第4話 夜の逢瀬

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第4話 夜の逢瀬

 「結局君は私の予言通り、毎日ここにくるようになったね」  彼女は子供をおちょくる様な口調で僕のことをからかう。僕は確信を突かれたことと、結局彼女のいいなりになっている事実が腹立たしくなり無視をつらぬく。彼女はそんな僕の様子を楽しそうに眺めている。  女性と初めて公園で会ってから、早くも二週間近くが経っている。僕は彼女の宣言通り、それから毎日この公園に通っていた。彼女の予言通りになったのは腑に落ちないが、心の底から楽しいと思っている自分がいた。  毎日ゼミの活動や就職活動を行い、その合間にこの公園に通う。土日は会わないという方向に話が決まったので会うのは平日のみ。その代わり平日の夜には彼女と会うという予定が組み込まれた。  彼女と会うときは決まってお酒とつまみを持ち込み、踏み込んだ話を行わないというルールを徹底して守り続けた。いつも二人で、今日はいい天気だねーとか、夏だからどこどこに行きたいという無意味な話ばかりをしていた。  僕たちは二人でどこかに行こうなど約束はしたが、それが実現されることはなかった。あくまでも僕たちの関係は、この公園の中で完結していることが大切なのだ。この公園から出て、二人で会うという考えは一切なかった。  彼女は飲み慣れた酎ハイを片手に鼻歌を歌っている。この二週間近くで分かったのだが、彼女はお酒に飲むと鼻歌を歌う癖があるらしい。目の前にある時計塔を眺めながら、上機嫌に体を揺らしている。  始めは不審な女だと思っていたが、公園での逢瀬を重ねるうちに、その評価も変わっていった。個人的な情報は聞き出せていないが、少なくとも何か詐欺にかけたり人を騙そうとしているわけではなさそうだ。単純に僕を話し相手として扱っていることはなんとなく分かった。  身元の分からない僕と、生産性のない話をする女性。綺麗な容姿と心地よい声音を持つ女性。僕のことを小馬鹿にして、子供のように僕をからかう女性。それが今、僕が持ちうるこの人に対する印象だ。  そして僕は、ほとんど何も知らない女性に少しずつだが惹かれていた。自分でもどこにそんな惹かれているか明確には分からないが、着実に恋心に近づいているという予感はする。  確かに容姿は整っているし、話していて気持ちが楽になると思うこともある。いや容姿に関しては、整っているというより素直に綺麗だと言えるほどである。誰もいない公園で一人月明かりに照らされる女性は、誇張抜きに女神のように思えた。  もちろん容姿が好みで、惹かれているということもある。しかしそれ以上に女性を意識するようになった出来事がある。あれは二人で会うようになってから10日くらい経ったころの出来事である。  僕と女性はいつも通り、公園にお酒を持ち込みくだらない話に花を咲かせていた。その日は女性の気が向いたという理由で、いつものベンチでなくブランコに腰掛け雑談をしていた。  互いにちびちびとお酒を飲み、飽きたら地面にお酒を置きブランコを揺らした。夏の生ぬるい風が、お酒を含んだ体を程よく冷やしてくれる。その勢いのまま、二人で限界まで漕ぐという単純かつ子供な遊びをして気持ち悪くなったのもいい思い出である。  小さいころは平気だったが、久しぶりにこぐと辛いですねと僕が具合悪く言うと、女性も確かにねと賛同してくれた。そのあと女性はブランコに限らずそういうことって多いよねと悲しそうに呟いた。女性にしては珍しく大人びた表情で呟いていたので妙に印象に残っている。  それから女性は表情をがらりとかえ、ブランコ飽きたとひょいと飛び降りる。そのころには先ほどの女性の姿はなく、完全にいつもの状態に戻っていた。  女性はそのまま近場に落ちている木の枝を拾い、目の前の開けた場所に絵を描き始めた。女性は上機嫌に鼻歌を歌いながら絵を仕上げていく。  始めは適当に描いているのだろうなとブランコから眺めていたが、思っていた以上に集中して絵を描いていた。始めは聞こえていた鼻歌も気がつけば聞こえなくなり、真剣な表情で地面に向き合っていた。  そのまま会話がないまま、女性は絵を描き続けた。始めは何か妨害でもしてみようかと考えたが、その考えもすぐに消えてなくなった。いつにもなく真剣な表情の女性は、とても魅力的に見え、ただ眺めていたいという気持ちが勝った。  それから5分くらいの時間が流れ、女性からよしという声が聞こえる。どうやら絵が完成したようだ。女性の表情からすると満足のいく内容のようだ。  ブランコから飛び降り、完成した絵を眺める。そこに広がる世界はどこか既視感を覚えるものがあった。ブランコに時計台とセットになった遊具。ベンチに座る二人の男女は、楽しそうに微笑みあっている。  これが一目でこの公園で過ごす、僕たちの絵だと分かった。ただ違いあるとすれば、この絵が童話チックな雰囲気で描かれているということだ。デフォルメされた二人と夜の公園は、どこか絵本の世界を思わせる仕上がりになっていた。  確かに趣向は子供向きなのかもしれないが、絵の完成度はすごく高かった。もしかしたら美術的なものをやっているのかもしれない。僕は柄にもなく、女性の絵を素直に褒めた。それを聞いた女性は嬉しそうにと微笑んだ。  「そう言ってくれると嬉しいな。私、小さいころ絵本を見るのがすごい好きだったの。それからよく絵本を見ていたんだけど、そうしているうちに絵を描く方に興味が沸いちゃってね。それから独学でずっと絵の練習をしてきたんだ。恥ずかしい話だけど、将来は絵本作家になってみたいんだ」  女性が絵を眺めながら楽しそうに話す。その楽しそうに夢を話す姿が周りの学生と一瞬かぶったが、そこには嫌悪感と言うものがなかった。いつもはふざけてばかり女性の真剣な願いは、嫌味な感じがなく純粋なものにしか見えなった。また女性の目標に対して一心な姿勢は、とても強く美しく見えた。  そんな女性の姿を感心しながら聞いていたら、いきなりはっと表情を変える。それからしまったという感じの表情を浮かべ、かわいらしくこちらを睨みつける。  「私、自分で決めた約束自分で破っちゃったよ。どうしてくれるの青年」  そう言われてようやく、女性が表情を変えた理由が分かった。確かに僕と女性がここで会うことの条件の一つに、互いのプライベートに関することは聞かないというものがあった。  先ほどの話は明らかにその個人の領域に関する話に当てはまる。ただ今回は僕から聞いたのでなく、女性から勝手に話し始めただけである。特に僕が文句を言われることはないはずだ。女性にそう伝えても納得はしていなかった。  「理屈は分かるけど納得いかない。……あ、そうだ。それなら私が個人的なこと話したから君も何か個人的な話してよ。それでおあいこになるよ」  女性が満足そうにうなずく。まるで自分の意見が完璧であることを疑っていないような表情だ。正直な話、理不尽かつ理解不能な話でしかない。  「なんでそんな滅茶苦茶な理由で、こっちのことを話さないといけないんですか。あなたの自業自得ですよ」  「えー、なによケチ。ちょっとくらい話してくれてもいいじゃない。話してくれないならこうだ」  女性が一瞬の隙を見計らって、地面に置いてあるお酒を奪い去っていく。返してほしければ自分のことを話してみせろ。女性は調子のよい口調で高圧的に宣言する。  最初は面倒なことになったなと思ったが、すぐに考えが変わる。よくよく考えてみたら、特に僕が自分自身のことを話すのに抵抗する理由がないなと。女性が条件に提示してきたからそれを守っているだけなのだ。なにも問題などなかった。  「まあ別に話してもいいですよ。今は大学に通っている学生ですよ。学年は四年なので現在就職活動中です。はい、これで条件は守りましたよ。お酒を返してください」  「そんな情報じゃ却下よ。別に学生なんて見てればわかるもん。当たり前のことを言っただけだから、条件通りじゃないもん」  理不尽なうえに、軽く傷つくことまで言われる。確かに特別大人っぽいとは思っていないが、そんな一目で学生と分かるほど幼いのだろうか。  それに当たり前のことじゃ認めないなんて話は一切聞いていない。そんなことならもっと真剣に話す内容を考えたと見当違いの恨みが沸き上がる。女性はそんなショックを受けている僕に構うことなく話を続ける。  「あ、今就活しているなら、どこに働きたいとかあるの。それか自分の将来の夢とか。私が自分の夢を言ったんだし、それを答えてくれたら対等だよ」  女性の無邪気な質問に一瞬顔が引きつる。今までうんざりしてくるほど、聞かれてきた質問。本来であれば、このような話を振られた段階で拒否反応が出てしまう。  しかし今日はいつもと違った。この空間のせいか、お酒のせいか、女性が夢を語ったせいかは分からないが、今日は自分の夢に対しての嫌悪感は沸いてこなかった。普段ではありえないほど、口は滑らかに言葉を発していた。  「自分の夢って全然ないんですよね。確かに最近そういった質問よくされるんですよ。けど僕には夢なんてそんな大層なもの思いつきもしません。というより必要だとも思いませんし」  「えー、そんなことないでしょ。ぼんやりとでも何かないの」  「本当に何もないんですよ。昔からそういった質問をされたら、絶対に何も言えなかったんです。けどそれじゃダメなんだって思ってます。だから今はがむしゃらに就活をしてどこかに辿り着きたいと思っているんです。理由はよく分からないんですけど、そうすれば自分が何をしたいのか、分かるような気がするんです」  気がつけば自分でも驚くほど熱心に自分のことを話していた。今までこれほど素直に自分のことを熱心に話したことは一度もなかった。そのことを自覚すると、急に恥ずかしくなってきた。  「まさかそれだけ熱心に話してくれるとは思わなかったよ。なんていうか若いね。それだけ純粋な思いがあるのは羨ましいな」  女性はいつになく大人っぽい雰囲気で僕に微笑みかける。また大人っぽさを含む中にどこか寂しそうな感情を含まれているようにも見えた。細かい感情までは分からないが、ただひたすらにその表情が美しいことだけは分かった。  「そんなこと言ってからかわないでください。子供っぽくてすみませんね」  大人っぽい女性の態度が余計に僕をドキドキさせられる。僕はそのことを悟られないようにそっけない態度で返答する。  「いや、全然子供っぽくないよ。ただ、そうやってがむしゃらに頑張る姿ってとてもいいと思うよ。……まあどちらにせよ、話してくれてありがとね。互いに今日は話しすぎちゃったね」  女性が反省反省と笑いかける。そのころにはいつもの無邪気な女性へと戻っていた。それから少し話をして、その日は女性と別れた。今にして思えば、この日をきっかけに女性のことをはっきりと異性として意識した日なのかもしれない。前々から魅力的な人だとは思っていたが、この日を境に感情は、徐々に恋心に変わっていったのではないかと思う。  夏の大学のセミナールームは人工的な涼しさに包まれていた。外で流した汗が体を冷やし、若干寒気がするくらいに冷え切っている。対象的に外では蝉が騒々しく鳴き、季節の輪郭をぼかしていく。  10人程度の人数で構成されているゼミでは、教授と生徒達が和気あいあいと研究内容と夏休みの予定について話し込んでいる。他のゼミがどういった雰囲気かは知る由もなかったが、僕が所属しているゼミは教授が緩いこともあり、毎回のんびりした雰囲気で講義が進んでいた。そんな中で孤立した雰囲気の人間は僕ともう一人くらいしかいなかった。  席だけはかろうじて近くに置きながらも、話には一切入らず、ただ外を眺めながら時間が経過していくのを待っていた。外では夏の日差しを避けるよう日傘をさしている主婦や、子連れたちがのんびりとした様子で各々の時間を過ごしていた。  外のことをぼんやりと眺めながら思うことは、あの女性のことばかりであった。この2週間近くの逢瀬で新たに分かったことは、将来絵本作家になりたいと思っていることぐらいである。あとは雰囲気的に、社会人であることも確かだと思う。相変わらずそれ以外は謎に包まれたままである。  しかし僕の方には明確な変化が起こっていた。最初はうさんくさい女性だと思っていたが、気がつけば寝ても覚めても彼女のことばかりを考えていた。自分でも情けない話だと思うが、身元が一切分からない女性に恋してしまっていた。  もちろん女性は僕をそんな風には思っていないということは分かっていた。女性からしたら、単に都合の良い話し相手程度にしか僕を思っていないだろう。  けれど今はそれでもよかった。単に毎日会って、たわいもない話をする。僕自身そういった非生産的な時間を愛おしく思っているのも事実だ。  しかし心のどこかでは本当にそれで良いのかと訴えかける部分もあった。もっと親密になって、プライベートでも一緒にいたくないのかと訴えかける心もいる。あわよくば恋人になってもっと彼女のことを知りたい。  だけどそうすると、今の心地よい関係性が崩れる可能性がある……  結局はこの堂々巡りを毎日繰り返すようになってしまった。そして気がつけば、毎日女性の子供のような笑顔だけが脳裏に浮かんでしまう。我ながら大した恋煩いである。  そんなことを考えていると、周りが静まり返っていることに気付く。何事かと思い視線を戻すと、教室内の目線がこちらに集中している。何事かと思い身構えると教授から、研究の進捗はどうですかと聞かれる。  どうやらぼんやりしている内に、僕の報告の番が来ていたようだ。それに対して全く反応を示さなかったので視線が集まっていたらしい。  「すみません。今週も就活がほとんどで全然進んでいません」  自分がやっていないことを最もらしい理由をつけて説明する。そのことを伝えると教授も、そろそろ研究の方もやらないとだから頑張ってねと、やんわりと注意がはいる。それだけを伝えて報告が次の人に回る。  以前は就活で出来ていない伝えると、進捗はどうか、どこかいいところを紹介しようかと尋ねてきたが、僕がやる気がないことに気付くとそういった追及はしなくなった。完全に見捨てられたともとれるが、僕としてはそちらの方が気楽であった。無理してゼミになじむくらいなら一人で物事を進めているほうがマシである。  それからも報告は進んでいき、皆が楽しそうに報告や相談をしている。僕以外に短時間で終わっている人間は一人しかいなかった。その一人も進捗を聞かれ、それを機械的に報告するだけで終わった。  それから最後に夏休みの予定について教授から説明があった後、ゼミそのものは終了になった。僕は終了と同時に席を離れ、教室から出ていく。教室内ではまだ、談笑を楽しむ予定なのかほとんどの人が残っていた。  教室を抜け外に出ると、人口的な涼しさは一瞬にして消え去り、真夏の日光が体に降り注いだ。まだ外に出て数秒しかたっていないのに、体は汗を流す準備を整えていた。  「おい、何ぼうっとしているんだよ」  降り注ぐ日光を眺めながらぼんやりしていると後ろから声をかけられる。振り向くと僕と同じくゼミから逃げ出してきた男が無表情で突っ立っている。無造作に伸びきった黒髪に使い古した短パンにポロシャツ、サンダルといったあからさまに服装に無頓着な様子の男は、こちらに気にすることなく前へと歩いていく。  「今日もいつものところでいいか?」  男の横に並ぶと、こちらを見ることなく平坦な声で訊ねてくる。肯定の意を示すと、そのまま無言の時間がやってくる。大学を抜け、5分ほど歩くとすぐにでも潰れそうなほど廃れた中華料理屋が見えてくる。  その店に躊躇なく入ると、営業中にも関わらず人はほとんどいなかった。僕たちの以外の客は薄汚れた老人しかおらず、その老人は一人でビールを煽っている。テレビもなく細やかなBGMとして流れるラジオは、電波が悪いのか途切れ途切れにしか聞こえない。  近くの席に二人で腰掛けると、店員が無言で水を運んでくる。そのまま二人で注文を済ませると、店員はそそくさと厨房へと消えていった。  目の前の男に目線を戻すと、水を飲みながら壁にかかっているメニューを眺めている。壁に掛かっているメニューは、うっすらと黄色く変色しており、この店の年月を感じさせてくれた。  目の前の男を見ながらふと考える。思えばこの男とこうして一緒にいるようになってから、それなりの時間が経った気がする。そんなことを考えていると目の前の男と目がある。「なにこっち見ているんだよ」 「いや、工藤ともこうして飯を食べるようになってそれなりに経ったなと思って」 「気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ」  素直に思っていたことを言うと、目の前の男工藤が勘弁してくれといった表情で言い返してくる。確かに自分で言っておいてなんだが、そんなことを男に言うなんてどうかしている。  しかしそう思いざるを得ないほどに、この男とご飯を食べているのは僕にとって異様な状態だということでもある。それほどに工藤は近寄りがたい人間のように思えたのだ。現に他のゼミのメンバーも工藤にはほとんど話しかけることはない。  初めてゼミのメンバーが集まったとき、自己紹介の段階で、就職活動なんてくだらないことはやらず、自分のやりたいことのためにお金を貯めている。と全員を否定するような発言から始まり、気を使って話しかけてくる人に、鬱陶しいから話しかけてこなくていいと言い切ったような人間なのだから人が寄り付かないのも必然と言える。  さらに質が悪いのが、それで成績がよいということである。一年の頃から成績が優秀で学科内で常にトップの成績を誇っていた。さらにとことん合理的に物事を考え、無意味な考えや行動を徹底的に否定していた。そしてそのことを躊躇なく周りに言うような人物であった。正直な話、僕だって関わりあいたくないなと思っていた。  そんな工藤と関わりを持つようになったのは、ゼミが始まって一月が経った頃である。周りが順調にコミュニティを作っていく中で、僕は周りになじめずにいた。5月になるころには内定をもらっている者もいたし、そうでない人もそれとなく目どのようなものが立っている様子だった。  その余裕からか皆で研究内容について和気あいあいと話している中、僕だけは就活も進まず研究に対してもやる気が起こせずにいた。その雰囲気を周りも感じ取ってか、気付けば完全に孤立していた。そして僕と同様に、工藤も近寄りがたいということで孤立していた。  そういった経緯で完全に孤立した僕たちは、ゼミが終わってから早々に教室から抜け出すようになった。初めて声をかけられたのも今日みたいに僕が早々に教室から離れたタイミングであった。  僕に声をかけるような人間などほとんどいないので何事かと思い後ろをみると、工藤がいつもと変わらない無表情でこちらを見つめていた。  何事かと思い身構えると、暇なら一緒にご飯を食べないかと予想外の誘いがかかる。今まで話したことのない人間からいきなり食事に誘われるのも驚きだし、その相手が周りに関心がなさそうな工藤なのだからなおさらであった。  いつもの僕なら確実に断っていたのだろうが、その日の僕はどういう訳か素直にいいよと答えていた。そう答えると工藤は表情を崩さず、じゃあ俺がいつも行っている店でいいかと聞いてきた。そして連れてこられた店が、今いる店である。  工藤曰くここまでくると大学の生徒がこない上に、客の入りもほとんどないという。だから昼食は毎回ここにきていると言っていた。 それから雑音のない店の中で、誰が聞いているかも分からないBGMに耳を傾ける時間が続いた。僕を誘ったからには何か話でもあるのかと思ったが、工藤から話を切り出すことはなかった。  無言の時間はしばらく続き、ご飯を食べ終わるまでほとんど会話がない状態が続いた。  「ところで今日は何故突然僕を誘ったんだ」  ずっと続く無言の時間に根をあげ、僕から工藤へと話しかける。すると工藤は何事もないよう声で理由を話す。  「そんな大した理由はない。強いて言うなら、お前が周りと違って変に浮ついていないというところが理由だな。それにお前も孤立しているから気軽に話しかけられたしな」  「随分とずばっと主張を述べるな」  自分の意見を遠慮なく無表情で語る工藤に思わず苦笑いがこみ上げる。そんな僕の表情をみた工藤はなにか変なことを言ったかと首をかしげる。  「そこはいいや。それより周りと違って浮ついていないってどういう意味なんだ」  「変に就職活動でそわそわしていないという意味だよ。今は周りを見渡せば夢だの将来だの自分勝手に語る連中があまりにも多いんだよ。それが見ていて不愉快に感じるんだよ。どいつもこいつも自分で進んで未来を決めているようだけど、その実態は周りのレールに乗せられているだけだろ。結局は無個性な生き方になっているのに、僅かな違いだけで自分のオリジナリティを確立した気でいる。見ていて滑稽でしかない」  工藤が淡々とした口調で語る。口が悪いという点も気になるが、それ以上に驚いたのは自分の考えと工藤の考えが酷似しているということだ。僕は周りに乗せられていると知ったうえで就職活動を行っているのに対して、工藤は意地でも自分の道を進むという点以外はほぼ一緒だと言ってもいい。  「ゼミが始まってずっと周りを見てきたが、ほぼ全員が浮かれているように見えて不快だったんだよ。だけど一人だけそうじゃない奴がいたんだよ。そいつも俺と同じように浮かれている連中に嫌気がさしているようだったが、無理してそれを隠していた。だけどどこかで馬鹿らしいと思っているところがあって、その感情がわずかに溢れている。それのせいでうまくなじめていないという感じがしたな。だからそいつとは気が合いそうだな思い話かけたんだよ」  説明が終わり満足したのかコップの水を一気に煽る。それからはまた無表情のまま周りにあるメニューを眺め始める。  「なるほどね。要は気が合いそうなやつがいたから友達になろうと考えて声をかけたと」  「別に友達になろうってわけではない。単に互いに暇つぶしの相手になるだろうと思いきっかけを作っただけだ」  工藤が無表情で返事をする。その不愛想な返事に思わず笑いがこみ上げてくる。この短期間で僕は工藤に対する嫌悪感や近寄りがたさがなくなっていた。  考えが酷似しているということもあるが、それ以上に工藤に対しては気を使わなくてよさそうだと思ったからだ。周りには何も期待していないという態度と、それを一切隠さない彼の姿勢が僕も自然体でいることを許してくれているように思えた。  「そういうことならこれからもこうして暇つぶしをするのも悪くないな。ただ君はもう少しその口調の悪さをどうにかできないのか。僕だから怒らないだけで、周りからしたらかなり感じが悪く思われるぞ」  いつもなら言わないようなことだが、工藤の態度につられてか、さらっと述べてしまう。少しは気分を害するかと思ったがそんな様子はなく、何を言っているんだという表情で僕を見てくる。  「俺は別に口を悪くしているつもりはないんだが口が悪いのか。別に思っていることを素直に言っているだけなのだが」  工藤がとぼけるわけでなくいつも変わらぬ様子で聞いてくる。それを聞いて僕は工藤に対してさらに親近感を抱いた。  工藤は別に好きで近寄りがたい発言をしていたわけではないことが分かった。ただ自分が思ったことを隠すことなく素直に言ってしまうだけなのだろう。ある意味では誰よりも正直者なのだと思う。それに元来の無機質な性格が合わさり、感じが悪く映ってしまうのだろう。  それで人によってはそれを空気が読めないと言って拒否感を示してしまう人が出てくる。そうでなくても今までの僕のように、距離感を置いてしまう人がほとんどなのだと思う。  ただこうして実際に話してみると、その素直さと無機質な感じがこちらの遠慮をなくしてくれるので話しやすいのだと気付くことができた。ある意味ではただ不器用なだけなのかもしれない。そうした不器用さも自分と重なり、余計に親近感が芽生えた。  この日を境に僕と工藤は、ゼミの終了後に一緒にご飯を食べるようになった。また互いに予定が合えば、工藤の持っている車を使ってあてもなくドライブをすることもあった。  工藤自身は非効率的なことはやらないと豪語している割には、僕と同じく無意味に時間を浪費することが好きだった。二人で出かけるときは決まって人が集まるところではなかったし、名所と呼ばれるところには一度も行かなかった。  人が全くいない広い駐車場やシャッターが下り切った商店街、そういった人の流れに置いて行かれた場所でくだらない話をすることが僕たちの間では流行っていた。  以前工藤にはこれは非効率なことではないかと聞いたことがある。それに対して工藤は、こういった無意味なことをやっていると心が休まるからいいと言っていた。確かに意味などないが、この時間があるから生産的なことを行うときに集中ができると言っていた。  一種の気分転換だと言っていたが、そういった考え方もあるのかと感心した覚えがある。僕みたいに単純に、人がいないところをぶらぶらするのが好きと言った理由より、よっぽど生産的な理由のように思えた。  そういえば僕や工藤と同じように毎晩無意味な時間を過ごしている女性は、どういった気持ちで夜の公園に来ているのだろうか。僕や工藤みたいに単純に無意味な時間が好きなのか。それとも何か別の理由でもあるのか。今晩会ったときにでも聞いてみよう。  最近は工藤と一緒にいるときにも例の女性のことを思い出すようになっていた。いや、工藤といるときだけでなく、日常を送っている中で僕の頭の中に女性が現れる頻度が確実に増していた。講義を受けていても、就職活動をしていても、工藤といるときでも彼女が何をやっているのかばかり考えていた。  「おい」  女性のことを考えていると、いきなり工藤から声をかけられる。意識を戻して前を向くと、工藤がいつもの無表情でこちらを見つめている。  「いきなりどうしたんだよ?」  「お前がまた上の空になっているから声をかけただけだよ。また例の女のことを考えていたんだろう」  またと言われたあたり、ゼミの最中も上の空だったことがばれているようだ。周りに興味がなさそうに見えて、実際はよく周りを見ているのだ。  「まあそうだけど、それがどうかした?」  「その女のこともう少し調べた方がいいんじゃないか。俺が言うのもなんだが、さすがに怪しくないか」  工藤の言葉の端からは、女性に対する不信感がはっきりと感じられた。工藤には女性と会っていることを話していた。女性と出会った経緯、逢瀬の理由、それから二人が会うための条件。それをすべて聞いたうえで、工藤は始めからこうして不信感を抱いていた。  「別にお前が思うような怪しい人じゃないよ。そんなこと出来るほど器用な人じゃないよ。それにもし詐欺とかの類だったら、もう何かしらの呼びかけがあるだろう」  「もっとお前との距離感を縮めてから何か声をかけてくるかもしれないだろ。それに仮に詐欺の類でなかったにしても、毎日会っていたらお前の日常に支障をきたす。というよりすでに影響が出ているだろ」  「なに、僕の心配でもしてくれているの。工藤にしては珍しいね」  「そんなんじゃあねえよ」  僕の適当な返しに工藤が言い淀む。工藤にしては珍しい反応が妙に気になった。  僕の心配をしていることも意外だが、工藤が言い淀む姿など初めて見た気がする。いつも合理的なことを一番に考えるため、自分の思ったことはどんなことでも躊躇せず吐き出す。それが僕の知っている工藤だ。  今のやり取りはどうにも工藤らしくなかった。明らかに歯切れが悪いし、僕に気を使っているようにも見えた。  「いつもの工藤らしくないな。どうかしたのか」  さすがに僕もその様子が気になり、工藤に質問を返す。それに対して工藤は、いや何でもないと返す。  「まあ、お前が大丈夫だと言うなら俺はこれ以上干渉はしないよ。お前が誰と一緒にいようがお前の自由だしな。ただ一点だけお前に言っておきたいことがある」  工藤がそれだけ言って一呼吸置く。そのわずかな時間だけ店内が異様に静かに感じられた。  「その女との関係の築き方には気を付けろよ。じゃないと二人とも嫌な思いをすることになるからな」  それだけ言って工藤は再び、周りにあるメニューへと視線を戻した。妙に真剣に話すからどれだけ重い話がくるのかと身構えていたが、内容の意味がさっぱり分からなかった。今の関係が互いにベストだと思っていたし、これで2人とも嫌な思いをする姿など想像できなかった。  このときはただ、工藤が珍しく僕のことを心配していたな程度にしか物事を考えていなかった。当時の僕はそれだけ浮かれていたし、彼みたいに客観的に物事を判断することが出来ずにいた。
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