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  §  §  §  天幕の中に現れたのは、修道士風の男だった。  黒いフードを上げず、音もなく玉座に忍び寄る。  その怪しさと薄気味悪さでは、悪霊や悪魔が「一緒にするな」と怒り出すかもしれない。 「これはこれは、閣下。お早い晩餐でございますなあ」  枯れた老木のウロからせせら笑ってくる不快な声だ。  年齢不詳。男である以外は若者なのか老人なのかさえ判然としない。  フェリーヌは銀髪青年にワインの給仕を受けながら、ヤブ睨みする。 「そこで止まれ、クレマチス。  貴様のせいで、今夜のブルギニョンが冷める」  ブルギニョンは、〝牛肉の赤ワイン煮込み(ブッフ・ブルギニョン)〟のことで、グロワールの名物料理だ。  一般的なのは牛肉であるが、ウサギや鶏肉などでもよい。フェリーヌはフタツノウサギという魔物肉が最上だと思っている。  動物肉を蒸し煮という調理法でニンジン、タマネギ、ハーブやキノコ類とともに赤ワインでぐつくつ煮れば、ほろほろと柔らかい肉と妙味なスープのご馳走となる。 「それで? 予約もなしに、何用か」 「はい。我が導師より、言づてを持って参りました」  フェリーヌは頷きもせず、フォーク一本で牛肉を押しほぐす。が、すぐにその手を止めた。 「クレマチス。貴様。そこで余の食事が終わるのを待つ気ではあるまいな?」 「無論。我が導師様の御尊言です。  食事をしながら聞いてよいものではありませぬぞ」 「だったら、天幕の外で待て。慮外者が!」  フェリーヌはテーブルに置かれたナイフを掴むや、不気味な修道士に投げつけた。  ナイフは迷うことなく真っ直ぐ相手の顔面に飛び、狙い(あやま)たずフードの陰に吸い込まれた。  直後、銀髪青年がフェリーヌの横から飛びつき、覆い被さった。 「マルコ……っ!?」  銀髪青年とともに地面に倒れる。おさえたブラウスの肩にナイフが刺さり、赤いしみが広がっていた。  まぎれもなくフェリーヌ自身が怪僧に投げた物だ。  どういうことだ。フェリーヌは混乱した。 「レジアス閣下。お戯れが過ぎますなあ。……コッシャシャシャ」 「クレマチス……ッ。三度は言わんぞ。下がれ!」  薄気味悪い笑声に総毛立ちながら、フェリーヌは獣のごとき咆哮で命じた。  クレマチスは軽くフードを前に傾けると、彼女に背中を見せずに天幕まで滑り出ると、やがて黄昏の中へ消えた。 「マルコっ、大丈夫か!?」  フェリーヌが、そばでうずくまる銀髪青年にかけよった。  天幕のシェードを下ろすや、ダミアンが厳しい表情でやってくる。 「マルコっ。わかったか!?」 「こう、ろ。……たぶん〝森幻香〟っ」  ダミアンは目を見開くと頷き、指笛を吹いた。  たちまち外から青銀鎧の獣族が六名飛び込んでくる。  ただし、フェリーヌの目には彼らが天幕の地面や壁から飛び込んできた。  ダミアンが叱咤した。 「幻惑だ。ここの空気を吸うなっ。  この天幕にある香炉を全て処分するよっ。急いでっ」  天幕内は上級将校三〇名が軍議を開くための広さがある。  加えて、戦時のたしなみとして、麝香(じゃこう)を焚きつけるため香炉を天幕の隅に十二基、配置していた。そこに、何か入れられたようだ。 「ダミアンっ。どういうことだ!」 「マイ・ロード。説明はあとでするよ。  ──マルコ、よくやった」 「うん。おれ……まだ戦える」 「ああ。刺さってるのは肩だ。肺まで貫いたかは運試しだね。  スグリがいない間は、お前がマイ・ロードのそばにいてくれないと困る。  これから医務室に行って治療してもらってくるんだ」 「あそこの臭い、嫌いだ」 「だったらベッドの上でサボらず、戻って来て欲しいものだね。  この先も、マルコキアス族の鼻が頼りだ。いいね?」  マルコは頷くと、仲間の青銀騎士に支えられてフェリーヌの背後の幕壁に吸い込まれていった。 「もうっ、なんなのだ! また、仲間がやられた……くそっ」  フェリーヌは目を閉じ、強く唇を噛みしめた。
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