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§ § §
「遅くなった」
「おう。なんとか〝ボトルネック〟の配布には間に合ったみてぇだな」
父兄席のとなりに妻が座ると、グランド・レイヴンハートは皮肉げな笑みを向けた。
今回ばかりは黒の重鎧ではなく、いなせなブルーのスーツである。
〝ボトルネック〟。
ここクローディア法術学院を発祥として王都六学院に広がった卒業の風物詩である。
本来のボトルネックとは、ボトルネック・タグ。
祝賀用や贈答用として、ワインボトルの細首にかけられるリボンや花飾りのこと。
これを毎年、卒業生が任意で手作り、あるいは工房に発注した立派な細工物として父兄や恩師、友人、後輩などに配るの風習である。
また、在校生も卒業生への義理・思慕にかかわらず、誰の〝ボトルネック〟をもらっておくかは毎春の話題であり、ちょっとした争奪戦となる。
とくに秋の六校戦で活躍した卒業生の分は、その〝ボトルネック〟を求めて他校からもやってくるので競争率は跳ね上がった。
そんな〝ボトルネック〟文化の火付け役が、実はグランドだった。
三〇〇年前。卒業式前日の前夜祭。
後輩数人から何か記念品をくれとせがまれて、その場にあったワインボトル──当時は祝杯用の飲み物が少なく、この日だけ学校で特別に卒業生用として酒が並んだ──に掛かっていた〝ボトルネック〟の花飾りを渡した。
照明魔法〝迷宮照明〟で蛍光塗布し、彼らの制服にはり付けていったところ、三〇〇年後には学校文化として定着してしまっていた。
(あん時は、酔った勢いの戯れだったとはいえ、我ながら妙なことをしたもんだ)
現在では二児の父となり、愛娘の〝ボトルネック〟欲しさに当日スケジュールをかなぐり捨てて来ているのだから、因果なものだった。
「グラン。……ノア・ディンブラが例のこと、知っていたよ」
セレナからひそやかに報告され、グランドは理解するのに二秒を要した。
「そうか。それで、ディンブラはどうした?」
「さあ。私の顔を見て気落ちしていたから、アルトにも会わず帰ったかもな」
「ふーん。……で? なんでお前まで気落ちしてんだ」
ややうなだれる妻の肩に手を置き、グランドは顔を近づけた。
「あの演習事件は、二年かけて調べ尽くした。
ロードデン・ド・ロン公国の陰謀じゃあねえよ。れっきとした事故だ。
ディンブラは三年経っても、まだ飲み込めてないだけだ」
『──以上をもちまして、
第四八五期クローディア法術学院卒業式を終了いたします。
卒業生、ならびにそのご家族様、同席いただきました方々におかれましては、行く先々に巡る星の、幸多からんことをお祈り申し上げます。
本日は誠に、おめでとうございました』
妻の肩をやさしくなでて、グランドは他の父兄らとともに席を立ち上がった。
「グラン。このあと……ロークと、アルトのことを話したいんだが」
「すまん。アルトからボトルネックをもらったら、家で情報整理だ。
夜には参謀会議に詰める。帰りは明日の朝か昼だろう。
子供達のことをお前たちやジムに任せっきりで申し訳ないと思ってる」
「グラン……医師のわたしが言っても聞くような亭主じゃないが、
あまり無理をするなよ」
「ああ。お前もな」
グランドはもう一度軽く手を挙げて、歩き出す。
(──お願いです、総裁閣下っ。決闘を!
アイツに殺された仲間のため、あのフェリーヌ・ロードデン
・ド・ロンと決闘をさせてください!)
三年前。
総裁室まで直談判に押しかけてきた幹部候補生の顔を思い出していた。
国立枢機院が出した裁決は、演習中に起きた魔物との不幸な遭遇戦。
死亡した幹部候補生下士官五一名の死を事故として処理した。
議会や世論からもずいぶん叩かれ、幹部養成学校の校長が引責辞任する騒ぎにまで発展した。
たが、グランドはそれ以上にノア・ディンブラの怒りが心に残っていた。
あの時。彼女の瞳の中に宿っていたのは──、
「復讐の亡者……。だが、あの目はどこを見て怨んでいた?」
生き残った者の純粋な憤りではない。悲しみでもない。
なぜがグランドにはそう思えた。
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