最高の食事

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最高の食事

 その日、帝国の首都・ニクマレニアの闘技場には多くの人々が詰めかけていた。  広大なアリーナを階段状の座席がぐるりと取り囲み、一つの空きもなくニクマレニア市民が座っていた。彼らの視線は、一様にアリーナの中央で繰り広げられている“死闘”に向けられていた。  それは、文字通り生死をかけた闘い。剣闘士と雄ライオンの一騎討ちだった。ライオンが剣闘士に飛び掛かり、鋭い爪で“餌”を引き裂こうとすると、剣闘士はひらりと身をかわし、横腹を斬りつけようとする。観衆がどよめく。しかしライオンは、その大きな図体からは考えられないような機敏さで身を捩り、一撃を躱して着地。そして両者は間合いを取り、弧を描くようにゆっくりと歩きながら対峙する。じりじりとした睨み合いが続くかと思いきや、今度は剣闘士から斬りかかっていく――。  その様子を、群衆を見下ろすように高い位置に設けられた特別席で眺める男がいた。男は黄金の冠をかぶり、きめ細やかな刺繍が施された紫のマントを羽織っていた。男の名はニクマレヌス。自らの名を冠した都市を建設し、新たな都と定めた、この国の皇帝だった。そして今日のこの催しは、遷都を記念するとともに、民衆の鬱憤を晴らす、いわばガス抜きのためのパフォーマンスだった。ニクマレヌスは、新都建設費用に加え、度重なる遠征のために民に重税を課していた。皇帝といえど時には民におもねらなければ、その座を転覆されかねなかったのだ。  ニクマレヌスは豪奢な玉座に腰かけていた。玉座の脇に置かれたテーブルには、鶏の丸焼き、スパイスでふんだんに味付けした牛のステーキ、殻を剥いた生牡蠣、マッシュルームの蜂蜜煮、焼き立てのパン、そして赤ワインと、彼の眼前にいる庶民は一生のうち一度も口にできないような食事が並べられていた。それら豪華な品々を、ニクマレヌスは腹の空くままに貪っていた。 「ふむ。血湧き肉躍る闘いを見ながらの食事は最高だ。ほら、お前ももっと前で観戦するがよい、ウラミヌス」  ニクマレヌスが肉を頬張りながら呼びかけると、背後から男が現れ、玉座の横に恭しくかしずいた。ウラミヌスと呼ばれたその男は、ニクマレヌスの重臣筆頭、この国の第二の権力者とも呼びうる者だった。 「はっ。それでは私めも観戦させていただきます」  そのとき観客席から悲鳴が聞こえた。アリーナでの“死闘”の決着が付いたのだ。地面に真っ赤な水たまりが大きく広がり、その端には跳ね飛ばされたのであろう、剣が突き刺さっていた。勝者はライオン。憐れな剣闘士の頭はライオンの牙と爪でずたずたにされ、闘いはライオンの公開お食事会へと転じてしまった。 「何だ、もう終わりか。すぐに次の剣闘士を出場させよ。酒ももう一杯」    気だるそうに呟いて、ニクマレヌスが赤ワインをぐいと飲み干した瞬間。 「がっ……⁉」  ニクマレヌスの口から鮮血が零れ落ち、杯に注がれた。  ニクマレヌスが、苦悶と、何が起きたのか分からないという混乱の入り混じった表情を浮かべながら視線を下に向けると、銀色の刃が彼の胸を貫いていた。 「な、ぜ……?」 「陛下の贅沢な暮らしを支えるために、民は貧困にあえいでいる。陛下が死ぬことこそ、民の望みです」  皇帝の問いに、重臣は宮廷で政策について訊ねられたときのように答えた。皇帝を玉座ごと剣で刺した男は、他ならぬ寵臣、ウラミヌスだった。ウラミヌスがゆっくりと剣を引き抜くと、ニクマレヌスはどさりと玉座から崩れ落ち、自分から噴き出した血でできた海に沈んだ。  その瞬間、闘技場が歓声に湧いた。  民衆の誰かが呟いた。 「これで少しは、うまい飯が食える」
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