フローズン・トランキライザー

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 卵をボールに割る。混ぜる。  百均で買った四角い小さいフライパンに油をひき、うすーく卵を流し入れる。じゅっと音がした。  少しずつ、卵を菜箸で丸めていく。  作っているのは玉子焼き。私の玉子焼きは甘くないものだ。おかずなんだもの、甘いのはおかしいってずっと思っている。  二種類分作っていて、一つはじゃこ、もう一つには紅生姜を入れている。それぞれ五等分に切ると、一つずつ組み合わせてお皿に並べた。  きんぴらごぼうは、カップに入れて五等分。  ミートボールは十個作って二個ずつセット。  混ぜ込みご飯は二種類。五個ずつおにぎりにする。  それらを同じ大きさの五つのタッパーにそれぞれ詰めて、そのまま冷凍庫に。  これが平日の私のお昼ご飯になる。  土曜の夕方にタイムセールで食材を買って、日曜の午前中にまとめてお弁当を作る。地味で無趣味な私の唯一の楽しみだ。  いかに材料費を安く仕上げるか。いかに効率良くおかずを作るか。そんなことを計算して、自分の頭の中のタイムスケジュールに沿って動く。それがたまらなく楽しい。  自分の想像通りにことが運ぶことほど、楽しいことはこの世にはない。  毎朝、冷凍したタッパーを一つ取り出すと、保温機能のついたお弁当バッグに入れて会社に行く。 ITコンテンツ系のうちの会社では、お昼の時間というのは決まっていない。各自思いついた時にとる。始業が十時と遅めな ので、大体みんな十三時ごろにお昼をとることが多い。 私はいつも十三時半からをお昼の時間と決めている。できるだけ、この時間にとりたい。十三時から会議がある日とか、少しばかりいらっとする。  会社の片隅にあるレンジに持ってきたお弁当をつっこみ、温める。  ケータイ片手に冷凍したものが溶けるのを待つ。 「あ、今日もお弁当ー? えらいねー」 「あ、はい」  同僚にかけられた声に曖昧な返事をする。曖昧な返事になってしまう。  ああ、息苦しい。  私はただ、レンジの中でくるくる回るタッパーと向き合いたいだけなのに。  こういうとき、会社って、社会って苦手だと思う。  あたためたお弁当を持って自席に戻る。 「あ、ちょっと」  蓋を開けようとした時、コーダーさんに声をかけられた。 「あ、お昼だった? ごめん」 「あ、いえ......なんですか?」 「ここの画像、リサイズして欲しくて......。これだとちょっと うまく入らなくって」 「あ、はい」  お弁当が冷めていく。  自分のペースで生きていけないから、社会は苦手だ。  話を終えて、直したらメールしますと告げると、ようやくお弁当に向き直る。  すっかり冷めてしまったけど。  お弁当の蓋をあける、この一瞬が好きだ。 空気を吸う。  お弁当のおかずの匂い。まざりあった匂い。  それから、私の家の気配。  冷凍して、閉じ込められて、会社まで持ってきた、我が家の気配。  お弁当を冷凍しておくのは、女子力アップのためでも、節約のためでもない。  家の空気を会社に持ってきたいからだ。  心の平穏が乱れる、一日の真ん中頃に精神を安定させたいからだ。  本当に家の空気が凍って入っているのかどうか、なんてどうでもいい。私がそう思うことが大切なのだ。  私がそう思って、そういうペースで進められるかどうかが、大切なのだ。  家の気配が会社の空気に混ざっていく。  それを感じながら、玉子焼きを食べる。さすが私、美味しい。  食べ終わったら、画像を直さないとな、と思う。  ディレクターの仕様書どおりに作ったのに、なんで私が直さなければいけないのか。甚だ面倒だ。  私は会社に、社会に向いていないのだと思う。何がなんでも家に帰りたくて仕方がない。家にずっといたい。心がひきこもりなのだ。  ミートボールは上手にできているけど。  だからこそ、私はお弁当を作り続ける。そうしてかろうじて、社会の一員のふりをしていることができている。  きんぴらごぼうも上手にできているけど。  食べ終わったタッパーの蓋を閉める。  さよなら我が家。  家に帰るまで、あと何時間?
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