夢を食らう

1/1
前へ
/1ページ
次へ

夢を食らう

 よっ、大将。やってるかい?  んん? 何だ、人間が居るなんて珍しいな。  嬢ちゃん、隣、失礼するぜ。  俺は(ばく)。  嬢ちゃん、獏って何か分かるかい?  そう。人の夢を食って生きる、その獏だ。  人間は、悪夢を見ても獏がそれを食っちまえば二度とその夢を見ることはないなんて言いやがる。おかげで随分とありがたられて。結構なことだ。  けどな、俺達が善意でそんなことをしてると思うかい?  ああ、そりゃそうだろう。獏は慈悲深い"ホトケサマ"じゃないんだ。こっちにも利益が無きゃあなぁ。  知ってたかい? 嬢ちゃん。  人の夢ってのはな、美味いんだ。  なに、知らなくたって当然だ。なんせ、人間の夢なんて人間自身には食えやしないからな。  ところで嬢ちゃんは、どうしてこんな所に迷い込んじまったんだ。  ああ、すまんな大将。「こんな所」ってのは、店のことじゃなくて、この世界のことだ。  分からない? 気付いたらこの店の前にいて、大将が見つけて中に入れてくれた?  おやおや……。  まあ理由が分からなくたって、これも何かの縁だ。  どうだい、一杯付き合っちゃくれないか。もちろん、俺の奢りだぜ。  おっ、良いかい? ありがとな。  それじゃ大将。いつものやつ頼むよ。ふたり分な。  嬢ちゃん。この店はな、活きの良い夢が食えるんだ。  人間にとっちゃ夢を食うなんて機会、そうそうないだろう? たんと味わっていったらいい。  おっ。早速来たぞ。ありがとな、大将。  まずこれだが、何だと思う?  ああ、酢の物で合ってる。これは、逃げる夢の酢の物だ。  ほら嬢ちゃん、食ってみな。  蛸みたいな噛みごたえ……? へえ、蛸ってのはこんな食い物なのか。  ああ、俺は人間の食う物は食ったことがないからなあ。  うん美味い。夢の中で全力で脚を動かしてるから、こんな弾力が出るんだろうな。  これは……、子供の見た夢か? 兄妹と、ああ、親父さんやお袋さんも一緒に逃げてるな。一体何に追われてるんだか、可哀想になぁ。  夢の内容が分かるのかって? そうか、嬢ちゃんは人間だから分からないのか。  獏はな、食った夢の内容が「視える」んだ。感じ取る、とも言えるかもな。視えたその内容も、獏にとっちゃ旨味の一部なんだ。  おっ、その顔は引いてるな? まあ無理もないわな。  ……と言いながらも食うんだな、嬢ちゃん。良いねえ。いい食いっぷりだ。  ところで嬢ちゃん、酒はいける口かい?  おお、そりゃあ良い。飲みな飲みな。  おっと大将、すまねえな。もう出来たのか。ありがたい。  嬢ちゃん見てみな。マグマみたいに煮立ってるだろう。どんな夢を使っているか分かるかい?  これはな、火事の夢だ。熱いだけじゃなく辛いから、気を付けな。  はっはっは。言わんこっちゃないな。大丈夫か?  美味い? そりゃあ良かった。この鍋は、ただ辛いだけじゃない。コクが深くてな。一度食べるとやみつきだ。  ううん、美味い。  え? どんな夢が見えたかって? 聞きたいのかい?  そうか、嬢ちゃんがそう言うなら教えてやるかな。  燃えてるのは……どこかのアパートだな。寒空の下に、住人が避難してる。何人も担架で運ばれているが……重症者は居ないらしいな。  この夢の主は随分と具体的な夢を景色を見たもんだ。しかも新鮮だから、夢に見た情報がまだはっきりと残ってやがる。美味い夢だ。人間にとっちゃ、見たかない夢だろうけどな。  しかし、火事の夢だって知りながら内容を聞きたがるなんて、嬢ちゃんは肝が座ってるなあ。  何、怖いもの見たさ?  はっはっは。なるほどな。肝試しか。いいねえ、気に入った。  嬢ちゃん、飯を入れる余裕はあるかい? とっておきのがあるんだ。  よしきた。それじゃ大将、あれ頼むよ。  気になるかい? まあ待ってな。すぐに来る。  ほら来た。ありがとな。大将。  そう、混ぜご飯だ。まずは食ってみな。  苦い? だろうなあ。けど、その苦味が良いだろう?  そうだろう、そうだろう。  さて、この混ぜ込んである具はどんな夢だと思う?  大怪我をする夢? ううん、それじゃないな。いや、傾向は近いかもな。  これはな。  死ぬ夢だ。  まあそんな顔するな。夢だって言っただろう。  冷めないうちに俺も食うとするか。  うん……、美味い。こりゃあ……飛び降り自殺か。地面に向かってひたすら落ちていく。  ああ、安心しな。決定的なところまでは視えてない。ただ、落ちていくだけだ。  ああ、すまないな嬢ちゃん。火事は大丈夫でも、これは駄目だったか。悪いことをしたな。  もうそろそろ、帰るといい。  帰り道が分からない? そうだったな。  そっちの世界と繋がる列車が走ってるから、それに乗ればきっと帰れるだろう。駅まで送るぜ。  大将、今日の分はツケといてくれ。また近々来るわ。  ああ、美味かったぜ。  嬢ちゃん。列車に乗ったら、決して窓の外を見ちゃいけないぜ。  目を瞑って寝てたらいい。  ああそうだ。最後にもうひとつ。  知ってるかい? 獏が夢に出るってのは、縁起の良いことらしい。  だから嬢ちゃん、そんなに人生に悲観することは無い。生きてりゃあそのうち、良いことがあるさ。  じゃあな。嬢ちゃん。  もう、こんな所に迷い込むんじゃないぞ。  目を開けると、知らない天井が広がっていた。  起き上がろうとするとあちこちが痛み、口の周りは透明なカバーで覆われていることに気が付いた。これは、何?  ――だから嬢ちゃん、そんなに人生に悲観することは無い。  つい今しがた獏から聞いた言葉が、不意に蘇る。  そうだ、獏。  私はさっきまで、「獏」と居た。獏と一緒に夢を食べ、店の看板が並ぶ薄暗がりの通りを歩き、列車へと乗り込んだ。目を瞑ったところまでは覚えている。  思い出そうとすると、ズキン、と頭が痛んだ。  そう、私は獏と夢を食べた。あの夢は。獏から聞いた夢の内容は――。  私が生きた現実だ。  あれは、誰かの見た夢なんかじゃない。  白で満たされた病室に、機械を通した電子の心音が響いていた。 〈終〉
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加