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第22話 逃げ場失くすしかないでしょ?
女性ファッション雑誌Luna(ルナ)。
毎週水曜日に大手出版社から発行されている女性週刊誌であり、ファッション雑誌でもある。
ターゲットは若年層であるにもかかわらず、40代くらいの年齢にまで支持されているほど購読者の年代は幅広い。
また、この雑誌が発信する情報は『ファッション』だけにとどまらない。
『恋愛』『セックス』『ダイエット』など取り扱うテーマは多岐に渡る。
その上、旬の俳優やアイドル、タレントやスポーツ選手など男女問わず特集している。
対象とするターゲット層のみならず、誰しもが購買したくなる理由は話題性が豊かである点に他ならない。
なにせ美波が見せた『星野龍空』の特集記事もこの雑誌だからだ。
そんな著名な雑誌の編集長の指示のもと、二時間近くもインタビューだの、写真撮影だのというような慣れないことをやらされて、心身ともに疲れ果ててはいたのだけれど……
「で……なぁにが狙いなのよ、あ・ん・た・はぁ?」
目の前のトマトとモッツァレラチーズサラダをお皿に取り分ける星野龍空に尋ねた。
Lunaの取材をなんとか無事に終わらせた後で、龍空に『お詫びに近くのレストランで食事でも』と誘われて今に至っている。
だがしかし、である。
龍空は涼しい顔で「だからリベンジだってば」とまた繰り返しただけだった。
「リベンジねぇ。まったく、私にしても加奈子にしても本当に大変だわ。個人的理由で便利屋よろしく呼び出されるし、彼女の場合はドンペリ2本も注文させられているわけだし。ああ、でもそれは会社の経費で落としちゃうからいいのかあ」
と取り分けられたお皿を受け取りながら、隣で『私専属メイクさん』こと倫子が愚痴をこぼした。
「ドンペリ2本?」
「ピンドン2本よお。リクの店だと1本おいくらだっけ? ちなみにうちは1本10万円よ」
「1本10万円―――!?」
目ん玉が飛び出るんじゃないかという高額にびっくりしすぎて大声になった。
瞬間、倫子に「しーっ」と人差し指で口を塞がれる。
1本10万円のドンペリピンクを2本も注文させといて、この記事を特集させたということか?
いや、そもそもそこでなぜ自分の売り上げを計上させているんだ、この男は。
それに特集されるのはこの男ではなく私なのに、勝手に身売りしてるんじゃねえぞって話だ。
「まあ、加奈子にしてみたら20万払ってもあんたを特集したかったってことよねえ。他の雑誌を出し抜けるし、売上だってねえ。今の騒ぎ見たらわかるしねえ。SNSもそうだけど、検索ランキングだって堂々一位だし。うちもその恩恵いただきたいわよ。謎の美女作ったメイクさんはわたしでーすって手上げしようかしら?」
長い髪をさらりと払いのけてトマトとチーズを上品に口元へ運びながら、半ば本気ではないかというような口調で倫子が言った。
話を聞けば聞くほど、腹の中のイライラが募るのは間違っていないと思う。
一方龍空と言えば「何万部売れるかなあ?」とニコニコと頬の筋肉を緩めまくっている。
おいっ、コラ、バカホスト。
何万部売れるかなあってそれでおまえ、また自分の懐へブーメラン式に金転がり込んでくるような仕組みを作ってないよなあ?
「つーか、勝手に人のこと売っておいて、自分の売り上げにするとか最低じゃん」
ポツリとこぼしたつぶやきに龍空は「ごめんね」と心のこもっていない返事をした。
「ほら、お店のバックアップあってこそ、こういう表向きの仕事もさせてもらっているからさ。それなりに還元しないと」
「店に還元したら、結果、あんたに還元されるだけじゃないの?」
「あらあ。愛希ってば、そういうところは結構鋭いなあ。アハハ」
「あんたねえ……」
ギリギリと唇を噛みながら龍空を睨み付ける私に、倫子が「わかるわあ」と相槌を打った。それから机をきれいに磨かれた爪先でコンコンッと軽く叩くと「ねえ」と龍空に切り出した。
「それで? そこまでして加奈子に売り込んだからにはちゃんと目的があるんでしょう? まったく、あんたっていっつもそれを先にこの子に説明しないからこじれるのよね。あと、私をクッションに使うのやめなさいよ。私はあんたの『アネキ』だけど、お守するような年は卒業しているでしょうに」
呆れたようにリクを見て、深いため息をつきながら倫子がそう突く。
すると龍空はコリコリと困ったように右頬を掻いた後で「だって変わらないからさ」と続けた。
「なにが?」
「愛希が」
と言って肺の中にあった空気を全部閉め出すみたいなため息をこぼした。
私が変わらない?
あんたの思い通りの女にならなくてがっかりしているってこと?
「ああ。それは同意」
と龍空の言葉に深くうなずいたのは倫子だった。
瞬時に倫子を見れば、小さく苦笑いしている。
龍空の今の言葉に深く納得しているような様子だ。
「ちょ……倫子さんまで!?」
すると倫子は「だってほら」と足元に置かれた手持ちの荷物を入れる籠を指さして見せた。籠の中には出勤用のバッグの他に、私が着ていた出勤用の服を入れた紙袋が並んでいる。
今は倫子が施してくれたメイクに、龍空が指定して加奈子に用意させた服を龍空が買い取ってそのまま私が着ている状態。
しかし普段着なれていないフェミニンなスカイブルーのフリルシャツに白のミニスカートのスーツにこのメイクでは、自分を知っている人間に今会ったとしてもきっと私だと認知されないだろう。
それくらいには別人になっている。
たぶん、そのことを倫子は指摘しているんだ。
「そうなんだよねえ。倫ちゃんの言うとおり、謎の美女アキに変身できるのに、その後の愛希はずっと変身する前の藤崎愛希のまんまなんだよね。控えめって言えば聞こえはいいけど、なんていうのかな? 殻に閉じこもっているというか、必死で鎧着込んで地味に見せて、背中丸めて自信なさげ? あんなに自信に満ちてキラキラしていたアキはどこいっちゃったの?って思ったらさあ。逃げ場をなくすしかないんだなって思ったんだよねえ、オレ」
考えたんですよ、ものすごーく真剣に……とでも言いたげな真面目くさった顔のわりに口調がすごく軽すぎて胸にまったく刺さってこない。
それでも龍空はその口調のまま「だからね」と言った。
「コンプレックスを取り除くしかないって結論に至ったんだ。今までの愛希の皮を無理やり破らせて、新しい愛希になってもらおうって。で、どうなるかっていうと、愛希が逃げている過去にやっぱり向き合わせないとダメなんだなあってさ」
目の前に置かれたワイングラスの中の赤ワインをクルクルと回すように持ち上げると、龍空は煽るように一気にそれを飲み干した。
それからややぁというように笑顔になる。
つーか、なに笑ってんだ、バカホスト!
あんたの独断的行動で向き合いたくもない過去に向き合わされる身にもなれっていうんだ!
なんの権限であんたにそんなことされなくちゃならないんだ!
ふざけるなッ!
心の中で吐くだけ吐く私の心中を察したかのように、倫子は私の肩をぽんぽんっと2度叩くと「それはそうとね、リク」と切り出した。
「で、この後はどうするのよ? ここまでやったからには責任持つんでしょうね? すっごいことになるのわかっているでしょう? 亨にも了解は取ってるの?」
倫子がさらに龍空を突くと「そりゃあ、想定はしてるよ」と答えた。
「Lunaの影響力は絶大だからねえ。その影響力を考えれば亨兄の了解はまあ、出版された後でもいいかなあって。それよりもオオカミの群れの中に愛希を放り込むことになるほうが大変なわけだしさ。いろいろ責任取る覚悟でなくちゃ、こんなことできっこないでしょう? 」
シシシ……とその状況下をシミュレーションして楽しんでいるかのように白い歯をむき出しにしてまた龍空は笑った。
オオカミの群れの中に誰を放り込むとおっしゃりました?
責任取る覚悟でなくちゃって、あんたはどう責任取るつもりでおいでなのよ、バカホスト!?
心の罵り声が今度こそ聞こえたのか、龍空はこちらに視線を向けるとスッと一枚の名刺サイズの紙を自分の前に差し出して、どうぞというように小さく首を傾げて見せた。
差し出された紙を手に取って書かれた文字に目を通した瞬間、ズキンっと疼いたのは心臓だった。
見たくない文字。
思い出したくないもの。
見れば自然に思い出す。
ほら、溢れんばかりに頭も心も一杯に――!
「な……によ、これ……」
わなわなと唇が震えるのがわかる。
それでもそれを悟られまいと歯を食いしばるように奥歯に力を込めて振り絞って出した問いかけに、龍空と言えば悪びれる様子もなく、これでもかというくらい口角を押し上げた笑みを作ってみせてくれる。
「ちょっと優しく声を掛けたらいろいろ愛希のことを教えてくれたんだよねえ。えっとぉ……そうそう、愛希と社員食堂で一緒にご飯食べてたあのド派手な子。名前なんて言ったっけ?」
とぼけたように悩んで見せる龍空をこれ以上はないほど睨みつけて「木下美波」と返してやる。
「そうそう、木下美波ちゃんだった。こっちが訊いてないこともいろいろ教えてくれちゃってさあ、彼女。愛希もね、個人情報漏らす相手はちゃんと選ばないとねえ」
『友達を見る目も養わないと』
そう一言余分に付け足して龍空はパチンとウィンクした。
出所はそこね。
そして優しく声かけたって……それだけで済んでいるわけないだろ、あんたみたいな獣男が!
そう考えたら瞬発的に腕が伸びて、龍空の胸元を締め上げていた。
なにに対してこんなに怒っているんだろうか?
なんでこんなに胸が苦しいんだろうか?
勝手なことをされたから?
身辺調査的なことをされたから?
過去をほり返されたから?
それとも美波とあんなことやこんなことをしたんじゃないのかとイライラしているのか?
違う違う違う違う。
別に他の女とどうこうしていたって、こいつはそういうヤツなんだから。
そんなこと少しも気にしていない。
少しだって……気にしてなんか……
龍空は避けなかった。
ただ黙ったまま、喉元を締め上げられていた。
怒りに満ち溢れて睨みつける私に温度を感じさせないさらりとした笑顔を湛えたまま、ただこちらを怒りもせずに見つめ返していた。
そんな彼の手が静かに喉元を締め上げている私の右手の上に重なった。
「リベンジ済んだらオレのこと、思いっきり殴ってくれていいよ。でも条件はつけさせてもらうね」
「なによ?」
「まずはそいつをちゃんとぶっ飛ばしてからね。ヤツの行動も居場所もぜーんぶリサーチ済みだからさ」
そう言って私の左手に握られた紙を指さして笑うと続けた。
龍空が手渡した紙に目を向ける。
紙に書かれていたのは『甲山貴斗』という名前。
貴斗は私が付き合った中で最もデリカシーがなく、言葉が悪く、セックスが嫌いになる決定的原因を作った、私の人生史上、龍空と同じ、もしくはそれ以上に最低最悪かつ勘違い男だった。
「ああ、それから会社には5日間の有給申請はしておいたから。Lunaが発行される来週の水曜日まで、愛希は一生懸命自分磨き頑張ろうね。で、まずは倫ちゃんとこのオネエさまたちに化粧と女性らしさっていうのかな? とにかくその道のknow-howをしっかり叩き込んでもらって……それから洋服もさ、オレといろいろ買いそろえようねえ」
「ちょっとあんたねえ!」
一旦話を区切った龍空をさらに締め上げようと腕に力をこめようとすると、龍空は私の鼻先近くに人差し指を立たせて「決戦は水曜日だから」としっかりと告げた。
「リベンジの舞台はオレが用意いたします」
お任せを――とそう一言付け加えてニィ……と口角を押し広げ、人の悪すぎる笑みを浮かべてみせたのだった。
――ふっざけるな、バカホストぉっ!
星野龍空という波に乗せられて、私のサーフボードはどこまでこの波に乗り続けていくのだろう。
決戦の水曜日まであと7日。
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