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私にとっての食といえば、何だろ、というのが正直な感想だ。
これといって食にこだわりがあるわけじゃない、この食べ物はこれじゃないとダメだとか、この料理は自分の手でやらないと気が済まないだとか、広島風だとか大阪風だとか、そういうものはない。かといって、極端に食がないわけじゃない。興味は多少なりともある。旬で、タピオカがブームになれば食べたくなるし、行列が出来ても『やってやるよぉ』と並んじゃう。
あぁ、そうか。
私にとって食とは、時間なのかもしれない。
空間といってもいいか。
時間と空間を並べると哲学がはじまりそうだが、語るつもりはなくて、私にとっては食を取る際に使用した時間だとか方法だとか、そういうのが大事なんだ。宝それ自体に価値があるのではなく、宝を得るために用いた方法が大事なのだよ、ワトソンくん。
だから、私が食を語るとあいつと二人で、の記憶が一番鮮明に思い出せる。
これといって、大事なことを語ったわけじゃない。
大学生の頃。
何になりたい、という明確な願いはなく、でも映画は好きで、だけど、映画業界に入れると思っておらず、高望みして女優になれるなんて願ってなくて、夢を見ていなくて、まだ十九歳という微妙な年頃なら多少抱いてもいいのに、カケラもなくて。
「勝手にふるえてろ」
喫茶店。
まちまちの客数。
くるくる回るプロペラ、天井。小さい丸いテーブル席。
私と、彼。
なんか、いきなり言われた。
「意味分からない、死ね」蹴った。
「いてっ。ご、ごめんよ。ほら、ちょっと言ってみたくて」と、彼は言った。
別に付き合ってるわけじゃない。
友達、ともだち?
何だろうか。
友達と言うには、親しみを感じない。ただ、こいつとはサークルが同じで、もう行かなくなったけど、趣味が合うってだけの話だ。
趣味とは映画だ。
喫茶店は、いわゆる純喫茶と呼ばれるもので。喫茶店の使命として雰囲気のある空間を提供するが、ここは七十年代か八十年代で止まったかのような内装だ。木目の床は軋むが、多くの足跡らしきものを刻んでいるように見える。汚いだけとも言えるが、壁には昔の漫画本が飾ってある本棚、レコード棚なんかは古風なアイドルのものばかりが並ぶ。実際、今店内で流れてるのも私が知らないアイドルのだ。あまちゃん、昔の朝ドラに出てきそうな曲がこの店を支配する。
小さくて、丸いテーブルの上には、店主自家製のガレットが置かれてる。
ここの店のガレット、あんまり上手じゃない、ちゃんと四角になってないし、でもそば粉が良いのを使ってるのか味は良いので、よく注文する。
コーヒーはうまい。
私と彼、鏡合わせのように同じものを注文する。ガレットとコーヒー。
学生の頃、いやこのときも大学生だったのだけど、高校生ではあまりお金もなく、あってもつまらないことにお金を使い、カラオケ代だとかそういうので、雰囲気ある喫茶店や映画館で映画を鑑賞するだのは、しなかった。
なので、私はこの行為をとても新鮮に感じ、愛していた。
映画。
私達は映画を見終えたあとに、必ず近くにある喫茶店に寄る。
「しかし、あの映画館あんだけボロいのに最新の映画も扱ってて、ありがたいよね」
「それ、感謝してるのか、けなしてるのか」
「感謝してるよー」
と、ずずっ、と彼はコーヒーを飲む。
めがねをかけて、髪はろくに整えていない、冴えない男。しかし、映画に関して無垢な精神を持ち、いつも無駄に語る。
「でも、あの女優。朝ドラでは脇役だったじゃん。それが今では映画の主演を務めるほどになってさ。てか、日本映画のトップの一人になってさ、胸が熱くならない?」
「そのうち胸焼けになるよ」
私は冷めた態度を取る。
彼は熱いまなざしを向ける。
「お前な、せっかく日本映画が良くなってんだぜ。それこそ、昔は漫画の実写化、どれもやる気のない、どーでもいいのばかりだったけど。いや、あれ漫画じゃないけど」
「おいおい、どこにケンカ売ってるんだ、あんたは」
「でもさ、段々と良くなってきてんじゃん。愛国心があるわけじゃねーけどさ。やっぱ、胸がわくわくしないか? こういうの」
「そうかなぁ」
私は興味なかった。
今でも興味ない。
だって、そこに私はいないし。
いくら、日本映画が活力もどしたところで、そこに私はいない。映画業界に関わってるわけじゃなく、ただそれを眺めるだけの脇役だ。私はそう感じている。今も。
1
男と付き合ったことがある。
付き合ってみて分かったが、男は意外と女々しい。あ、これは差別表現か。性差別。というか、女の私が男に女々しいって言う状況って何だ、馬鹿馬鹿しい。
「お前、オレのこと見てないよね」
高校の頃まで、いつも日向にいた私が大学のサークルではがんばって、それなりに人間関係を作って彼氏もできて、ヤッター、となったらこれだ。
所詮、人には器が決まっていて、その器が入る穴にしか入れない、ということか。
私の器は、SNSとか、インスタ映え、とか。そういう言葉が似合いそうな場所に合わない。どうにも、苦手だ。彼が好きというんで試しにやってみたが合わず、彼はオレが好きなものを彼女が好きにならないのはおかしいという思想を持っていたため、精神がやつれてしまった。
その挙げ句が、あのセリフだ。
大学生活で、あ、こりゃダメだ、と人間関係を一時リセットに多大な労力を費やした。そのおかげで、何回か学校辞めようかなとも悩んだけど、やめた。若手イケメン俳優や小説家が、中退するのとはわけが違う。私が中退したところで、どうなる。翌日から社会人、いやニートか、働かなきゃいけない状況、無茶言うなって。
「この映画、つまらねぇ」
雰囲気のある老舗な映画館。
昔の映画や、マニア向けのものを流すだけじゃなく、一般向け、最近の映画も流したりする。そこで、彼と会った。
彼は、サークルの飲み会で一度だけ顔を見たことがあった。
ちらっ、と映画館から出るときに目が合ったのだ。
彼は、そのまま会釈して去ろうとする雰囲気があったが、大学のことでもやもやして、気分転換にと映画を見てこれまたもやもやして、もやもやが百を超えて二百パーセントぐらいになっていた私は、つい話しかけた。
「あの映画、つまんなくなかった?」
そしたら、彼は語るは語るは。
「あの映画は映画を舐めてる! 舐めてるよ、ぜったい!」
事務所の政治で選ばれたような下手くそな俳優陣、一応サスペンスなのに冒頭から犯人が分かりそうな典型的なもので、それお前、犯人奥さんだよ、って奴で。
「僕は、僕はあーいう映画があるのが許せない。……ちきしょう、僕は、僕は一体なにをしてるんだ」
「喫茶店でだべってるんじゃない?」
きっかけは私だったのに、随分と冷めてる私。当時からか。
それ以降、どういうわけか、彼と出くわすようになり、映画を見終えた度に感想を言い合う。ついには、LINEで連絡を取り合うようになり、小学校の図書室の図書カードで次に彼は何を借りるのだろうという流れの青春映画よろしくみたいな展開は終わり、最初から意気投合して、気になる映画を見るようになった。
外国のドキュメンタリーや、大衆向けは絶対しない芸術的な作品などなど。
映画館はボロっちく、いつ潰れるか分からない。映画館って、みんなでかいものと思っていたが、私が最初にあの映画館に抱いた印象は「ちっさ」だ。二階建てじゃなく一階建てで、平屋で、掛け軸をかける程度しかないスペースのチケット受付があり、館内に入ると一人が両手を広げたら通れなくなる狭い通路、そして、教室くらいの広さにあるスクリーン。
客席は都心にある映画館のようなふわっとした椅子ではなく、二時間ぐらいするとお尻が痛くなる。ほんと、何でこんなとこにと思うこともあるけれど、意外と私はここが気に入っていて、ここで映画を見るのは映画通というか、ちょっとは詳しくなれた気がする。ここに来ただけでだ。実際はそれほどでもなく、映画秘宝やその手の雑誌をたまに買うぐらいなのだが、そして、あの冴えない男と見終わった映画の感想をだべるぐらいなのだが。
でも、これが楽しいのだからしょうがない。楽しい?
いや、自分で言ってて何だが、楽しいとは違うか。気が、ラクなのか。
サークルの空気の読み合いというか、剣豪同士が対決するシーンのように殺気すら匂わせて、必死に相手の間合いをはかったり、なんかしたりしていた。アホくさ、どうしてサークルでそこまでがんばらなきゃいかんのだ。
「僕さ、アニメが嫌いな評論家が嫌いなんだけど」
「おいおい、それ多くの映画評論家にケンカを」
「そこが問題なんだよ。日本のアニメはあれだけ評価されてるのに、未だに評論家に至っては毛嫌いしてるのばかりだろ。名の知られた映画評論家で、昨今のアニメに好意的なのいる? みんな内心、こんなのばかり流行っている日本映画業界滅んでしまえと思ってるでしょ。てか中には公言してるのもいるでしょ」
「いや、まぁ、いるけどね。でも、世代的にしょうがないんじゃない? 私だって、もう若い者の文化でついていけないのあるよ」
「いやいや、何でもかんでも世代だとか時代だとかで片付けるのはよくないんじゃないかい」
「まぁ、昔は映画だって毛嫌いされて、あんなのは文化じゃないと言われたくせに、自分らは新しいものは認めないのかよって思うけど」
「僕よりきみの方がストレートだね」
「でも、私、映画評論家で好きな人も多いしなぁ。あの人たちのおかげで、巡り会えた傑作は数知れずだよ。いいじゃん、そこはさ、温かい目でさ。温かい目で」
「温かい目でねぇ、僕にそんなことができるかな」
彼は死んだ。
2
人間って、こんな簡単に死ぬんだなと驚いた。
あいつ、階段を踏み外して、頭の打ち所が悪くて死んだらしい。
それを聞いて、ちょっと笑いそうになった。こらえたけど。
そして、葬式行って、あいつが死んでも別に普段通り過ごして、映画を見て、あの喫茶店に、ああ、と。そこでやっと、あいつが死んだのだと自覚した。
映画を語る相手がいなくなり、私の感想はどこにも行かなくなった。
どうせ、ツイッターなんかに呟いても、どうでもいいものにばかりコメントがいって、「いいね!」されて、終わりだろ。いや、そこで人が集まるのが良いってわけじゃない。違うんだ。あんなものとは違うんだ。
別に好きでもなく、友達という認識もなかった。
だけど、この感情はなんだろう。
さびしい。
映画を語る相手がいなくなった、この感想が宙ぶらりんだからか。
それとも、映画を語り合いながら喫茶店でめしを食べるのが好きだったのか。何が言いたいかよく分からなくなってるが、ともかくさびしい。
数年後。
私は大人になり、社会人になり、再びあの映画館で映画をみて、帰りに喫茶店に寄った。
私はとあるIT企業に就職した。SEO対策などネット広告関連の事業を行っている会社で、アルファベット並べるとかっこいいが、やってることは、はてなブログで映画の感想を語るのと変わりない気がするものをやっている。映画は好きだったが、仕事にしたいとは思わなかった。情熱=好きってわけじゃないんだな。あの頃は、三十%くらいは映画関連の仕事に就くのかな、と未来を妄想したが、あてにならなかったな。所詮、私だ。
コーヒーとガレットを注文し、相変わらず下手くそだなぁ、と笑みを浮かべつつ、コーヒーはうまいとフォローする。
向かいの席に彼はいない。
いや、何回も言うとあいつのことが気に入ってたように勘違いされるか。恋愛感情も、友達としての認識もないのにね。じゃあ、一体何だったんだろうと考えるが、あいつはこの空間にとって、招き猫というかキャラクターもののぬいぐるみというか、そういう存在だったんじゃないかと考える。
「これが、昔の日本映画だったらご大層な曲をBGMに死んだあいつがCGで蘇るのかな」
派手に光の粒が現れて、徐々にあいつの形になるっていうCG。うわぁ、これを作った奴は死んだ方がいいで賞を確実に取るわ。
「……ま、現実だから、これぐらいで許してよ」
誰もいない向かいの席に、コーヒーを掲げた。とくに反応はない。そりゃそうだ。これは映画じゃない。
(了)
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