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「私にとって、貴族・市民・平民の分け隔てなく、一人の知識の探求者としてこの学院で過ごせた六年は、これから何十年何百年とある魔法人生の中で貴重な財産であるとともに、生きている限り、使い続ける叡智となることでしょう。私は、社会に出る魔法使いの一人として――」
くふぁは~……っ。
「ちょっと、後輩。あくびしないでよ。こっちに伝染るじゃないのっ」
先輩のノア・ディンブラに横から肘でつつかれた。
「ほぉんなほと言っはって、くはぁ~
……出るもんは仕方ないっすよ」
ジューク・レイヴンハートは半分店じまいしかけたまぶたで、はるか前方の席に座ってるらしい姉の姿を探す。
みんな同じ黒のガウンに角帽なので、誰が誰だかわからない。
そもそも、その中に知り合いは姉一人だ。
興味が失せるのはどうしようもなかった。
卒業式、かぁ……。
「先輩。ここ卒業したんすよね。懐かしさとかないんすか?」
「ないよ」
「即答かよ」
ノアはつま先立ちをして、軽く背筋を伸ばすと、
「卒業式の前日に、前夜祭ってあるんだけどさ。
そこで全力出し尽くしちゃって、当日は席に座ったまんま爆睡してた。
学院長のスピーチの内容も、誰が卒業スピーチしたのかも憶えてないのよねえ」
「感慨どころか記憶すらねーとか、どんだけだよ」
あきれる後輩に、ノアは嬉々として学生最後の失敗談を話してやる。
「ちなみに後で聞いたら、あたしと同じ席上に記憶喪失者は三四人いたわけ」
「それって、割と大惨事になってなくね?」
「その中に、ロークワゴン学院長も含む」
「主催者が記憶ねえとか、おかしいだろっ」
眠気覚ましの漫才をやっていると、背後に近づいてくる気配があったので二人は同時に振り返った。
そこにジュークによく似た髪色と顔立ちの美女が歩いてきた。
「どうやら、式が終わるまでには間に合ったようだな」
「あ、おふくろ」
気軽に呼びかけるジュークの横で、ノアは軍式の敬礼で踵を鳴らした。
セレナ・レイヴンハート。外齢二八歳。
ジュークとアルトの母にして、国立枢機院厚生科軍医務官。
三人いる軍医副総監の一人である。
長い茶髪をポニーテールにし、化粧は薄め。
ベージュのスーツではあるが、腕に白衣をひっかけている。
仕事の合間に抜けだしてきたような格好だった。
「ジューク。花束は?」
「ほれ。言われた通り、姉貴の好きな向日葵も入れてもらったぜ。
おふくろから渡すか?」
「何を言っている。私は自分の娘を抱きしめるので忙しい。
お前から渡せ」
「へいへい。さいですか」
ジュークは面倒くさそうに花束をかつぐ。
セレナは、息子のとなりに立つ女性巡察官を珍しそうに見た。
「ディンブラ。久しいな。三年ぶりか」
「はい。その説は……お世話になりました」
「なんだよ。先輩とおふくろ、知り合いだったのかよ」
ジュークの拍子抜けた顔に、母はどこか少年っぽい笑みで帰した。
「まあな。馴れ初めを訊きたいか?」
「いや、別に」
心底興味なさそうな息子が鼻で笑い、セレナは女巡察官を見た。
何も聞きたくない。目線を提げた彼女の態度がそう言っていた。
(知っていたか……。あのデイズ・ゴトーの下にいるんだ。当然か)
セレナは小さくうなずくと、顔を会場へ向けた。
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