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プロローグ
「・・・じゃぁ・・・キス、させて?」
ちょっと考えた後、水川(みながわ)美優(みゆ)さんはこんな提案をしてきた。
私の所属する岬ヶ丘女子高演劇部の公演に、彼女に出てもらう約束をかけた期末テストの勝負で・・・私が負けた。
負けたら、私が彼女の言うことを一つ、聞く約束だった。
「え?今・・・なんて?」
「あ、えっと、だから、キスさせてくれる?」
「・・・今?」
「今」
「・・・・あ・・・えと・・・」
私は・・・まさか、想い続けて来た夢が現実のものになるなんて思わなくて、頭の中が混乱した。それでも、こみあげる嬉しさと、恥ずかしさと、戸惑いと、ないまぜになった気持ちで、ちょっと日焼けした、愛しいその顔をまっすぐ見つめた。
「は・・・・はい・・・」
私は、心の準備を整えて、しっかりこの瞬間を、私自身の気持ちを見つめるために、彼女の顔をまっすぐ見続けようと思った。
思ったのに・・・本当は、あこがれ続けた彼女と、こんな罰ゲームみたいな形でキスすることになるなんて、悔しさも同時にこみあげてきて、なぜか涙があふれて頬を伝った。
彼女は止まったまま、じっと私の顔を見つめている。
なんで・・・なんでキスしてくれないの?
「な・・・何してるのよ・・・は、早くやっちゃってよ」
つい、いつもの調子で言ってしまった。
「・・・・」
「何やってるの?はやく・・・はやく済ませればいいでしょ?」
ちがう・・・私が言いたかったのはそうじゃない。それでも、キスしてほしくて、じれったくて、もどかしくて。
どうしてキスしてくれないの?ねぇ、早くキスしましょう?
すると、彼女は、ふっと目をそらしてつぶやいた。
「やめた・・・泣いてまで嫌がる貴女に無理してキスしても、あたしが悲しいだけだし・・・」
「えっ・・・?」
なんでーっ?なんでそうなるのよ!キスしようって言ったの、貴女でしょ?
私、もー我慢できない。せっかくのこのチャンスに、貴女とキスできないなんて!
もういいわ。嫌われても。
悔しいけど、私は貴女を好きになっちゃったの。こんなチャンスを逃すなんて、私らしくないし。
「・・・いくじなし・・・」
私はそうつぶやいて、愛しい貴女にキスをした。
ああ、幸せ。もう思い残すことはないわ。思った通り、見た目より柔らかな唇。つやのある肌、陸上で引き締まった身体・・・抱きしめたい・・・
もっと、もっと。心の赴くままに、貴女を味わいたい。抱き寄せて、唇に舌を這わせて・・・いつか見た何かの舞台の、あの熱いキス・・・体の芯からとろけるような、あの感じ・・・本当、素敵・・・
「んっ・・・」
水川さんが、私の舌を受け入れてくれた。柔らかな舌の感触が、私の心をいやがおうにも持ち上げていく・・・
もう・・・もう・・・ううん・・・もっと・・・でも・・・・
「はぁ・・・」
私はそっと、彼女から離れた。彼女の唇と私の唇の間に糸が伝った・・・私はその糸を、そっとハンカチでぬぐい、彼女の唇をぬぐい、私の唇も拭いた。
もう、心が彼女しか見えていなかった。思いが自然と口をついて出た。
「・・・好き・・・」
「え?」
はっと我に返った。
「・・・2度は言わないわ・・・」
「あ・・・えっと・・・あたしのこと・・・嫌いだったんじゃ・・・ないの?」
一瞬、途方に暮れた顔をして、彼女が聞いてきた。
そんなわけ・・ない・・
「・・・・あ・・・いえ・・・」
入学した時に初めて見て、一瞬で恋に落ちた・・・
陸上部で走っている姿を見て、もっと好きになった。
痴漢から助けてくれて、愛になった。
私と勝負して、ちゃんと勉強して私に勝った。
こんな素敵な女性に出会ったことは無い。
私・・・どうしよう。やっぱり、伝えたほうがいいかな・・・
伝えたい・・・うん。伝え・・・よう。
「・・・じ、実は・・・初めて見た時から・・・好き・・・でした・・・」
恥ずかしい・・・こんなことなら、あの時、「女同士で盛りあがって、疲れちゃうわ」なんて言わなければよかった・・・好きなのに・・・こんなに好きなのに・・・
「え?だ・・・だって・・・」
ダメ。もう顔を見れない・・・彼女、黙っちゃった・・・そうよね・・・こないだ言ったことと、今したこと、全然一致してないもの・・・もう・・・いいわ。
嫌われ確定。人生初の、自分からの告白。失恋で終わるのも一興よね。
「い、いいのよ、軽蔑してくれても・・・だって、あんなこと言った女が、実は一番、女同士の恋愛に熱をあげてたって・・・おかしな話でしょ・・・だから・・・」
そう言った矢先に抱きしめられてキスされた・・・
「んっ・・・」
え?・・・ 私に、私からじゃなくて、彼女から、キスしてくれた・・・嬉しい・・・嬉しい・・・ああ・・・
「・・・あたしも・・・好き・・・」
キスを終えても、彼女は私を抱きしめ続けてくれて、耳元でそうささやいてくれた。ああ、届いた・・・自分からキスして良かった・・・もしかして・・・本当に愛されている・・・
「・・・嬉しい・・・」
本当に幸せな気分になると、涙がこぼれるんだと、初めて気がついた・・・
お互いに、お互いを充分感じたあと、ゆっくり体を離した。
「あたし・・・島崎さんが・・・好き」
「・・・」
私は目を合わせられなかった。彼女のスカートのすそが風に揺れた。目の前の、憧れの、彼女が、私に・・・本当に、本当なんだ・・・
「だから・・・付き合ってください。」
「・・・はい」
改めて見た水川さんの顔は、半泣きの素敵な笑顔だった。あまりに素敵なその笑顔に、私は思わず頬っぺたにチュっとキスをしてしまった。
水川さんは、驚いた顔をして、また私の顔を見つめて来た。今度は私もちゃんと見つめ返せた・・・やった・・・♪
「二人きりの時は、優依(ゆい)って呼んで?」
「うん。じゃあ、あたしの事は、美優って呼んでね?」
「ええ、そうするわ・・・あ、でも、誰かがいるときは、苗字で呼び合いましょう?」
「え?どうして?」
「だって・・・恥ずかしいじゃない?」
「うーん・・・分かった。優依がそうしてほしいなら、そうする」
本当に、優依って呼んでもらえた時の、この嬉しさは・・・何?
私・・・もう・・・ああ、本当に幸せ・・・
「あ、部活・・・忘れてた!優依、君は?部活行かなくていいの?」
突然、現実に引き戻された。あー、もう、良いところだったのに!でも、しょうがない。行かないと。
「あ、うん。私も行かないと・・・じゃあ、また・・・明日・・・」
「えっと・・・今日、部活って何時まで?」
「多分、6時半かな・・・」
「あたしんとこの陸上部も、6時半にあがるから、一緒に帰らない?」
嬉しい・・・
「ええ、それじゃ、終わったらメッセージいれてちょうだい?」
「分かった」
そう言って、ふたりで屋上から降りる階段に向かった。
夕日がもうほとんど落ちかけていて、あたりは夕焼けのオレンジ色と、青から藍に変わる空とが、どちらからともなく寄り添っていた・・・
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