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史上最高の複雑な関係
今日は小学校の運動会。しかし、家の子供ではなく、三年生の弟に、障害物競走に出場するように頼まれた私に、順番がめぐってきた。
そこは、大きな競技場のバッグヤードで、受付の先生に聞かれる。
「どなたのお母さんですか?」
「明智 貴盛です」
「はい。次の――」
私は嘘になってしまうので、慌ててさえぎった。
「あ、あの! 姉なんですが、大丈夫ですか?」
「お家の方でしたら、構いませんよ」
先生ににっこり微笑みかけられて、私はほっとした。しかし、同じ家には住んでおらず、厳密には隣の敷地に住んでいる。
まぁ、細かいことはいい。とにかく、障害物競走をやり抜こう。
そうしていると、グラウンドの歓声が小さなモニター画面のほうから聞こえてきた。前の種目で、お父さんたちの短距離走が決勝戦を繰り広げていた。競技場の様子がバックヤードからも見ることができる。
後ろに立っていたママたちが、
「あの人って、孔雀印の社長よね?」
私は心の中で一人語る。孔雀印とはデパートにしか、仕出していない肉のブランド名で、会社は最近急成長し、ますます発展を遂げているらしい。
銀の少し長めの短髪で、濃いオレンジ色の鋭い眼光。ガタイがよく、義理人情に厚いタイプで、部下には兄貴と慕われている。男の中の男。
全力でトラックをゴールへと走り込んでくる姿が画面に映っている。ジーパンの長い足に連れられて、服と髪が風で強くなびくさまが、神がかりに美しかった。そうして、一位でゴールテープを切った。
まわりにいたママたちがはしゃぎ出す。
「去年も一位だったけど、やっぱりかっこいいわね〜」
「しびれちゃうわよね」
私は画面を見つめながら、モテるのだなと思った。そうして、次のレースが始まる。それはすぐに、他とは違っているのが誰の目にも明らかだった。
一人だけが、半周も他の人に差をつけて、ゴールしたのだ。後ろにいたママたちが、驚きの声を上げた。
「どうしたら、あんなに早く人って走れるのかしら?」
「どういうことなのかしら?」
まるでわからないと言ったようだった。しかし、近くにいたパパの一人が答えた。
「あれは武術の技らしいですよ」
「そう。どんな技なのかしら?」
特殊な世界の出来事で、みんな首を傾げた。
私は一人心の中で語る。あれは、縮地という、短時間で長距離を歩く技だ。それを走りに応用した。あの人は、達人として、師匠に許しをもらい、二十代の若さで武道家となった人。
深緑の短髪で、はしばみ色の無動、無感情の瞳を持つ、和装がよく似合う、神がかりな色気を持つ男。
そうこうしているうちに、そのふたりの男が競技場からバックヤードへ一緒に並んで戻ってきた。
私は気さくに声をかける。左にいる、銀髪でオレンジ色の鋭い眼光を持つ背が高くがたいのいい男に。
「明! 予選四位だったけど、わざと負けたんでしょ?」
「当たり前だろ。本番だけ勝ちゃいいんだよ。予選まで全力で走ったら疲れんだろ」
そうして、私はまた気さくに声をかける。右に立っている、深緑の短髪で、はしばみ色の無動、無感情の瞳を持ち、背の高い男に。
「夕霧さんはどっちも一位だったよね?」
「あれは疲れないための技だ。両方全力で走っても平気だ」
「さすが、毎日家で修業してるだけあるね」
そこで、私たちのまわりにいた人たちから、当然の質問が上がった。
「三人のご関係ってなんですか?」
私はやってしまったと思った。何と答えていいのだろう。この男ふたりのことを。
戸惑っている私の代わりに答えたのは、男たちだった。ガサツなしゃがれた声と、
「オレの妻だ」
「俺の妻です」
地鳴りのような低い響きが同時に伝わった。
「え……?」
まわりにいたパパとママたちが、毒気でも抜かれたような顔をした。しばしの沈黙。男二人が女一人を配偶者だと言い切っている。
私はどうしようかと悩む。確かに、この男二人は私の夫だが、それはある意味間違っているわけで、どうし――
そこで、ドンと脇から突き飛ばされるような衝撃がした。
「あんた、あたしと同じレースかもしれないよ!」
振り返ると、黒髪をきゅっとゆい上げ、粋な姉御肌のママがいた。私を助けてくれたのだと思う。みんなの戸惑いから抜け出せるようにしたのだ。
しかし、私はうっかり、そのママを指し示して、
「私の妻です」
とみんなに紹介してしまった。妻の配偶者が妻。他のパパとママたちが驚愕に染まる寸前に、さっきの男たち二人は、黒髪の女に視線をやって、
「それもオレの妻だ」
「それも俺の妻です」
収集がつかないほど、おかしくなってしまった。私たち四人の関係は。まわりにいた人々はとうとう声さえも上げられなくなった。
「…………」
シーンと静まり返った、子供の運動会のバックヤード。グラウンドの歓声と躍動感のある音楽が遠くから聞こえるだけ。しかし先生だけは平常心。それなのに、私はさらなる混乱を招いてしまった。
「ある意味これは正しくないんです。どうすればわかって……」
私は考える。私たちの状況をどうすれば、他の人々にきちんと理解していただけるのだろうかと。そうこうしているうちに、男二人がお互いを指差して、
「オレの夫だ」
「俺の夫です」
夫婦ではなく、夫夫。まわりの衝撃はさらにひどくなり、時が止まってしまったかのようだった。
しかし、私――いや私たち三人の妻が女は度胸と言わんばかりに、開けっ広げに言った。
「こういうのは、ドーンと全部言ったほうがいいんだよ。よく聞きな」
前置きをした妻の口から出てきた内容は、史上最高に複雑な関係だった――。
「うちは夫が十人で妻が十一人のバイセクシャルの複数婚してるんだよ。それが事実だから、あとは受け入れるだけだよ、あんたらがさ。戸惑っても事実は変わらないだろう?」
事実は小説より奇なり――
受付の先生は、明智といえば、バイセクシャルの複数婚をしている家族が一つあると理解していた。だから、先生だけは何が起きても驚かなかった。
人生の理解力を深めている保護者たちを置き去りにして、私たち夫婦は次の障害物競走について話し合う。
貴盛の姉として走る私は、妻のさっき言った言葉で、自分が何をやらかしたかわかった。
「あ、そうか。私、本家で出場するから……」
「あたしたちとライバルだよ」
本来なら仲間のはずの、粋でいなせな我が妻が競争相手になるとは思っても見なかった、小学校の運動会。その上、無感情、無動のはしばみ色の瞳の持ち主――夫はこんなことを言ってのける。
「俺が同じレースかもしれん」
「えぇっ!?」
私はびっくりして、床から一メートルほど飛び上がった。何を言っているんだ、この夫は。しかし、銀の髪とオレンジ色の鋭い眼光の夫が、声をしゃがれさせて割って入った。
「腕力が一緒だろ。からよ、夕霧とてめぇで走るかもしれねぇぜ」
「いや〜! あの縮地と一緒に走るの?」
私は頭を両手で抱えて、床に崩れ落ちた。あの半周も差をつける人と一緒に走る。しかも、夫なのに。戦わなくてもいいのに。というか、客席で他の配偶者とともに応援しているはずなのに。なぜ、こんなことに……。
私は両手を冷たい床につけて、大きくため息をついた。
「どうして、弟の願いを受け入れて、本家代表で出ちゃったんだろう? 婿養子と嫁のみんなと敵だなんて……」
私は気持ちを入れ替えて、すくっと立ち上がった。
「でもまあ、なかなかこういうことないから、面白いね!」
明智分家の話は彼らのペースで進んでいたが、未だに他のママやパパは意識が現実へと戻らなかった。
何がノーマルだろうか?
私たちにはバイセクシャルの複数婚がノーマルなのだ――
おしまい
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