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「香坂、もう出れる?」
「うん」
「車取ってくるから、外でちょっと待ってて」
古賀が、社用車の鍵が入ったクリアケースを持って事務所を出ていく。わたしはさっきまで直しを入れていた資料の内容と部数をざっと確認し、クリアファイルに挟んで鞄に入れた。
基本的にはひとりで取引先回りをするけれど、新規事業や新商品の紹介などで伺うときには、係長や課長同行ということが多い。上司の都合が合わないときは、同じエリア担当の古賀とふたりで外勤ということもあるのだ。
──まあ、仕事だから仕方ないんだけどね。今日は市内だし、ふたりで車に乗ってる時間もそんなに……あ、でもお昼を挟むのか。どこで食べよう。北区の方、何かあったかな。
「お、外勤?」
ランチができるお店をスマホで検索しながらエレベーターを待っていると、ここ数週間ですっかり聞き慣れてしまった軽薄な声が背後から聞こえた。
「……うわ、出た」
「何だよそれ。人を化け物みたいに言うな」
「化け物みたいなもんでしょ」
「なんか嬉しそうだけど──古賀と?」
どうしてわかるんだ──と返事をしないで黙っていると、「おまえ、意外と分かりやすいよなぁ」と川田が笑う。
そこでエレベーターが到着したので、わたしは奴の顔も見ずに乗り込んだ。わざと、カツカツとヒールの音を響かせながら。
「あ、今日はノー残業デーだからな」
エレベーターの扉が閉まる瞬間、憎たらしいくらいの爽やかな笑顔で川田が手を振っているのが見えた。だからどうしたんだ、と心の中で悪態をつく。
資料を詰め込んだ鞄が、肩にずっしりと重い。嬉しそうになんてしてない。仕事だから仕方ないでしょ?できればわたしだって、古賀と二人きりになんてなりたくない。
「好青年」の笑顔が、脳裏にこびり付いたように残っている。
お願いだから──もうこれ以上、わたしのペースを乱さないでほしい。
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