第11話 クソ男!

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第11話 クソ男!

「愛希も一緒に出るんなら、この話受けてもいいよ」  そう言って龍空はにっこり笑顔を湛えてみせた。  余裕たっぷりな顔にさらに怒りが触発される。 「なににやけてんのよ? それともしてやったりとでも思ってるわけ? そりゃ、口すべらしたのは私よ。私が悪いってわかってるわよ。で、なに? それを逆手にとって脅してるつもりなの? なにが目的? 違うか。なに優越感に浸った顔してんのよ」  お酒の勢いで口を滑らしたのは私だ。  言わなくてもいい。  いや、むしろ言ってはならない機密事項っていうものを軽く吐いてしまったのは私で間違いない。  それをこの男は好機とばかりに馬鹿な注文を投げてよこしてきた。  一緒に出る?  CMに?  誰が出るっていうのよ、そんなもん! 「じゃあ、断っちゃうけど。それって愛希困らない?」 「困らない」 「なんで?」 「理不尽だから」 「理不尽?」  きょとんと目をまん丸くさせて龍空はこちらを見つめていた。  言っている意味がわからないでしょうね。  答えている私ですら、驚いているんだから。  けれどそう答えたには答えただけの理由がある。  理不尽。  そう、この会社の命令が理不尽。  社長命令だかなんだか知らないけど、美人局なんて古典的な策略の駒にさせられて、これが失敗したら田舎の工場ラインに飛ばしてやるなんてことまで上乗せされて、なんで好き好んでこの男を口説かないといけないのか。  そうまでしてこの男にCM出てほしいのなら、あのドSな高慢ちき上司が土下座でもなんでもして説得すればいいだけの話じゃない。  女が好きな男だから色仕掛けでなんとか出させろなんていう命令自体がアホくさい。  女は道具じゃない。  女っていう武器を会社のために使って当然なんてまったく思えない。  男はどうして女を卑下するんだろう?  そんな理不尽な命令に従うくらいならそうね、そうなのよ。  工場ライン、どんと来い!  胸を張って仁王立ちし、左手を腰に当てて右手を目の前の男に向かって突き出した。 「いいか、良く聞け、バカホスト! 私はね、あんたの暇つぶしのためのおもちゃじゃないの! ドSで高慢ちきこの上ないパワハラ上司にこびへつらうプライドなしの捨て駒でもないの! いい? 私はね、あんたたちみたいな女を女と思ってないような男の言いなりになんかもうならないって決めたんだからね! バカにするなっつーの!」  そうだ。  こんなことをやるくらいなら辞表を出せばいい。  たのしくないことをやる必要なんかない。  職を選ばなければ就職先なんていくらだってあるんだから。  がまんする必要なんかなかったんだ、最初から。  しおらしい?  大和撫子?  冗談じゃない。  女は三つ指立てて伏せて待て?  男の後ろを常に歩け?  男を立てろ?  それができたら女性らしいんでしょうけど、それってちゃんと尊敬できる相手と認知した場合に限ってのことでしょ?  男だっていうだけで。  女だっていうだけで。  たったそれだけで立場が決まるなんてまっぴらごめんだわ! 「ああ、うん……愛希の気持ちはよくわかったよ。オレは……ね」  ハハハ……苦笑いを浮かべる龍空が控えめに小さく人差し指で後ろを指し示す。 「なによ? 言いたいことあるんなら、はっきり言いなさいよ」  グッと迫ろうとしたその時、背後からピリッとした声が降り注ぐ。 「キミの言い分は私も理解した」  聞き覚えのあるドスのきいた低い声に自然に眉が顔の真ん中に寄っていく。  ゆっくりと振り返るとそこには龍空と変わらない身の丈をした精悍な顔立ちの男が一人、無機質な表情を湛えて立っていた。  普段着ている黒スーツではなく、スマートなストライプシャツというカジュアル装いの上司はトレードマークの黒縁眼鏡をグッと押し込みながら、眼光鋭くこちらを見つめていた。  ――なんでここにいる?  場所は教えた。  昨日確かにメールした。  もしかして一部始終を見聞きしていらっしゃった?  ちらりと龍空を見ると、やっちゃったねとでも言いたげに小さく笑われる。  大怪我し過ぎだろう、愛希。  なにも自ら血まみれになる必要などなかっただろうに。  どうしてこう、タイミングが悪いんだ。  ここまで来るとある意味、これも才能なのではないのかと思えてくる。  こんな才能に恵まれたところでいいことは何もないのだけれど。  高嶺は自分たちのテーブルに静かに腰を下ろすと、立っている自分にもそこに座るようにと示唆した。  しぶしぶ椅子に座ると、高嶺はシャツのポケットから煙草を取り出して口に咥えた。  手にしたターボライターでゆっくりと火をつける。 「ここ、禁煙じゃないですかねえ?」  龍空は明らかに不機嫌な顔を高嶺に向けている。 「ここが禁煙席なら、この店をいますぐ買い取ってすべての席を喫煙席に変えてやる」  だから禁煙なんか関係がないと言いきって、高嶺は吸い続ける。  金持ちの高飛車ぶりを目の当たりにして返す言葉もない。  すべて金で解決してきたんだな、この男。  すごいけど最低だわ。 「ね、愛希。この人に比べたらオレってずいぶん善良でかわいいと思わない?」  ね、ね……と念押しするように龍空は笑顔を湛えて私に同意を求める。 「まあ……ね」  高嶺に比べたら、龍空のほうがかわいい気はするが、まやかしだ。  おまえはおまえで問題がある。  しかし、なぜ私の周りはこう真っ当な男がいないんだろう。  ベクトル違いの最低男がなぜこうも揃っているのか。  顔はいいのに。  顔だけはいいのに。  いや、顔がいいからだ。  顔のいい男は性格が悪いか、足が臭いかのどっちかだと相場が決まってるって美波が言っていたっけ。  顔がいいほど性格が悪い。  なるほど、数学的にもこれは正しい。 「で、さっきの話に偽りはないんだな?」  煙草をふかしながら高嶺は龍空に向かって尋ねた。  その問いになぜか龍空は高嶺ではなく、私に顔を向けて答える。 「愛希次第。愛希が受けてくれないなら受けないよ」  ニッコリ、ニコニコ。  満面の営業スマイルをなぜ私に向けんだ、おまえは!  すると高嶺はこちらに視線だけを向けて言い放った。 「だそうだ。受けろ」 「イヤです」 「だそうです」  自分の答えにニッコリと今度は高嶺に営業スマイルを向けて龍空は答えた。  その笑顔に高嶺は小さくため息をつく。 「工場ラインが待ってるぞ」 「どんと来いです」 「愛希、格好いい!」  クスクス、クスクス。  龍空が今度は笑い出した。  そんな姿に苛立った高峰は、店員が急いで持ってきた灰皿に煙草を押し潰すと龍空を睨みつけた。  すると龍空も真顔になり、椅子にふんぞり返って座りながら「どうするの?」と高嶺に尋ねた。 「オレは愛希が出ないなら出ませんよ。それでも、どうしてもって言うんなら、いいです。出てあげても。でも条件がある」 「条件?」  訝しげな視線を送る高嶺に龍空はニッコリ企み笑みを湛え、大きく頷いた。 「あんたが愛希に頭を下げてやってくれと言うのなら、いいですよ。その男気と誠意を買ってあげます。どうします、やりますか?」 「私が……この女に頭を下げるだと……?」  高嶺が私を睨む。  明らかに蔑みの視線だ。  自分より下位だと思っている人間の目をしている。  ――うっわ。最低。 「そう、彼女に。いいでしょ、オレにって言っているわけじゃないし。まぁ、昔からあんたは人に頭なんか下げたことないから、頭の下げ方なんか知らないでしょうけどね。でも、そんなあんたが一生懸命、頭下げて頼むって言うんならやりますよ。ねえ、愛希? この人が心から愛希にやってくれ、頼む、オレを助けてくれって乞い願うならやってあげようよ。愛希だってそこまで悪魔じゃないでしょう?」  だってね、この人本当に今まで人に頭下げたことないんだから……と龍空は高嶺のことをよく知っているかのようにそう言った。  ドS高慢ちきパワハラ上司が自分に頭を下げる?  それはそれで愉快爽快ではあるけれど……あとでなんか仕返しとかあるまいな? 「自分より無能な人間に頭を下げるなんてプライドの高いあんたにゃ、相当きっついことだよなあ。仮にそこに心が入ってないにしても、その行為そのものが苦痛で仕方ないだろうなあ。でも、会社命令でしょ、これ? 社長がオレにどうしてもって言っているんでしょ? それならやるしかないよねえ。だって社長命令だもんね、次期社長さん?」  これでもかというほど悪意に満ち溢れた言葉を投げかける龍空に驚きしかない。  先ほどまでカッカと燃え盛っていた体と頭が急速冷凍されていくかのように冷めていく。  高嶺を盗み見る。  じっと龍空と睨みあったまま、黙して語らない。  二人の間に見えないどす黒い深い川が流れているように見えるのは私の錯覚じゃないと思う。 「頭を下げたらやると言うんだな」 「なんならボランティアで出演してもいいですよ」  じっと見つめる高嶺にふふんっと鼻先で笑う龍空を見守るしかない。  一体、この二人はどんな関係なんだろう?  依頼主とその相手というにはあまりにも違和感がありすぎる。  ただ互いに互いを毛嫌いしているということは間違いなさそうだ。  どれくらいの沈黙が流れていったのか。  しばらくした後、ゆっくりと高嶺は立ち上がると足先をこちらに向けて腰を折るように深く頭を下げた。 「『頼む。オレを助けてくれ』」  ドS上司様は腰のところで90度に折った状態で、石のように固まったまま微動だにしなかった。  それを満足げに見下ろす龍空に困ったまま視線を走らせる。  こちらに気づいた龍空がまた意地悪く笑ってみせた。 「やるしかなくなっちゃったね、愛希ちゃん?」  勝ち誇ったように笑う龍空にキュッと唇を噛みしめる。  これが目的か?  どうやっても自分を思い通りにしたいってこと?  クソクソクソクソクソ男!  この男、どこまで性悪なのよ!  グッと言葉を噛みしめるようにもう一度唇を強く噛むと、やりきれない怒りをいつか鉄拳にしてあのにやけ面にお見舞いしてやると、そう固く心に誓ったのだった。
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