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【 テウルギア──、
今からおよそ三〇〇〇年ほど前。古代ガルマニア帝国時代に成文化した魔術書「ガルドア神託」が初出とされる。
テウルギアは、〝神働術〟と現代に語訳され、法政教が分離する前の時代を色濃く残す、〔術式〕、〔詠唱〕、〔発動術式〕の魔法三大構成要素を機能させる機構としての呼称である。
この機構過程の要素として、神霊(後のマナ元素)の存在を発見。降霊術・精霊魔術という形で、魔法はその産声を上げた。
現在もこの哲学的魔術論はなお継息しており、低位(ゴエーティア)、中位(マゲイア)、高位(テウルギア)と定義づけの指針になっている。 】
「アルトさまー、アルト・レイヴンハートさまーぁ?」
「あ、はーい」
声のした方へ顔を覗かせると、卒業生ガウンをまとった少女が書籍を書架に戻しているところだった。
司書長は、かくれんぼをしていた友達を見つけたような笑顔を浮かべた。
五年前に時間が戻ったようだ。あの時は、この少女が気味が悪いと思ったものだ。今は……それほどでもない。
「あー。アルトさま。もうすぐ式典が始まりますよ」
「はぁい」
「アルトさまは、こんな時でも本をお読みになられるのですね」
「ええ。ふと、基礎に立ち返ってみたくなったのです。感傷的になっているのかもしれませんね」
「さすが、アルトさまです」
「ところで、ミセス・ミモーザ」
名前を呼ばれて、司書長は寂しそうに笑った。生徒からいつも司書長と呼ばれてきた。
アルトは、背表紙を見つめたまま続ける。
「高次魔法は、マナ位階の中で、どの分類なんでしょうね」
「分類できないほどの強大なマナを集結する事象から、別位階。すなわち高次なのではないかと」
無難に答える。だが、アルト・レイヴンハートは満足しなかった。
この子は、在学中、学校が授ける知識に満足していた気配がなかった。だから図書館に来て、ずっと一人で何かを探していた。
「どうして? テウルギア機関において現出したマナ具現体──すなわち、詠唱されてマナが感応することで発動した魔法は、すべてそのスケールに当てはめられるはずですよね」
「確かに、万有神働説からすれば測れるはず、といわれています。けれども、この学説はあくまで机上論であり、実際に高次魔法を発動する者も希少。そのことからも、テウルギア機関で動くこの〝世界〟では、高次魔法を拘束できない。とされています」
アルトは自分が持つ知識の手触りを確認するように頷く。凡庸の生徒ではチンプンカンプンな魔法論だ。
この娘は、どうして魔法学校に入ったのだろう。
授業課程では学ばない、誰も教えてくれない知識をすでに持っていた。この五年間、授業が終わると、ここに来て自習を二時間していく。それにより彼女はどれだけ新しい知識に出会えたのだろう。
ないのではないか。そんな気がしてならない。でも、絶望もしていない。
怪訝を顔に出さず、司書長はなお続けた。
「ですから、高次魔法のマナ集結体が、さも意思を持つかのごとく振る舞おうとする形象をもつのは、途絶えて久しい召喚魔法。もっとさかのぼって、古代精霊魔法との見方もできますね」
その先を、アルトが続けた。
「そうであるならば、強大な精霊魔法を禁忌として扱う現代の魔法使いの才覚は、もはや限界。伸びしろを失って衰退期に入っていると見ることもできます。〝顕界〟における詠唱魔法は〝魔界〟との交流を絶った残滓で発動していることになりますね」
「そう……ですが、高次魔法がこの世界の破壊を象徴する禁忌となったのも、その人の手に余るほど無意味な強大さのゆえではないでしょうか」
万有神働説から引き出される説は、魔法世界の衰退を導く。
魔法世界の衰退。
マナの加護を受けられず、魔法が使えないはずだという目の前の少女は、その衰退の〝象徴〟などではない。
この娘は、〝ない〟はずなのに〝可能性〟を感じさせる不思議な存在。
ならば、悠久の時を経て、今日まで伝えられてきた魔法の神髄から見れば、この子は〝特異〟すぎるのではないか。
(危険な存在、なのかもしれない)
「ありがとう。ミセス・ミモーザ。おかげで少しだけ頭がすっきりしました」
アルト・レイヴンハートはにっこりと笑顔で、うなずいた。それから握手を求めてくる。勿論、喜んでその手を握り返した。
「アルトさま。あなたほどの優秀な生徒がここを巣立っていかれるのは、まことに名残惜しいことです。でも、もう会場にお戻りになったほうがよろしいでしょうね」
「はい。それでは戻ります……あ、その前に」
思い出したように振り返り、彼女は卒業ガウンの袖の中に手を入れると、それを差し出してきた。
司書長は眼鏡の下から目を見開いて、破顔した。
「まあまあっ、〝ボトルネック〟ですね」
二色のサテンリボンを重ねて結ばれた蝶結びで、尾羽は四本。
下地は|象牙色。上地は紺色。そして結び目には、錬金学でよく捨てられている人工オパール玉があしらわれていた。
「ちょっとフライングですけれど、みんなにはもう少しだけ内緒にしておいてくださいね」
司書長は、馴染み深い友情に別れを惜しむように、アルトの肩をそっと抱きしめた。
「あなたさまに、星の巡りがあらんことを……」
本心から願った。
だがそうすると、この娘にもう一度巡り会うこともある。
──願い下げだった。
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