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第21話 予想の上のそのまた上へ
リベンジ。
それは復讐ということ。
だけどリベンジを誰になにをするものなのかということがいっさい明らかにされないまま、とあるシティホテルにやってきた私。
高い建物を見上げる。
龍空はなにも言わずにただ黙ってホテルへと入っていく。
そう、ホテルなんだ。
――なにすんのよ、こんなところで!
安いか安くないかの違いこそあれ、ここは正真正銘のホテルなわけで。
ランチの時間はとっくに過ぎてしまっている。
本来ならば会社に戻らねばならない時間だ。
高嶺からLIMEメッセージがばんばん届いている。
そのことを理由にしてここで帰ることはできないわけじゃない。
回れ右して、舌出して、あんたの思惑にゃ乗りませんよって言ってしまうことだって簡単にできるはずなのに、こんなところまでのこのこついて来ちゃうあたり、私も相当この男に毒されているという他ない。
だって龍空は人の好奇心というのか、『知りたい』気持ちをかきたてるような言い方なんだもの。
――だけどさ。
ホテルだぞ、愛希。
ホテルなんだぞ。
ここまでついて来たということはそうなることを承知してついてきているって思われているに違いないんだ。
元々『セックスしてみる?』の一言から始まっているわけだし。
そういう特別な関係になるためにこうして詰め寄ってきているわけだし。
その一歩手前まで的なこともすでにしてしまっているわけなんだし。
それ以上があってももはやおかしくない。
いや、むしろ絶対それしかない状況にまで到達していると言っていい。
それでも行くのか。
行くなら覚悟を決めろ、愛希!
別に処女ってわけじゃない。
少ないかもしれないが男性経験はある。
勿体つけるようなものも持っていない。
会ってから何回目かなんて、ぜんぜん数えていない。
いつも突然現れて、なんだかんだと一緒にいて、時間に換算すればそんなに長い時間を過ごしているわけじゃないかもしれない。
それでも特別なことを一緒にやり遂げた感覚はある。
特別な関係になってみて、あの男が言うほど大した男じゃなかったらそのときはそのときで笑ってやればいいだけの話で終わる。
――そうよ、愛希。笑ってやればいいのよ!
きつく唇を結ぶ。
大きく胸を反って一呼吸置いた後でシティホテルの扉をくぐる。
龍空はすでにエレベーターの前にいて、おいでおいでと満面の笑顔でこちらに手を振っていた。
慌てる様子を見せずにエレベーター前の龍空の隣に並び立って、降りてくるエレベーターを待つ。
でもやっぱり気になって龍空の手元をちらりと見る。
鍵は持っていなさそう。
「緊張してる?」
そう切り出したのは龍空だった。
やってきたエレベーターには私達二人以外乗る人がいなかったため、乗り込むとすぐに龍空は高層階のボタンを押した。
扉が閉まるとすぐに堪えきれなかったかのように「警戒しまくりじゃん」と噴き出した。
「あんたがなにも言わないからでしょうが!」
「えー? だってリベンジしようって言ったじゃん」
「リベンジしようってどういう意味なのかを説明してないでしょうが! こんなところに連れてきて、目的はどうせこの間の続きでしょ? わかってるわよ、そんなこと。で、自分ってすごいだろってアピッて落とすつもりでいるんでしょ? あんたみたいな男の考えそうなことくらい、こっちはちゃんとお見通しなんだから」
思いっきり言葉を投げつける。
しかし龍空は「それもいいね」と私の言葉攻撃を笑い飛ばした。
「それもいい? なに言ってんの、あんた?」
さきほど全速力で走ったせいで脳みそが頭蓋骨にぶつかって小さくなったのか。
じっと見つめる先で龍空はまたカラカラと声を転がして笑うと「それはまだ取っておきたいな」と答えたのだった。
「自信がないってわけね?」
「そうじゃなくて、順番が違うってこと」
順番が違う?
セックスしようと誘っておいて、今さらなにが違うっていうのよ、この男?
「まずはクリアしないとね」
と、龍空は上っていくエレベーターの階数を知らせる扉上のランプを見上げて答えた。
「クリアしないとって……ゲームでもやってるつもりなのね、あんた」
「それは誤解だよ。だってさ。愛希にはリベンジしたい相手がいるでしょ? まずはそれをクリアしないとさあ。心が透明にならなそうだなと思ったわけ。すっごい嫌な男がいなかった? あ、オレってのはなしね。オレにリベンジするのは愛希と心と体をちゃんと繋げてからにしてね」
パチンと左目をつむってウィンクを投げてくる龍空はシシシ……と白い歯を見せて笑った。
――すっごい嫌な男……
確かにいる。
なにかにつけてフィードバックする嫌な記憶は必ずその男だったから。
「ほら図星」
「いなかったら嫌いになってないわよ」
セックスを――という言葉はあえて濁す。
口にしたくないことだ。
過去の男とのことがかなり尾を引いていて、別れた後もセックスに対する嫌悪感を募らせているんだから。
「だよねえ。だから、その男をさ。ギャフンとやりこめたいわけよ、オレとしては」
「なんで?」
「過去だとしても、愛希を傷つけた男は誰だろうと許せないから」
「え?」
こちらを見ることなくさらりとそう龍空が言い切ったとき、押したボタンの階にタイミング良くエレベーターがとまった。
高いベル音が鳴って、幾何学模様の施された鋼鉄扉が静かに開いた。
「ほい、到着~」
『さあ、どうぞ』と『開く』ボタンを押した龍空が降りるように手を横に振って促した。
「あ……あ……うん」
小さくうなずいて素直に降りてしまう。
これもコイツの策略なのか。
私が降りるのを見計らってエレベーターから降りた龍空の手が優しく背中に添えられた。
龍空の体温が服を伝わって心臓に届く。
同時に思い出したのはさっきの言葉だった。
『過去だとしても、愛希を傷つけた男は誰だろうと許せないから』
聞いた瞬間、跳ね上がるように鼓動した胸は今は落ち着いている。
なぜ、あんなきざったらしい言葉を惜しげもなくさらりと言いきるんだろう、この男は。
――ホストホストホストホスト、そうホストだから!
口がうまいのはホストだからだ。
だってそうじゃなきゃたくさんのお客さんを獲得できるわけがない。
――お店に来た女の子たちにもこういうことを言うのかな。
前に美波が言っていた。
『破れた心を癒す男』としてこの男は有名なのだと。
こんな言葉を言われたら、たとえそれがうわべだけの言葉だとしてもみんなホロっとなるに違いない。
そして莫大なお金を落とすんだろうな、この男に会うために。
この男にもう一度優しい言葉を言ってもらうがために――
廊下をひた歩いた一番奥の部屋の扉を、龍空はコンコンコンッと小さくノックをした。
なぜノック?
鍵はどうした?
しばらくの沈黙の後、ガチャリと鍵が外れる音が小さく響いた。
隙間から自分たちより少し上、30代前半くらいの黒いショートカットの可愛らしい女性が顔を覗かせた。
彼女は私と龍空を確認するとすぐに中に入るように急がせた。
押し込まれるように部屋の中へ転がり入る。
「まったく、おっそいじゃないの!」
下着が透けて見えそうなほど真っ白なブラウスはしっかりとアイロンかけされていて、しわひとつない。
黒のタイトスカートと同じ色の高いピンヒールを履いたお姉さま系女子が、不満そうな顔をこちらに向けながら奥の部屋へと案内してくれた。
「本当にあんたって時間守んない男よね、リク! 私もカメラマンも待ちくたびれたわよ!」
「ああ、すんません。愛希、なかなか見つからなくって」
「まあ、美味しい話だからいいけどさ。でもいいのぉ? ちゃんと彼女に主旨説明してくれてるんでしょうねえ? あと彼女の上司にきちんと許しをもらってきてるでしょうねえ?」
「いやあ。それがその暇ないまま連れてきちゃったから……」
龍空が答えた瞬間、加奈子と呼ばれた女性の足がとまって私のほうを振り返る。
この美人は何者?
仕事できそうな匂いがプンプンするけど、高級な香水つけてるからかな?
って、それよりもカメラマンってなに?
美味しい話って?
いいの?とか主旨とか上司の許しってなんなの?
もしかして今からホテルでAV撮影!?
私をじっと観察していた加奈子さんはピッとこちらを指さすと「本物?」と龍空に尋ねた。
「ええ、正真正銘本物です。あ、それとメイクさんももうすぐ来ると思うので、それまではとりあえずインタビューからってことでいいですかね?」
「それは構わないけど。衣装はあなたが言ったように揃えたわよ。それもメイクさん来てからってことよね。すぐに編集回さないと間に合わなくなるから、いいわ、仕方ない」
本物、メイクさん、衣装、インタビュー、編集?
鳩が豆鉄砲を食らったとき――とはこういうシチュエーションのことを指しているに違いない。
加奈子は目が点になっている私に一歩近づくと、スカートのポケットからショッキングピンク色の名刺入れを取り出した。
一枚抜き出して私に差し出す。
差し出された名刺を「頂戴いたします」と丁寧に受け取りながら目を走らせる。
――なんてこと!
名刺に並ぶ文字を見て、もう一度加奈子と龍空を見る。
龍空はピカピカ光る白い歯を見せて笑い、加奈子に目くばせをした。
彼女はひとつ深い息を吐くと背筋を伸ばしてこう告げた。
「女性ファッション雑誌Luna編集長の名倉加奈子です。今日は今噂の星野龍空のCM美女独占インタビューということで、この場をセッティングさせていただきました。どうぞよろしくね、藤崎愛希さん」
「は……ははは……はぃ……?」
おそらくこの日本の20代以上の女性で知らない人はいないだろう老舗人気ファッション雑誌『Luna』の編集長様は、そう言って龍空と私が宣伝している話題の口紅を塗りなおして見せながらそう言ったのだ。
私の人生がまた一つ予想をはるかに上回る速度と方向で動いていた。
どこまでもどこまでも予想の上のそのまた上を――
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