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もしも誰かが、自分を殺してくれたらどれだけいいか――森幸子は、よくそんなことを考えてしまう。
彼女にとって現実というのは、重く苦しいものでしかなかった。うまく笑うことも、楽しみを見出すことも、以前のようにはできなくなっていた。その代わり、悲しみや苦しみといった負の感情を鋭敏に感じ取り、そしてそれに埋もれてゆくことが増えていった。
感情の渦に巻き込まれながら、彼女が想うのは一人の男だった。
森和也――幸子の一人息子だ。
目尻が下がった優しい顔立ち、少し癖のある黒髪。我慢強くて人に優しい、綺麗な心の持ち主だ。
シングルマザーだった自分の元を離れ、新社会人として働き出したのが去年の春。そして同年の冬に、彼はこの世からあっけなく去ってしまった。
交通事故死だった。トラックに轢かれたのだ。
幸子は一人息子の突然の死に狼狽え、そして嘆いた。心労で入院するほど憔悴してしまった。
そして、病院のベッドの上で警察官から聞かされた事実は、衰弱した彼女をより追い詰めることとなる。
和也は赤信号にも関わらず道に飛び出したのだという。トラックの運転手のみならず、そこに居合わせた歩行者数名が、そう証言したらしい。
和也の友人によれば――彼は精神的にひどく追い詰められていたそうだ。勤めていた会社がブラック企業で、毎日上司に怒鳴り散らされていたらしい。
――彼は紛れもなく自殺だったのだ。
幸子にとってその情報は寝耳に水だった。息子がそんな過酷な状況に置かれていることを、母親である自分は全く認識していなかった。
時折会えば、楽しい話をたくさんした。会社での仕事はやり甲斐があって、上司も仕事熱心で協力的ないい人物だと、和也は話していた。
母親に心配をかけなくない――その一心だったのだろう。
何故彼の苦しみに気づくことができなかったのか。過去の自分を殺してやりたくなった。
一度でいいから――息子に会って謝りたかった。あなたの苦しみに気づくことができなくて、ごめん、と。
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