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 アルトが、ジュークの胸元に学校生活の思い出を縫い止めている頃。  王国ダリア内陸部の町・アーヴァロン郊外の森で、ロードデン・ド・ロン公国軍本隊は野営していた。  アーヴァロンは公国南西部。軍事的要衝となった町である。  太古の昔から幾度となく城塞が築かれ、それゆえに町の地面を二メートル掘るだけで、神話時代の遺跡が現れると言われている。  そのためか地元名士達は、砦の守護者たる伝統を重んじてきた。 「──ですから。ベントレール山脈より南西へ一条の竜がほとばしりましてな」 「左様さよう。それがしが王都帰りの者に聞けば、しかし〝血塗られ公〟グランド・レイヴンハート公は、王城で陣頭指揮を執っていたとのこと」 「一説には、大魔術師スカイラインがこの異変をいち早く察知して、かの大雪山に登り、三〇〇年にも及ぶ研究も成果を披露したのであろうと……」  天幕の玉座に平服ドレスの上から手甲と鉄靴だけを身につけた二〇代後半の亜麻髪の美女が、肘掛けに頬杖をついていた。  その艶姿は一枚の宮廷絵画のように華麗であった。  レジアス2世こと、ロードデン・ド・ロン女伯フェリーヌである。  リン、リリーン──。  そこに澄んだ鈴の音が天幕の中を転がった。  三人の陳情人が振り返れば、ラピスラズリで装飾された銀鎧をまとう美丈夫が鈴を持ち、胸に手をおいて慇懃(いんぎん)に頭をたれてみせた。 「ご歓談のところ、大変ご無礼いたします。  これよりのち、軍議の時刻とあいなりました。  まことに僭越ではございますが、皆様方のご陳情におかれましては、  後日改めて場を設けさせていたきたく存じます。  本日はお忙しい中、当家に陳情に参られましたこと。  主人レジアス2世に代わり、厚く御礼申し上げます。  今後ともロードデン・ド・ロン公国とアーヴァロン共栄のため、  ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます」  口上も、舞台役者さながらに朗々とよく通り、笑顔も甘く、性別なく見惚れる男ぶりであった。  フェリーヌはイスから身を起こした。 「諸君との会談は、実に有意義であった。  名残惜しいが、この続きはまたの機会にしようではないか。  ──ダミアン。お見送りを」 「畏まりました。マイ・ロード」  地元貴族たちは伝統的な辞去挨拶をすると、入口そばで別の騎士から〝よい音色のする小袋〟をみやげに受けとって、ほくほくと天幕を出て行った。  フェリーヌは、真っ白なブラウス姿の銀髪青年から差し出されたグラスを受け取るなり、一気にあおった。 「ふぅ~……。こんなことなら、戦場に立っていた方がマシだ」 「フェリーヌ。レジアスも辛抱強く耐えていたぞ」  水差しを持った白皙の銀髪青年が、切り上がった目許を細めて取りなしてくる。  フェリーヌは、彼へグラスを突き返しながら、 「三人がかりでしゃべってる内容が、半年前のガセ情報なのには辟易した。  しかもスグリなら五分もかからない報告を三〇分もかけてだ。  手みやげは砂金でなく、塩で充分だったかな」  銀髪青年は突き出されたグラスに水を注ぐ。  すると、聡い獣のように顔を天幕の入口に翻した。 「ダミアン。またこっちに来る。今度は不快だ」  ダミアンは天幕口から顔をそっと出しながら、 「ああ、ヤツだね。〝魔装骸兵(リビングアーマー)〟が二基。  あと上空に〝灰女戦鴉(バスヴカタ)〟が六、かな。降りてくる気はなさそうだけど」 「まったく。兵が怯えるだろうが。ダミアン。スグリは、まだか」  イスに座ったままフェリーヌが訊ねた。 「ベントレール山脈から還ってきたという報告はまだないよ」  にべもなく応じると、金毛黒髪の美青年は砂金袋を配っていた騎士になにやら耳打ちし、外へ走らせた。 「ダミアン。こんな時に、フェリーヌの晩メシか?」  どんな耳をしているのか、銀髪青年が聞きとがめて顔をしかめた。  ダミアンは二人に音もなく歩み寄りながら肩をすくめて、 「晩メシじゃない。晩餐、だ。いいかい。自分を知性と教養があると思い込んでいる人間は、他人の食事は邪魔しないもんだよ」  銀髪青年は水差しを持ったまま小首をかしげた。 「でも。あいつ魔装骸兵を連れて来てるんだろう。  死体の臭い。フェリーヌのメシまずくならないか?」 「ん。あー……確かに。そうかもね」  ダミアンは虚を突かれた面持ちで唇をひん曲げた。
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