朝焼け、始発列車まで。

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 友人との旅行中、少し早く目が覚めてしまった私は、宿泊していた旅館を抜け出して、行く当てもなくただ一人歩いていた。そんな時だった。私が彼と出会ったのは。 「ずっと、ずっと待っていた。必ず戻ってきてくれると、信じていた。」  男性はそう言うなり、私を抱きしめた。待っていた?戻ってくると信じていた?何を言っているのか理解できない。私がここに来るのは初めてだし、周りには見たことのない景色が広がっている。そもそも、この男性は一体誰なの?疑問が湧いては、泡のように消えていく。言いたいことは沢山あるのに、初対面のはずなのに、不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ、抱きしめられていることが心地良いくらいで。 「貴方は、私を知っているの?」  私の口から出たのは、その一言だけだった。その言葉を聞いた男性は私を抱きしめていた手を放し、一歩後ろに下がって身を引いた。男性の表情はひどく寂しそうで、やっぱり私のことを知っているのだと実感した。 「……あの、」 「いきなり抱きしめて悪かった。お前があまりにも知り合いに似ていて、間違えたんだ。本当にすまなかった。」  そう言葉を残すと、男性は踵を返した。このままじゃ駄目だ、そう考えるよりも先に私は男性の手を掴んでいた。 「待って。」  振り向いた男性の顔はまだ寂しそうなままで、言いたいこともないのに、私は掴んだ手を離すことができなかった。  しばらく沈黙が続いた後、男性は何も言わずに、私の手を引いた。どこに向かっているのかもわからない。だけど私は確かに自分の意志で男性についていった。  しばらく歩くと、ベンチと時計だけの殺風景な公園に辿り着いた。見たことのない風景のはずなのに、どこか懐かしさを感じる。 「こっちだ。」  男性はベンチへと私を案内し、私が座ると男性も少し距離をおいて座った。「……秋二」 「はい?」 「俺の名前だよ。夏本秋二。こんなところに連れてきて悪いな。」 「いえ、私は自分の意志で貴方に……夏本さんについてきたんです。それに、夏本さんと話してみたかったので。」 「……そうか。」  再び訪れる沈黙。気まずさに顔を上げると、さっきは気付かなかったが、彼の顔の左側、目の下に火傷のような痕があった。随分と古いもののようだが、きっと痛かっただろうと勝手に想像してしまう。そんなことをしていると視線に気付いたのか、彼と目が合った。 「どうかしたか?」 「えっと、顔の傷が気になってしまって……。」 「あぁ、これか。ガキの頃、幼馴染を庇ったときに火傷したんだ。結局そいつも怪我をして、それ以来そいつには会ってない。……お前が似ていたのは、そいつなんだ。」  不意に掴まれる右腕。そのまま服の袖を捲られ、彼の火傷痕のように爛れた腕が露わになった。 「ちょっと、何をして、」 「冬佳」 「!何で私の名前を……」 「全部忘れてるんだろ。あの日のことも、俺のことも。母さんに聞いた。あの日までの記憶が全て消えていて、今も記憶が混濁するときがあるって。」 「……」 「皮肉だよな。せっかくまた会えたのに、俺のことも、この町のことも覚えていないなんて。俺はお前のことをこの町でずっと待っていたのに……!」  彼の目から零れた大粒の涙が、朝焼けの光にきらきらと反射した。  地面に絵を描いて、走り回って、五時になったら家に帰る。いつも横には秋二がいた。あの旅館もクラスメイトの子の親が経営していて、隣にある駄菓子屋のおばあちゃんはいつもおまけしてくれた。あの日もお菓子を買って家に帰る途中だったっけ。秋二が教えてくれた近道を歩いていたら事故に巻き込まれて、そのまま私たちは離れ離れになった。忘れていた、私の10年間。ずっと知りたかった10年間が、ここにはあったんだ。過去の記憶が、私たちをここに引き寄せたんだ。  泣き続ける秋二の顔に触れ、涙を拭う。朝靄が私の視界を奪っていくのが分かる。息も苦しくなる。やっと全てを思い出したのに。ここに戻ってこれたのに。また忘れてしまうのかな。そんなの、 「……いやだよ。私は秋二を忘れたくない!」 「冬佳、お前___」  私の右腕を掴む秋二の左手を掴み、走り出す。朝靄が体に纏わりつく。どんなに払っても、どんどん濃くなっていく。目指すは鉄橋の下、二人だけの秘密基地。あの場所に行けば、なにかが変わるかもしれない。  視界の端に秘密基地を捉えた。もう少し、そう思った刹那、体の力が抜け、私はその場に倒れこんだ。 「冬佳っ、大丈夫か!?」  秋二の声に応えることもできず、ただ荒い呼吸を繰り返す。あの日もこうだった。意識はあるのに、声が出ない。このまま目を閉じたら最後、私は秋二のことを忘れてしまうだろう。今日まで発作が起きたことは何回もあったが、こんなに恐怖と寂しさを感じているのは、初めてだ。虚ろな目で秋二を見つめる。泣き止んだはずの秋二はまた泣きそうになっている。……男の子なんだから、泣いちゃだめだよ。また弱虫って言われちゃうよ。最後の力を振り絞って、私は微笑んだ。 「大好きだよ」  最後の呟きは、始発列車の音で掻き消された。 「……か、冬佳」  友人たちに起こされて、目を覚ます。ここは……旅館の玄関か。着替えていることから、早く目が覚めて出かけようとしたときに眠気に負けて二度寝してしまったのだろう。こんなところで寝るなんて。寝ぼけていたにもほどがある。 「朝ごはん用意できたって。行こう?」 「わかった。ごめんね、手間かけちゃって。」 「いいのいいの、寝ぼけることなんて誰にでもあるの。私だって、この前家の廊下で大の字になって寝てたんだから。」 「誰かに踏まれなかった?」 「犬に踏まれたかな」 「やっぱりね(笑)」  他愛もない会話をしながら食堂へと向かう。季節外れの観光で宿泊客は私達だけだと思っていたが、他にもいたらしい。私たちと同年代くらいの男性が先に朝食を食べていた。 「おはようございます、女将さん。」 「おはよう。起こそうか迷ったんだけどね、あまりにも気持ちよさそうに寝ていたから。体は痛くない?」 「大丈夫です。ありがとうございます。」 「そう?それならよかったわ。」  席に着くと、男性が私の方を見つめていることに気付いた。顔の傷跡が印象的な人だ。不思議とこの人に惹かれてしまい、目が逸らせない。 「冬佳ー、どうかした?」 「ううん、なんでもないよ。」 「イケメンを見るのはいいけど、ご飯冷めちゃうよ。」 「っ、別に見てなんかないもん!」  手を合わせてから、美味しそうな食事に箸をつける。見た目だけでなく、味も美味しい。友人たちの他愛のない会話に相槌を打つが、内容は全く頭に入ってこなかった。  男性の憂いを帯びた表情が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
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