20人が本棚に入れています
本棚に追加
4
静まり返った執務室に、紅茶をすする音がひときわ大きく響いた。
「ローク。お行儀」
「こりゃ失礼」
セレナはソファにどっと背中を投げ出した。
手には娘が作ったボトルネックを指でなぞる。
「ああ、こういうところでセンスが似てくるんだなあ。
はは……二〇〇万ロットとはなあ。
グランから聞いてないってことは、支払いはだいぶ先かあ。
でもどうせ、あの箱入り娘なら、貧しい者に請われるまま金を使って、
あっという間に使い果たしてしまうんだろうなあ。
そぉして、また町の名前になるのか? ……誰かさんみたいに。あはは」
「ねえ。人の仕事場で現実逃避つぶやきながら黄昏れるの、
ウザいからやめてくれない?」
ロークワゴンは、憮然としてティーカップを口に運んだ。
「なにも卒業式の当日に、無理してきみが憎まれ役を引き受けなくてもさ」
セレナは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「権威ある父親も叔父も役立たずだから、
母親のわたしがやるしかないだろう」
「そうかなあ」
「時間がなかったんだ」
「というと?」
「近々に、デミ玉(国王デミリオ8世)から正式の打診がグランドに行くかも知れない」
「えっ、なにそれ。聞いてない」
ロークワゴンは幼い顔をしかめた。
打診とはもちろん、婚約の打診である。
「内うちの打診はディアナ王妃からだ。
『この間の埋め合わせではない』。そう前置きされてな」
〝この間〟というのは、半年ほど前の王都に三〇〇〇頭のワイバーンを襲来させた直接の原因。王室が見世物になっていたワイバーンを王城まで引き入れたことを指している。
また〝埋め合わせ〟とは、王室が【両双家】の血を入れることで、竜の魔術師の後ろ盾を得て、度重なる国王失策の処理を【両双家】に押しつけてしまおうという魂胆──ではないと言っているものらしい。
ロークは呆れた様子で紅茶をすすった。
「どんなに取り繕ったって、執政中枢をまるっと丸め込んで自分達の失点をチャラにしようとしてるのバレバレじゃないか。
あー。それで、急にそこのゴミ山を集めたってことか」
「ゴミ山言うなっ。どれも正規のお誘いと書類だぞ。
とにかく、わたしもグランドも答えは、ノーに決まっている。
冗談じゃない。散ざんグランドがあいつらの尻ぬぐいをやってきて。
その上、介護までできるか!」
「じゃあ、はっきり断ったんだ」
「ああ。はっきりとな。……アルトには好いた男がいると」
ロークワゴンは、クラブサンドの最後のひと欠片を喉元に詰まらせて、
眼を白黒させながら胸元を叩いた。
「なっ、なんだって!?」
セレナは執務デスクに顔を向けずに唇をとがらせる。
「だ、だから……っ。娘には他に好きな男がいると、言ってやったんだよ」
「そんなこと、彼女の在学五年間で初耳なんだけど。いたの?」
「知るわけないだろう。夫婦揃って、我が子を顧みてこなかったのに」
「おいおい……。どうして本人の与り知らないところで名誉に関わるウソ言っちゃうかなあ。
しかも社交場で噂を流すのが本業みたいな王妃相手に。
こんな無責任な親なら、アルトも家を出て正解だったかもね」
「ななっ、なんてことを言うんだ。アルトはわたしの娘だぞ!」
セレナも頑固な貴族の親を演じてみても、根っこではいまだに娘が可愛くて仕方ないのだ。
ロークワゴンは、皿の上で手のパンくずをはたいて、ティーカップを持った。その眼は冷ややかだった。
「じゃあ、なんでちょっと調べればすぐバレちゃうウソなんかついたわけ?」
「それはっ。誠に遺憾ながら、王室と執政魔術師の婚姻は今後の……政権のバランスを、だな……っ」
「素直に、うちのアルトの相手として、あのレクサスは〝ナイ〟と思ったって言いなよ」
レクサスとは、国王デミリオ8世の一粒種で、アルトより二つ年下のデブの少年だ。
やれやれ。ロークワゴンは、デスクの引き出しから羊皮紙を取り出して、羽ペンを構えた。
「ローク。妙案を思いついたのかっ。どこへ手紙を出すんだ?」
セレナがソファから立ち上がって、デスクを回り込んでくる。
「フェアレディ伯母さんに、アルトの健康診断を頼むんだ。
マナ診断で権威ある人の口から聞けば、彼女も納得できると思ってさ。
それに伯母さんはアルトを直接取り上げた助産医だからね。
出生当時を聞ければアルトも、きみや僕たちがどんなに愛しているか伝わる、と思う」
「ちょっと待て。それはつまり、アルトをゲルマニアにやるのか」
「かわいい子には旅をさせなよ。ここは伯母さんに判断をゆだねよう」
セレナは視線を落として、大きく息を吸った。
「しかしローク。アルトにはわたし達のような時間がないんだぞ。
あの子にマナが今さら湧いて出るようなことは、もう……」
「じゃあ、王室に嫁に出す準備する?」
「それは、嫌だ」セレナはきっぱりと言い切った。
「往復一ヶ月ちょっと。長逗留しても三ヶ月の旅だって。
少なくとも可愛い姪に王国打倒に燃える女革命家になられちゃあ、僕が困る。
彼女の魔法使いとしての頭脳は、間違いなくこの魔法王国の千年先まで語り継がれる功績を残してくれるはずだからね。
ちぇっ。予算成立の直前に学会から変なイチャモンがなければ、アルトのために大学はとっくに用意できてたのにさ……」
途中から独り言になりながらも、走り出した羽ペンはとまらなかった。
最初のコメントを投稿しよう!