りから星を売って貰うのさ。」
って事はここは星捕りの銀の河だ。よっ、と君は僕の肩に乗る。重い、……だけどあったかい。
コンコン。
君が窓枠をまた叩く。ガタガタと荒々しい音を立て、ぬっと顔を出したのは帽子を深く被ってて、肌がやけに白い星捕りの少年だった。星捕りの少年は短く「何?」と僕に言う。
「星を売って欲しいのだけれど、」
「ああ、良いよ。どのくらい欲しいの?」
少年はちょっとだけ気さくに笑った。少年から優しい夜みたいな匂いがしているのに気が付いて、僕も思わずにっこり笑った。
「壜、一本分。……足りないかなあ、」
うーん、と僕が悩んでいると
「じゃあオマケしとくよ、星屑のちょっと、透明度が低いやつ、これで一本と半分だ。」
壜の中には、乳白色の星屑と透明な星屑がざらっと入っていた。降るとしゃらしゃらと鈴みたいに鳴る。
「星屑でも、今の時期はとろけるみたいに甘いぜ。何か作るの?」
「秋雨金木犀が手に入ってね、今は材料蒐めをさせられてるとこ。」
「じゃあ次はチェロ弾きの旦那の所だな。」
と星捕りの少年は言う。
あそこに白い窓枠があるだろ?そこいってみな、いってらっしゃい、またご贔屓になあ。
「何で君、出て来なかったんだよ。」
「いやあ、実はあいつ、白猫なのさ、つまり、顔見知り。僕には星、売ってくれないんだもの。」
それから君はこう言った話を紡いだ。星捕りは代々白猫が担っている、何故なら白い毛並みに星がちかちか反射して見つけやすくて、舟同士がぶつかりにくく危なくないからだと言う。星に愛されてるねえ、と君は博士みたいに髭を撫でつけた。
砂浜の白い貝殻で出来た、窓枠の前に立つ。
「行くよ!」君がぴょんっと飛び跳ねる。
僕らは大理石の博物館前へ。
✴︎
そこは酷い土砂降りだった。ざあざあ、ざあざあ。
雨は嫌いじゃ無いけれど、これはあんまりだ!僕達は急いで階段を駆け上って(滑らないか、冷や冷やした)大理石の博物館の入り口に立つ。雨粒が洋服から滴り落ちた。
「おやおや、お客人とは珍しい、じゃ。」
僕達はびっくりしてびょんっと跳ねてしまった。今まで気が付かないのがおかしいくらい近くに、チェロに手を掛けて座るお爺さんが、居たからだ。
「あなたがチェロ弾きの旦那さん?」
僕は言う。
「僕、僕だよ、爺さん。」
「おや、君だったか、じゃ。」
君はとんとんと話を進めて行く。待ってよ。
「檸檬を分けて欲しいんだ、爺さんなら出来るだろ?」
「ふむ、では一曲手向けるとしよう、じゃ。二人共、聴いて行きんさい、じゃ。」
長い白髭を触ると、きらり。
お爺さんの睛がきらっと輝いたかと思うと、今までのふるふるはどこへやら。力強いチェロの音色が大理石に響き渡った。弦がお爺さんに操られてる、って言うよりも。チェロとお爺さんは、古い気の合う友人みたいに。お互いを助けて、お互いの良い所を引っ張り出している様子だった。
僕らが聴き惚れていると、チェロの前の大理石から、めき。めき。と。僕はあっと声を上げた。それは檸檬の樹だったからだ。マーブル模様の大理石から生える樹は、チェロの曲に合わせて立派な実をつけて行く。しゅるしゅる、と銀色の煙がお爺さんと檸檬の樹(勿論、チェロも)を取り囲む。
長く、そして静かに最後の音をチェロとお爺さんが奏でると、檸檬の樹の上で煙はふわっと、スパンコォルを散らした様に消えてしまった。
「いかがだったかな、じゃ。お二人さん。」
ブラボー!と言う、君の鳴き声で、僕はハッと夢から覚めたみたいに、急に周りの土砂降りの音が大きく聞こえて来る。
「お爺さんは魔法使いなのですか?」
僕は目をくりくり、ぱちぱちさせて訊ねた。
「いやいや、若いの、儂はただのチェロ弾きよ、じゃ。」
檸檬は好きなだけ持って行きんさい、じゃ。とお爺さんは子供みたいに睛をきらきらさせて言ってくれた。何だか僕は、このチェロ弾きさんが、堪らなく好きになってしまったみたいだ。
「しかし、良い秋雨金木犀を手に入れたのう、じゃ。次はどこ行く、じゃ?」
「月頭んのマスターの所だよ、旦那。」
では案内する、じゃ。チェロ弾きさんと一緒に博物館の中に這入る。辿り着いたのは全部が金色でピカピカな窓枠だ。四隅に太陽や雲、風、月のレリーフが彫ってある、豪奢な窓枠。
「それじゃあ、ありがとう、旦那。また聴きに来るよ。」
と、君が言うもんだから、僕も焦ってお礼を述べる。
「チェロ弾きさん、艶々な檸檬を、本当にありがとうございました!」
「うむ、完成したら一杯呑みに行く、じゃ。」
しわしわな顔を更にくしゃくしゃにして、チェロ弾きさんは僕達を見送ってくれた。
ぴょんっ。
黄金に輝く古代の窓枠から、僕らはBAR・隠れ家へ。
✴︎
「いらっしゃいませ。」
目を開けたら、そこは絶海の孤島だった。僕は驚き過ぎて、逆に冷静になってしまう程だ。周りを見渡すと、この星形の店(BAR・隠れ家、と言うらしい、とてもあやしい)一軒以外、夜の海が広がっているだけだ。隠れ家の建物全体が、本当のお星様みたいに仄かに、柔らかく、光っている。
「これで驚いてちゃあ、まだまだだよ、」
君はもうさっきから!
そのにやにや顔をやめて欲しい。
「月頭んのマスター、居るかい?」
「はい、居ますよ、先程挨拶は済ませた筈ですが。」
君と喋っているのは、多分、月頭さん、なのだろう。頭が確かに、満月のお月様だ。君と喋る度に頭の満月が光ったり、消えたりしている。
「マスターならこれを見せれば一発さ。」
君は秋雨金木犀の束を月頭さんに咥えて見せる。
すると。
「トレビアン!」
びかっと月頭さんが鮮烈に光る。僕は、うわっと思わず掌で目の回りを覆ってしまった。
「素晴らしい!こんな状態の良い秋雨金木犀にはついぞお会いした事がありません。」
どうやら月頭さんは感激しているみたいだ。
「マスター、協力頼むよ。」
「勿論です!」
秋雨金木犀にはあれだろうか、いやいや、これだ、ううむ、こっちも捨て難いし、あっちもなくちゃあ。月頭さんは隠れ家のカウンターテーブルの向こう側でお行儀良く、そしてたっくさん並んだ様々な形や色をした壜をごそごそしてる。
「月頭さんは、何者なのさ。」
僕はこしょこしょと君に耳打ちした。
「マスターは宙から毎週降ってくるのさ、このお星様の建物ごと。」
そしてその夜だけ営業する、秘密のBARなんだよ。いい、秘密だからね。君は年を押す様に前脚をしーっの形にする。
「はいっ、用意出来ましたよ。BAR・隠れ家のとっとき、密造酒。」
「あっ、予め言いますが違いますよ、密造酒、と言う名前の、お酒なんです。」
ありがとう、マスター。いえ、是非試飲させて下さいましね。そう言うやり取りを君はすると、またびょんっと僕の肩に乗っかって来る。
「帰り路、星タクシーで送らせましょうか?」
「大丈夫さ、マスター、なんてったって僕が付いているんだもの。」
そうですね。と月頭さんはほわほわ光った。
「良い導きです。」
ぴょんっ。
✴︎
しとしと、しとしと。
気付けば、僕達はいつもの見慣れた、僕ん家の窓枠の前に立っていた(付け加えるなら部屋の中側だった事かな)。
「ここからがいよいよ君の出番さ。」
「……成る程ね、腕がなるよ!」
銀の河で捕れた星屑、雨降り博物館のチェロ弾き檸檬、それに星燈りが素敵なBAR・隠れ家の密造酒。最後に君の秋雨金木犀。
これはちょっとでも菌が入ったら台無しになっちゃうぞ、と僕はびくびくしながら、でも本当はどきどきしながら。早速、洋酒造りに掛かる。
檸檬は輪切りにして、皮と白い部分をようく取り除く。種も丁寧に取り出して、っと。秋雨金木犀の花をさらさらと落として、茶こし袋に入れる。後は、星屑と檸檬を交互に煮沸消毒した密閉壜に入れていくだけだ。一番上に取り出しやすいよう、秋雨金木犀を乗せて。上からゆっくり、密造酒を注ぐ。
とくとくっ、とくとくとくっ。
ひたひたになったら、後はしっかり壜の蓋をする、っと!出来た!
「ねえ、そういえばこれって、どのくらい漬け込んで寝かせるのさ?」
「んー、秋雨金木犀次第かなあ、十年くらい?」
僕はあからさまに信じられない、という顔をした。
「君と今夜呑めると思ったのに!」
「ま、まあまあ。良いじゃないか、お楽しみは後に取って置くのが大人の余裕、ってもんじゃない?」
僕はオトナノヨユウが解りたい反面、解りたくない気持ちになった(これまでの材料蒐めを読んだ読者なら解ると思う)。
ブスッとした僕の顔を見て、君は鳴く。
「この前、ほら、秋風羊飼いから羊雲の毛を貰ったじゃない、あれで何か編んだらどう。」
「……。」
「ああ、もう、解ったからそんな恨みがましい目で僕を見るなよ。」
僕はほんの少し目を伏せた、でもさ、これは君が悪いんだから。
「月頭んのマスターの所に、も一回行こうぜ。」
「!」
「それでさ、何か作って貰おう。」
それってオリジナル・カクテル、ってやつ?
そうさ!マスターなら朝飯前、行くよ。
僕らは窓枠の前に立つ。
「また窓から窓かあ。」
僕がため息と一緒に言うと、君が。
「嫌ならやめても良いんだよ?」
なんて言うものだから、僕は頬っぺたを膨らませてこう言ってやる。
「やだねっ!」
ぴょんっ。
君は僕の名前を知らない、僕は君の名前を知らない。多分僕らにはそれが丁度良い。
それはきっと、こんな物語。
最初のコメントを投稿しよう!