20人が本棚に入れています
本棚に追加
3
「レイヴンハート。ボトルネックを今のうちに交換してくれないか」
「アルト。私もお願い」
卒業生から次々と差し出されるボトルネックを、アルトは嬉しそうにひとつずつ両手で受け取った。
ここは、クローディア法術学院の中央にある、噴水公園である。
ボトルネックの一般配布は、この広い公園内で行うのが通例だった。
伝統として在校生が早くも集まって黒山の人だかりができ、配布解禁となる正午の鐘を待ちかまえている。
「さあ、どうぞ」
卒業生はボトルネックを受け取ると、アルトと無言で会釈程度に頭を下げ合う。
ありがとうではなく、なぜ頭を下げるのか理由は誰も知らない。そういう作法なのだ。
「おーい。姉貴ーっ!」
そこへジュークが花束を持ってやってきた。
そのとなりには、国立枢機院の制式礼服を着たエイシス・タチバナである。
アルトは思わず頬を朱に染めた。
§ § §
「え、エイシス・タチバナ……先輩っ。いや少将閣下っ!」
公園にいた卒業生や在校生までが背筋を伸ばし始める。
ジュークは軽く責める目で、奇妙な空気をつくった年上の親友を見やった。
エイシスは肩をすくめて無罪を主張。それからアルトの前に来ると目にもとまらぬ素早さでジュークから花束を奪い去った。
「あっ。ちょっ。エイ兄ッ!?」
「卒業おめでとう。アルトちゃん」
「うわあ。……ありがとうございます!」
無邪気に頬を赤らめる姉に抱かれた花束を、ジュークは渋面で見つめた。
「〝閃雷のエイシス〟の、ひでぇ裏切りを見た……っ」
さっき、この学院の薬草園だというだだっ広い温室のメガネ美人管理者から
「在学中の花代と手数料と利息で六ロットが先だ」と請求されて逃げてきたばかりだ。
挙げ句が、この土壇場の反則プレーである。
「悪いな、ジューク。この埋め合わせは今度するからさ。
カツカレーもうまかったろ?」
爽やかな笑顔を向けてくるエイシスに、ジュークはぷいっと目をそらした。
最愛なる姉からあんなキラキラした笑顔を引き出せる自信が、ジュークにはなかった。
それが悔しくて、でも安堵するのは、自分が彼女の弟だからだろうか。
「おう、エイシス。来てたのか」
振り返ると人垣を割ってスーツ姿の偉丈夫が公園に入ってくる。
父グランドだ。この場でエイシスだけが、敬礼をとらないまでも条件反射のように軍靴の踵を鳴らした。
ジュークと視線が合ってグランドは親の顔に戻り損なった。
小さくうなずいてから、改めて姉を見た。
「アルト。卒業おめでとう」
「はい。ありがとうございます。お父様」
姉は花束を胸の前に置いたまま、笑顔を浮かべた。
「早速だが、恒例のリボンをもらえるかな」
「申し訳ありません。一般配布の開始は午後十二時からとなっております。
もう少々、お待ちいただけますか」
権威ある父であろうと、姉は真っ直ぐ断った。
父グランドは一瞬面食らった顔をすると、指でこめかみをこりこりと掻いて困惑する。早速この場の間を持たせる話題を見失ったらしい。
この場に叔父ロークワゴンがいたら、「仕事しかしてこなかったダメ親父の典型」と容赦なく後ろ指をさして爆笑したことだろう。
そこでエイシスが機転を利かせて二人の間に入った。
「総裁。それでは、あちらで軽くグロワールでの報告をお聞きいただけないでしょうか」
「うん。そうか。──アルト、おれと母さんと、エイシスの分を残しておいてくれよ」
「はい。もちろん」
場を離れた二人を笑顔で見送り、ジュークは旅行ケースに溢れるボトルネックを物珍しそうに眺めた。
「なあ、姉貴。なにこれ?」
「ボトルネックだよ。学校を卒業するとき、みんなにあげたり、もらったりするんだよ。それは、みんなからもらった物」
「へぇ~。いろいろだな。んで、これ集めると、なんかいいことあるんか?」
「いいこと? うーん。自分がこの学校に愛されてたんだなあって、いい思い出かな」
「思い出ねぇ……。姉貴にとって学校って、どうだったわけ?」
ジュークはずっと祖父スカイラインの下で魔法だけを学んだから、学校とい
う時間を知らない。
姉は噛みしめるように何度もうなずく。
「私は楽しかったよ。マナがなくても、実技が万年最下位でも友達だって言ってくれた人、たくさんいた。
今の私が、魔法を嫌いにならなかったのも、ここでたくさんの魔法使いに出会えたおかげだと思ってるから」
「あれ、姉貴。魔法、嫌いだったんだ……」
「えっ? ……ふふっ、まあね。でも、それはもう昔の自分。
この学校と友達と、ジュークのおかげだよ」
そう言って、姉はジュークの制服の胸元にリボンをピンで留めてやる。
そのタイミングで学院内に、荘厳な鐘の音がひっそりと鳴り響いた。
遠くどこまでも響き渡る鐘の音が、この場にいる若者達の、終わりと始まりを告げるのだった。
最初のコメントを投稿しよう!