第1話 夢の始まり

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第1話 夢の始まり

 このまま恐怖を感じることもなく、死ぬことができたらどれだけ幸せなのだろうか。死ぬまではいかずとも、頭がおかしくなることができたらどれだけ幸せなのだろう。  だがそんな理想とは裏腹に、僕の心は中途半端な位置で健康を保っていた。元気とは言えないが、病気なわけではない。心が健康であるなら一層のこと、体の方が壊れてしまえばいい。しかし残念なことに体の方も不調になる様子はなかった。  体を不快に揺らす電車の中、物騒な考えが脳裏を埋めつくしていく。破壊衝動や自殺願望があるわけではない。そんな僕でも、物騒な考えがよぎってしまう程に現状にまいっていた。  朝起きて電車に乗り職場へ向かう。職場では嫌味を言われながら、終わることのない量の仕事をこなす。そして終電間際に家路へとつく。家に帰ってからは死んだように眠りにつく。  この単調かつ苦痛の時間が永遠と続く。気がつけば曜日感覚が失われていき、今日の何日だか分からなくなっていく。これならいっそのこと、頭がおかしくなってしまった方が楽だ。おかしくなるどころか、死んでしまった方がましかもしれない。  しかし先ほども述べたが、僕には自殺願望があるわけではないし、自ら命を絶つ勇気などあるわけもない。もし僕にそんな勇気があったのなら、すでに僕はこの世界に生きてはいないだろう。  臆病なため自ら死を迎えることができない僕は、ただじっと突発的な死がやってくるのを待ち続けた。死ぬことができずとも、せめて頭がおかしくなれという願いをこめて日々をやり過ごしていた。  もちろん、今のところ望む成果がやってくる様子はない。願えば願う程、それをあざ笑うかのように体調不良から縁遠くなっていく。不健康な人間からしたらさぞ羨ましい状態なのだろう。  ストレスの原因の一つである満員電車は、そんな僕に構うことなく、淡々と目的地へと車輪を滑らせていた。夏の暑さと、車内の狭苦しさで殺伐とした空間の中に、「次は有楽町、有楽町」という呑気なアナウンスが流れる。  人混みとその数の不満に囲まれながら、窓の外を眺める。外を見てみれば、都心にふさわしい高層ビルが多く立ち並んでいる。その隙間を大勢の人間が、流れを作りながら進んでいく。  電車から見える風景は、雲に遮られどこか暗さを孕んでいた。これが単純に視覚的な要因なのか、精神的な要因なのかは分からない。区切られた窓から見える空は、暗さも相まって狭く低く感じられる。  子供のころは、空はもっと高く広かったような気がするが、今はそんな風には感じられない。これをひとえに成長と呼ぶのかもしれないが、そうだとするならこれほど悲しい成長はない。これでは気分転換どころか、余計に具合が悪くなりそうだ。  そんな暗い空を眺めていると、急に1人の女性のことを思い出した。なぜ思い浮かんだかは分からないが、ひどく懐かしい記憶が蘇っていく。どうして僕は、この人のことを忘れていたのだろう。  おおよそ女性とは無縁の人生であった僕が、たった一人、多大なる影響を受けた人物である。しかし、それほど僕の人生に影響を与えたにも関わらず、僕は女性の容姿を完璧に思い出すことができなかった。  ぼんやりと覚えているのは、短く切り揃えられた黒髪に、若干幼さの残る服装。風に乗りふわりと漂うほのかな甘い香り。そして二人で眺めた時計台。そういった抽象的な映像だけが脳内を駆け巡っていく。  そういえば、壊れることができたらどれだけ幸せなのだろうかと言っていたのも、その黒髪の女性であった。きっと女性は今の僕と同じような状況で、あの日々を生きていたのだと改めて知ることができた。  そして当時の女性に近づけたと喜びを感じる半面、全然あの人の気持ちに気付いていなかったのだということも痛感した。あのときの僕は、どこかに辿り着きたい一心で毎日をがむしゃらに生きていた。自分では気づかなかったが、人のことを考えるほどの余裕すらなかったようだ。  最近は仕事に追われて、昔のことを考えることが一切なかった。いつからこんな風になってしまったのだろうか。果たして今の僕は、あの時の僕が望む場所に辿り着けているのだろうか。  確かに今の僕は、あのころ思い描いた場所に到着しているのかもしれない。しかしそうしているうちに、自分の心や肉体がボロボロになっていては意味がない。今では昔のような純粋さこそ必要だと痛感してしまう。結局は、己の心が完全に満たされることはないのかもしれない。  それでも心の中で失われないものも確かに存在した。それがあの女性と過ごした夏の日々である。今まで完全に心の奥底へと隠れていたが、一度思い出すと、あの当時の思い出がどんどん溢れ出てくる。  三年前の初夏から、秋にかけての約3ヶ月間。就職活動の合間に出会った黒髪の女性。名前も知らないあの女性との日々は、今思い返すと光に満ちあふれていた毎日だった。  「今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます」  紙面に張り付けられた無機質な文字列。もう何度目になるか分からない、不採用を伝えるメッセージ。なんとなく予想はできていたが、目に見える証拠として改めて確認すると、嫌な気持ちになってしまう。  もう二度と関わることはないのだろうが、自己否定をされたような気がして不快な思いが立ち込める。そもそもなぜ、こんな不快な思いを赤の他人から浴びせかけられなければならないのか。こんな否定的な会社、こっちから願い下げである。  見ていてもストレスが溜まるだけなので、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ放り投げる。自己否定を感じさせる通知は、綺麗な弧を描きゴミ箱へ落ちていく。就職活動もこれだけ綺麗に済んでしまえば良いのだが、そう現実は甘くない。  就職活動を始めて、気がつけば4ヶ月が経過していた。3月の頃に感じられた肌寒さはすっかり消え去り、気がつけばうだるような暑さだけが体と心を蝕んでいた。  就職活動を始めた当初は、周りを見渡せば、これからの未来に対する不安や、期待を抱いた同世代で溢れかえっていた。少し耳をすませば説明会がどうだの、自分の就職活動に対する報告だのノイローゼになるまで聞こえてきたことが記憶に新しい。  しかし、この時期にもなるとそんな輝かしい姿をした人間はほぼいなくなっていた。あの妙に明るい雰囲気が苦手だった僕には、ありがたい限りである。  明確なビジョンを持った人間は、無事に己の目的地へと辿り着いていた。中にはまだ内定が決まっていない者もいたが、明確なビジョンをもっている人間は、それに裏打ちされた自信のようなものを持っていた。きっとその者たちはしっかりと自分の目指している場所に行き着くだろう。  そうして目標へ辿り着く者がいる一方で、周りには危機感のない愚か者か、行くべき場所が見つからないそれ以上の愚か者しか残らなくなっていた。そして当の僕は、誠に残念ながら行くべき場所の分からない愚か者であった。  行くべき場所が見つからないというよりは、やりたいことが見つからないという方が正しいのかもしれない。とにかく、僕にはなにかをやりたいという目標が一切なかった。  それは今に始まったことではない。物心がついたときから、何をしたいのかというのがさっぱり分からなかったのだ。周りの子供が、子供なりに夢を語る中、僕だけが何も夢を語ることができずにいた。どうしてそんなことを語れるのかと、疑問に思ったことも多々あった。  その最たる例が、小学校一年生のときの作文である。お題はありきたりの「将来の夢」というものであった。幼心に、なんと無意味な題目なのだろうと思ったものだ。こんなことを語る暇があるなら、他の勉強をしていた方がよっぽど有意義ではないかと考えていた。もっともそれは自分ではどうにもできない問題だから、皮肉を言って自分の正当性を保とうしていただけである。小学生のうちからそんな皮肉を考えるあたり、あきれるほどのへそ曲がりっぷりである。  さらに問題は作文の内容だけではなかった。授業の内容がその作文を国語の授業中に作成し、授業参観で発表をするという形式であったのだ。今にして思えば当たり前のことのようにも感じるが、当時の僕はなんてことをしてくれるんだと激しい憤りを覚えた。  担任からの発言を聞き、文句を言うもの、張り切るもの様々な生徒がいた。しかし最終的には、皆が発表用を作文の制作に取り掛かっていた。そしてその輪から完全に外れてしまったのが僕である。  周りが子供ながらに将来の夢を語る中、僕だけが何も発言することができなかった。そして皆が文章を書き始めても、僕の指が動くことはなかった。いくら考えても、将来のビジョンが脳内に描かれることはなかった。描いた先から、消しゴムでイメージを消されていくような感覚が残った。  一向に何も書かない僕を見て、担任が相談に来てくれた。担任は極めて優しい声で、なにかないのと尋ねてきた。もちろんそれが分かっていたら、すでに作文はできているので答えは沈黙であった。  始めは辛抱強く待っていた担任も、授業が終わるころには呆れ返っており、放課後に居残りを命じられた。  そして、放課後の間も作文が書きだされることはなかった。皆が楽しげに家路につく姿を、机を睨みつけながら耳で送っていっただけである。周りを見渡してみても、僕以外は皆作文を終わらせていたようだ。僕と先生だけの気まずい沈黙が教室を満たしていた。  ひたすら続く沈黙の時間も嫌だったが、それ以上に嫌だったのは、なぜ書けないのかという無言の圧力であった。直接言葉に出されたわけではないが、どうして何も書けないのかという圧力だけは感じられた。沈黙という圧力が、夢を語れない僕を責めているような気がしてならなかった。  沈黙の時間は結局夕方まで続いた。下校を告げるチャイムが鳴る中、今日中に親と相談してもいいから書いてこいと言われて、ようやく解放された。  もちろん、家に帰って作文用紙を開くことはなかった。家では極力作文のことを忘れるように努め、ひたすら別のことに時間を費やした。子供心に罪悪感あったのだが、書けないのだから仕方ない。そんな言い訳の下、僕は用紙を取り出すことなく一日を終えた。  そして迎えた授業参観日。僕の手元には白紙の原稿用紙だけが寂しく残っていた。周りが意気揚々と発表をする中、僕の順番が回ってきた。当然のことであるが、発表などできるわけがない。ひたすら沈黙を続けていると、担任に深いため息をつかれて、もう座ってよいと言われた。  さすがに授業参観という場であるため、その場で説教ということにはならなかった。しかし、周りからのどうして何も書けないんだという視線が心に深く突き刺さった。別に僕だって好きで、発表をしなかった訳ではないのに。  それからは、周りの楽しげな発表を聞くたびに心が軋んだ。その発表すら、僕を責め立てているような気がしたのだ。僕はうつむいて唇を噛みながら、この時間が過ぎ去るのを黙って待っていた。  しかし同時に、どうして責められないといけないのかと疑問にも感じた。皆が当たり前のように夢を語っているが、本当にそれが正しいことなのか疑問に思ったのだ。なぜ何も語れないことが悪いことなのか、僕にはまったく理解できなかった。  そんな捻くれた感情を引きづっているうちに、気がつけば歳も22になっていた。相も変わらず、夢を見いだせない僕は大学でも孤立気味になっていた。いじめなどがあったわけではない。しかし、小学生の頃に感じた疎外感のせいか、僕は周りとの距離感を縮めることが極端に苦手になっていた。そしてそれが顕著に表れるようになったのが、現在苦しめられている就職活動であった。  就職活動が本格的に始まる3ヶ月前から、説明会やガイダンスなどがありうんざりしていた。しかしそれ以上にげんなりしたことは、自分自身の将来と向き合わなければならないということであった。  なにをするにしても、自分のやりたいことは何だとか、目標をもって活動してほしいといったことを数え切れないほどに聞かされた。別にそんなこと考える必要ないだろうと思ったが、とてもそう言いだせる雰囲気ではなかった。  そして周りの人間もそれにそそのかされてか、各々が身勝手な夢を語り合った。その異様に明るい雰囲気にひどく心が疲れていった。目標がないのに、周りはそれを健全に語り合う。そういった光景が、僕を否定しているようにしか思えなかった。これでは小学生の時とまったく一緒である。  つくづく思うのだが、どうして周りの人間はそう簡単に夢を語ることが出来るのだろうか。生まれてもう22年になるがまったく理解できない。自分でも周りとは極力同じような生き方をしてきたつもりなのだが、どこでこれだけの差がついてしまったのか不思議でしょうがない。  周りの大人に振り回され、とりあえず夢を語っている愚か者ならいくらか納得がいく。すぐ周りの影響を受ける愚か者だと心のうちでほくそ笑んでいただろう。  しかし周りを見渡してみると、さも己の意志で語っていますよと言わんばかりの自信で満たされている。仮に騙されているとしても、己の中でそうだと決定してしまえば、それが答えになるのだろう。  そんなことを懐疑的に思案していたが、僕もそのままでいるわけにはいかなかった。小学生の時の発表とは異なり、今回は黙っていても問題が解決するわけではなかったからだ。とりあえず動かないことには働き口が見つかることはまずない。  もちろん僕だって、労働なんて死んでもやりたくないがそういわけにもいかない。親が放任主義ということもあり、大学に入ってからはほとんど干渉してこないからである。地元を離れ東京にやってきてから、最低限の仕送りだけをもらうという関係がずっと続いているのである。  そしてその仕送りも学生生活が終わったらもらえなくなる。そうなると自分で稼いでどうにかするしかない。実家に戻るという選択肢は、親からなしだと宣言されている。いい大人になるのだし、自分のことは自分でどうにかしろとばっさりと切り捨てられた。  就職できないからと帰ってくるくらいなら、家には入れないと宣言された。なぜそこまで厳しいのかと思いもしたが、反論したところで意見は変わりそうになかったのでそれさえ諦めた。  そのこともあり、僕は何としてでも働き口を見つける必要があったのだ。さすがに大学を出たとたん無職というのは嫌だった。無職のまま人生を楽しむ手段もあるのだろうが、僕はそれを簡単に受け入れられるほど楽観的な性格でもなかった。それに、つまらないプライドがそれを許さないと奥底で叫びをあげていた。  とはいえやりたいことがなかった僕は、とりえず目についた企業を片っ端から受けていくことにした。本来ならやりたいことを考えながら、就活を行うのだろうが僕の場合はそれが無理だった。その結果、数打てばあたるという考えで就職活動を進めていった。  しかしその行為が成果に結びつくことはなかった。受けても受けても、お祈りメールが届き続けた。多くは書類選考の段階で落ちていたし、面接までいっても一次を突破できることは基本なかった。  もしかしたら無意識のうちに、目的がないということが漏れ出しているのかもしれない。そして、それをあっさり見抜かれ落とされていく。あるいは単純に自分の魅力がないという答えも存在したが、さすがにそれはないと信じたかった。それにもしそれが事実なら、今さらどうすることもできない。  さらに僕はどれだけ落ち続けても、就職課や周りを頼ることを一切しなかった。就職課に向かえば否が応でも、自分の目標などを無理やり言わされるし、周りの気味の悪い明るさにもついていける気がしなかった。そうしているうちに、僕はすっかり孤独になっていた。  そんな僕に構うことなく、周りは気味の悪い明るさを貫き、内定を得ていった。そんな姿に嫉妬し恨みながら、僕はがむしゃらに就活を続けていた。もちろん、そんないかにも不健全そうな人間をほしがる企業などなかった。そして気がつけば、就職活動が始まって4ヶ月が経過していた。  布団に一人横たわり、今までのことを思い返していると虚しさと苛立ちだけがこみ上げてくる。こんなときに誰か、そばにいてくれる人がいるだけである程度状況は変わるのかもしれない。  しかしこうも捻くれた人間に、寄り添ってくれる人など当然いるわけがない。あわよくば女性と仲良くなりたいとは思ってはいるのだが、偶然か必然かそのような機会は一度もめぐってはこなかった。  皆が夢を語れることと同じくらい、理解が及ばないものは女心だと思っているくらいである。こんな僕に、女性との健全な付き合いなどできるわけがない。  結局はアルコールを摂取して、ストレスを意識の底に沈めるという自暴自棄な方法しか選択肢がなかった。ひどく寂しい方法だと思われそうだが、お酒が一番手っ取り早くストレス発散ができるのだ。それにお酒は夢を語ったりはしないから気が楽だ。  物がほとんど置いてない台所に向かいお酒を探してみるが、あるのは使い古したスポンジと洗剤だけだ。いつもはお酒を数種類はストックしておくのだが、ちょうど切らしていたらしい。今日はとことんついていないようだ。  今夜はアルコールを摂取することを諦め、素直に就寝するという選択肢も存在する。しかし、この苛立ちを残したまま心地よい眠りが訪れるとは到底思えなかった。やはり今みたいな状況にこそ、お酒は必需品であると切に感じた。  どうせ家にいたところで、嫌な考えが堂々巡りするだけである。それならいっそのこと、お酒を求めて外に飛び出す方がいくらか健全な気がした。僕は苛立ちを抑えてくれる友を求めて、外の街へと飛び出していった。  外に出ると、初夏の心地よい冷気が全身を包みこむ。昼間は嫌になるほど暑くなるが、それも夜になるころにはいくらかましになる。程よい気温に誘われて吹きつける風が、より快適な涼しさを運んでくる。  夜の街は昼間の活気を失い、静けさだけを迎え入れている。道行く人もそれにつられてか、どこか疲れているような満足感を得ているような表情をしている。  僕は夜の街を歩くことが病的に好きだった。そもそも散歩自体が好きなのだが、その中でも特に夜の散歩というものが好きだった。昼間とは違い、人が少ないということが僕の気を楽にしてくれる。それになにより、昼と夜では街の様子が大きく様変わりする姿をみることが好きだった。  昼間通った道でも、夜に通るとまったく別の表情を見せてくれる。いつもは賑やかなのに、夜になったとたん静けさがその場を支配する。逆に夜になると、賑やかになる場所も存在する。  そういった多様性のようなものに強く魅力を感じた。さらにその多様性を、僕だけが独り占めすることができる。これほどの贅沢はないだろう。  僕は暇なときや、眠れないときはこの感覚を味わうために何度も街へと繰り出した。大体は近くを一時間近くうろつくだけで終わるのだが、長いときは一晩中外をうろついているということもあった。  こうして一人、誰もいない道をうろついていると、急に孤独感に苛まれることが多々ある。一人でいることをこよなく愛していても、いざ本当の孤独に立ち会うと、ひどく不安に感じてしまうのだ。  しかしこの孤独感さえも、僕は大事に心に留めておいた。到底理解してもらえるような感情ではないのだろうが、僕はこの孤独感も夜の散歩の醍醐味だと考えている。  思うに新の自由とは、孤独や不安の中にこそあるのだろうと僕は考えている。誰の制限も受けずに、自分の好きなことをやる。そこには前例というものが存在しない。だからこそ孤独感や不安を感じるのだ。例えるなら大海原のど真ん中に突然突き落とされるような感覚だ。  周りと同じように生き、皆が歩いているレールを歩こうとしている僕では、まず得られない感覚である。僕だって我が道を行き、自由な人生を謳歌したいと思ったことはある。  しかし、明確な目標などない僕には、そんなだいそれたことはできない。そんな僕を自由という名の大冒険へと誘ってくれるものが夜の散歩だ。だから僕は簡易的に自由を味あわせてくれる夜の散歩を愛しているのだ。  夜の街を味わいながらあてもなくさまよっていると、一軒のコンビニを見つけた。人もいない街中に、常にぼんやりと立つコンビニには言い表せない安心のようなものがある。来る人を皆受け入れる普遍性のようなものを持っているのだろう。  そしてコンビニを見つけたことにより、ようやく自分の本来の目的を思い出すことが出来た。今回はお酒を買うことが当初の目的であった。  あてもなく歩いたことにより、ストレスもいくらか発散されたが、やはりお酒を買うことに決めた。今は大丈夫でも、これからもお酒は絶対に必要になるという確証があった。コンビニに入り、いくつかお酒を目にしたが、なかなか満足のいくものが決まらない。  するとお酒の棚の端に、小さいサイズのウイスキーが置いてあるのが見えた。子供が好む飴のような色をしたお酒が、ひどく魅力的な輝きに見えた。いつもなら大きめのサイズを買い、それを炭酸で割り少しずつ飲んでいるのだが、今日は散歩しながら飲んでもいいかなと思えた。  自分がウイスキー片手に夜の街を徘徊している姿を想像したが、なんだかひどく寂しい姿しかイメージできなかった。いい年をした男が、お酒を片手にさまよっている姿はどう考えても浮浪者か不審者のようにしか想像できない。  しかしそんなこと知ったことではない。せっかく自由の時間を過ごしているのだし、周りのことなど気にする必要もない。周りを気にしたくないから、この時間に散歩をしているのだ。それに寂しい姿とは客観的事実であるのだし。  決心が変わらぬうちに、急ぎ足でウイスキーをレジへと持っていく。深夜の店員独特の気怠さをまとった態度で、こちらを一瞥される。雰囲気的に未成年かどうか考えているようだが、何事もなく値段を言われる。会計を手早く済ませてから、コンビニをあとにした。再び夜の街に繰り出していく。今度はウイスキーを片手に。裸の安物ウイスキーを持っているだけで、かなりの哀愁が漂っていそうだが、そこは気にしないことにする。  ウイスキーを開け、カラメル色の液体を喉へ流し込んでいく。喉が焼けるような感覚とともに、意識にもやがかかっていく。体の芯がアルコールを受け入れ暖まっていく。思った以上の強さに驚きながらも、口へと運ぶ作業はやめなかった。  程よいまどろみの中、街を彷徨い続ける。当初はお酒を買ったら、さっさと帰ろうと思っていたが、どうも気持ちよくなってきて帰る気がなくなってきた。明日も会社説明会と選考があるが、このまま夜通し歩くのも悪くない。  説明会に出始めたころに感じていた緊張感も、この時期になるとすっかりなくなり、惰性で就職活動を行っていた。これも内定がもらえない理由だと思ったが、今は深く考えないようにした。  そんなことを考えていると、突然目の前に公園が現れた。もちろん公園は最初からそこにあるのだし、突然出現するなんてことはありえない。ここまで近くになるまで気付かないのは、ひとえに僕が酔っぱらっているだけである。  酔いを醒ますのも兼ねてここで休もう。そう考え公園の中へと入っていく。公園の中央には、時計台を兼ねた大きな遊具がおいてあった。時計台を中心に登り棒や滑り台、ロープなどいくつかの遊具がまとめられたものが存在した。  そして、その斜め手前にはブランコ。奥には少し上を歩ける階段に、公衆トイレが併設されている。公園全体は街灯が少ないこともあり、全体的に薄暗い印象を覚える。  まどろむ意識の中、ここに見覚えがあることに気付く。公園の向かい側を見てみると、大きな幹線道路に車が行き来している。そして道路の上には、ローカルなモノレールが静かな音をたて走っている。なんてことはない、ここは僕の家から五分程度のところにある公園であったのだ。  結局一時間くらい彷徨い歩いた末に、僕は家のすぐ近くまで戻ってきていたのであった。いつもは歩かないような道を進んでいたつもりだったが、無意識のうちに知っている道を求めていたのかもしれない。急に冒険を遮られたような白けた気持ちになってしまう。  しかし、家が近くにあるからといって帰るかと言われたら、答えは否であった。せっかく程よく酔っているのだし、もうしばらく外の空気を吸っていたかった。  それに家に帰ると否応なく明日やそれ以降のことを考えなくてはならなくなる。今はそんなことを考えたくはなかった。今はなにも思考しない状態で、有限の時間を盛大に散らしていきたい気分なのだ。  僕はそのまま公園へと入り、近くのベンチに腰掛けようと近づいた。しかし公園自体が暗いことと、僕自身が酔っていることもあり、そこに先客がいることにすぐそばに行くまで気付くことができなかった。  すぐそばまで行き、人の存在に気がついたが今さら遅い。完全にこの人に話しかけにきたような雰囲気になってしまった。  僕の存在に気付いてか、その人影が顔を向ける。もちろん正確に見えたわけではないのだが、顔を動かすような動作をしているとは分かった。徐々に目が暗闇になれていく。そして視界が完全にクリアになるより前に子供のように甘ったるく、馬鹿にした声で  「やあ青年」  とそのシルエットから声をかけられる。声を聴いて始めて気がついたが、その人影は女性であった。
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