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第27話 根はいいやつだから
スプリングの軋む音の中に混じって、熱い息が溶け込むように外へと漏れ出していた。
軽く唇を重ね合う行為は何度も何度も繰り返される。
じれったいほど唇を重ね合うのに、それ以上のことはしなかった。
自分の舌を伸ばせばすぐそこに相手の熱く湿った舌先があるとわかっているのに、龍空は舌を絡めようとはせず、ただ唇を重ね合うことだけを繰り返していた。
私を抱きしめる腕に力が入った。
唇を強く吸われるように奪われる。
呼吸ごと飲み込むみたいに強く求められ、奪われていく。
眩暈すら起こしそうになるほど。
息をすることすら拒絶されるほど。
龍空は淡々とその行為を繰り返していた。
ほどこうと思って身をよじっても、背中に回された腕がそれを許してはくれなかった。
両手で胸を押し返そうと踏ん張っても、もっと強い力でねじ伏せられる。
――ダメなのダメなのダメなのよ!
唇だけ奪われる。
ずっと唇だけを奪われるこの行為に胸が異常な速度で鼓動している。
今までの相手はキスをすればすぐに舌を割り入れてくるパターンが多くて、こんなに執拗なまでにキスの雨を降り注がれるようなことがなかった。
だから余計にダメなんだ。
――ダメなのそうダメなのもう奪ってほしいの……!
そう思いはじめていることに驚いてしまう。
舌を絡めたくてうずうずし始めている。
自分のほうから求めてしまおうかとさえ思うほどだ。
どこが?
子宮が?
脳が?
いいえ、きっとぜんぶ。
漏れた吐息から媚びた甘い声が出そうになるそのときだった。
玄関のほうから慌ただしいというのか物凄いドタバタした重たい足音が響く。
ハッと我に返ったときには視界の端に黄色い丸い塊が飛び込んできて心臓が凍りついた。
「小娘―――! 生きてるのおっっっ!」
黄色いアフロヘア―がトレードマークのぽっちゃりオネエサマが着ているピンクのTシャツが汗で濡れている。
彼女が直立不動している。
もちろん私達二人も硬直することになった。
ベッドの上で抱き合っている、
服は身につけてはいるけれど、これはどう見ても言い訳が通用しない状態なわけで。
「な~にっ男と抱き合ってんだ、このバカ娘――――ッ!」
完全に男性の声になったマリリンの怒りが飛んでくる。
するとそんな彼の肩をやんわりと叩く長身の美女も姿を見せた。
口元に煙草をくわえたまま、にんまりと意地悪く笑っている。
「だから心配ないって言ったじゃない?」
顔を沸騰したやかんのごとく真っ赤にさせいきり立つアフロオネエサマに涼しい顔で倫子が言った。
「でもママッ……!」
振り返って抗議しようとするアフロヘア―をポンポンと優しく叩くと「わかるわ」とうなずいた。
「物音がしないからって、どこかのバカからの電話で心配して駆けつけたらこんなふうになっているんだものねえ。マリリンがどんなに胸がつぶれる思いでここに来たのか、私はよーくわかるわあ。これは張本人に責任とってもらうべきよねえ、リク?」
その言葉に龍空はゆっくりと私の背中に回していた腕をほどくと立ち上がった。
それから両手を上げて降参のポーズをすると、困ったように「うーん」と唸った。
「困ったなあ。今日は愛希、ハードな練習はしないほうがいいんだよねえ」
「ハードなことしようとしていた人間がなにをほざく?」
「ああ、倫ちゃんってばイジワルだなぁ。オレは優しく他の部分をほぐしていこうとして……」
言いかけて私が睨んでいることに気付いた龍空はそこでシシシと歯を見せて笑い「冗談だよ」と続けた。
「少し体は休ませないと本番で動けなくなっちゃうと思うんだよねえ。だから今日は合コン用のお買い物に出ようと思っていたんだけど、どうしようかなあ。そうか、こういうのは倫ちゃんのほうが得意なのか。化粧品とかファッションとか全部まるっと頼んじゃってもいい? なんなら出資してくれるとか? 倫ちゃんの行きつけのお店じゃ愛希が買うのは大変だからさ。どうしようかなあ、マジで? オレが一緒に行ければ全部お金は持つんだけどなあ。残念だなあ。オレは責任取らないといけないんだよねえ。困ったなあ」
用意された台詞を棒読みするヘタクソ役者みたいに言う龍空に、倫子は大きなため息をついた。
「請求は全部あんたに回す。愛希は私とショッピング。マリリンは心行くまでリクのマッサージ受けなさい、以上」
そう言うや否や倫子はベッドサイドまでツカツカやって来ると、私の手首を持ち上げてそのまま引っ張り上げるように部屋の外へと私を連れ出した。
私の部屋にはマリリンと龍空が残る、
いや、なぜ自室をあの二人に明け渡さねばならないのか――と思いつつ、引きずられるようにして倫子と外を歩いた。
タイトなシャツにパンツ姿が決まっている。
高いヒールでカツカツと歩く倫子はどう見てもモデルみたいだ。
その隣でTシャツにハーフパンツ姿の自分がものすごく子供に見えて仕方がない。
この取り合わせ、周りからみたらものすごくおかしいだろうし不釣り合いなのだろう。
せめて彼女のようなラフなオシャレが楽しめる女性になりたい。
ハードル高いけど。
「残念だったわね」
「あの……それは別に……むしろ感謝してます。あのまま二人が来なかったらきっと流されていたと思うし」
「そうならないための予防線でしょう、私達」
「え?」
「よく自制できているって思うわよ。チャンスはたぶんいくらでもあっただろうし。アイツにしては段階やたらと踏んでいるし。よっぽど大事にしたい理由があるのねえ。アイツにしてみたらあんたみたいなタイプはなかなかいなかっただろうから物珍しいのかしら? 昔からちやほやしかされなかったし、女は選び放題だったし、お金にも困らなかったし。なんでもかんでも手に入れられるのに、あんたときたらすぐには手に入れられないんだもんねえ。入りそうになると必ず邪魔が入るし。いいかなあと思ったらそのあと重たい一発食らうし。なんだかんだてのひらでアイツを転がしているんだから大したもんだわ。自覚がないところが怖いけど。まあ、いいんじゃない?」
「言っている意味、ぜんっぜん理解できないんですけど」
自制できているとおっしゃいますが、何回もそういう方向になっていますけど。
大事にしたい理由があるのなら人を追いつめるようなことはしないと思いますけど。
私みたいなタイプなどそこらへんにありふれているはずですよ、こんな地味で陰気な女。
それよりちやほやされ、女は選び放題、お金にも困らなかったという話がやっぱり気になる。
――だけどアイツ、寂しそうだったんだよねえ。
昔からなにひとつ困らなかったのは大手化粧メーカーの御曹司(ちなみに三男坊)だったからなんだろうけど。
それなのに満足してなさそうというか、むしろ悲しそうというか。
「まあ、愛希がアイツを嫌いなのはわかってるけどさ。一応、あれでも私のかわいい弟だから。根はすごくいいヤツなんだよ」
「わかってます」
根はすごくいいヤツなんだってことはわかる。
見た目も言葉もすごく軽いけど、芯は通った人だって。
「さあ、気合入れて買い物するわよお。でもその前になにか食べない? アイツの金だからね。いろいろ使わないと損よ、損」
そう言って倫子はパンツのポケットからクレジットカードを取り出して晴れやかな笑顔を向けた。
「はいっ! 食べちゃいましょう!」
「よし、ホテルで朝食ビュッフェ、行こうか?」
パチンとウィンクする倫子と笑い合いながら。
今頃きっとアフロヘア―のオネエサマに死ぬほどマッサージを強要されているリクのことを少しだけ思い浮かべながら。
ああ、こういう女友達がいるのも悪くないなとそう心から思った。
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