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第30話 こういうバトンは燃えるのよ
スカスカする。
スースーする。
「気にし過ぎよ」
そう言って前を歩く倫子がクスクスと小さく笑った。
「あ……しばらく短くしたことなかったので……」
長いこと切っていなかった髪は今、自分が想像していたよりもはるかに短く切られている。
首がしっかり見える状態だ。
倫子に笑われるのも無理はないほど気になって気になって気になって、気づいたらずっと触り続けている。
「あの……本当に似合ってます?」
前髪をいじりながらそう尋ねると倫子は目を丸くさせて声の限りに笑ってみせた。
「似合ってますなんて今さら聞く?」
「だって、切ってくれたレイナさんの前では恐れ多くて聞けないもの……」
数多くのトロフィーが並んだ元カリスマ美容師のレイナのハサミさばきは思い出すだけでも身が引き締まる。
迷いなく振るわれるハサミに自分の髪がハラハラと舞い散っていった。
もう何も言えない。
呆気にとられ、成されるがまま。
まるで鬼神が降臨したかのように一心不乱にスタイリングしていくレイナは普段見ているクールな雰囲気の欠片もなかった。
「まったくあなたって本当に自信のない子よねえ」
そう言うとピタリと倫子は足をとめて私の肩に両手を添えると体の向きをクルリと変えさせた。
大きな窓ガラスに倫子と短い髪になった私が映っている。
眉毛の下あたりでパッツンと切りそろえられた前髪。
ひし形に整えられたショートボブは大人の可愛さとセクシーさの両方を兼ね備えさせているとレイナは言っていた。
そして本来よりも少しトーンダウンして黒色を強調させた髪には細かい青色のメッシュが入っている。
コントラストでさらに艶感を出したのだという。
パッツン前髪も初。
そしてメッシュも初。
初体験ばかりしている。
ロストヴァージンしまっくっている――と言い換えてもいい。
さらに言えばそれを奪った相手が異性であって異性でないという特殊環境がより思い出深き出来事にさせている。
「これのどこが不服なの?」
「えっと……初体験って不安になりませんか?」
「初体験? なにが?」
「パッツン前髪とか……メッシュとか……私、髪の色も変えたことないんです」
「あんた、一体どんな青春してきたのよ?」
「髪を傷めると貧乏くさく見えるのが嫌で。ほら、パーマとか色明るくし過ぎるとパサパサしすぎて貧乏臭くなるじゃないですか? あれは嫌だと思って……」
そう答えると倫子は腹を抱えて笑いながらその場に蹲ってしまった。
さらに歩道をバンバンとめちゃくちゃ平手打ちしてくれている。
その様子を道行く人が奇異の眼差しで見ながら通り過ぎていく。
当たり前か。
いい女が大声で笑い飛ばしながら歩道を殴っているんだから。
おかしくなっちゃっていると思われても致し方ない。
「り……倫子さんッ!?」
「アハハハハハハッ。やっぱりいいねえ。いいよ。あんた大好きよ、私」
泣きながら笑う倫子は立ち上がると、私の背中をバンッとひとつ叩いた。
「痛いんですけどぉ……」
「当り前よ。気合入れたんだから。きーあーいー」
「なんですか、それ?」
「ん? 私のやる気スイッチも振り切れちゃったからさあ」
そう言うと倫子はまたスマホを取り出すとどこかに電話を掛け始めた。
「私、倫子ぉ。悪いけどお店来てくれる? え? そっちじゃなくてあんたの店。うん、今から愛希と買いに行くから。うん、そうよ。だからあんたが来てくれないとダメでしょ? じゃあ、10分後には店の前だから。すぐに来てね。お礼はたっぷりするからさ」
一方的に続けて倫子は電話を切った。
相手が誰なのか、まったくわからない。
ただ恐ろしいほど倫子のテンションが上がっていることだけは間違いない。
「さあ、行くわよ。アイツ来ちゃうから」
「アイツって誰ですか?」
「え? それはお店についてからのお楽しみよお」
「って、次はどんな店に行くっていうんですか!?」
「買い物に来たんだから、次はやっぱりお洋服でしょ?」
「お知り合いのお店に……なんですね」
「そうよお。アイツの店、とっても人気あるから。そうそう。今回は特別にアイツが直接採寸してデザインしてくれるから」
アイツの店?
人気店?
本人が直接採寸?
本人がデザイン?
「お……オーダーメイド……とかって言いませんよね?」
すると倫子はニッタリとこれでもかと口を広げて笑う。
何回目になる、この笑顔?
そしてこの笑顔は悪だくみを思いついたときに出てくるものだと予想できて――
信じていいのか?
いけないのか?
いや、もうここまで来たのなら引くに引けない。
髪もない。
実権はすでに倫子の手の中だ。
「折角の勝負の舞台にはオーダーでしょう? 既製品なんて野暮なこと言わないの。どうせ金払うのはリクなんだし」
「ちょっ……あのバカに後で全額払えなんて言われたら困るんですけど! 私、高給取りじゃないし!」
「あら? それなら体で払えばいいじゃない? だって二人は……」
「ちょ――ッと、倫子さんッ!」
慌てて両手をバタバタと振り回す私を見ながら、倫子はニタニタとした笑みをとめなかった。
逃げるように少しだけ歩く速度を上げる。
一等地と言われる表通りにある、とある店の前やってきたときは、彼女が宣告した通り、電話してからほぼ10分後のことだった。
真っ白い正方形の建物に大きなショーウィンドウ。
そこに飾られた美しいシルエットをした大人女子向けコーディネートが白いマネキンに美しくディスプレイされている。
――キレイだな。
そう素直に思えるほどに女性らしい曲線美に溢れた洋服が並べられていた。
こんな店の洋服をオーダーメイド。
そしてこれをデザインしている人に作ってもらうのかと思うとまるで夢物語のようだ。
リクと出会わなかったら、きっとこんな店にも一生来なかっただろう。
今のようにただぼんやりとショーウィンドウを見上げているだけだったかもしれない。
いや、そもそもこの店の前で足をとめるなんてしなかった。
パソコンで適当に安い流行ものの服を注文して、なんとなくオシャレになった気持ちを膨らませる。
その程度で満足していたと思う。
まして自分をこっぴどく振った男にリベンジしようなんてことも考えなかっただろうし、新しい男を作ることも諦めていたかもしれない。
自分の殻に閉じ籠って男なんてと鼻でせせら笑いながら、いつかやってくる王子様に期待しているだけで、きっと自分からは1mmも動こうとは思わなかっただろう。
私はラッキーなのかもしれない、そういう点では。
特殊な人脈が広がりつつあるような気がするから、
ラッキーなんだと……できれば思いたい。
「あっ、来た来たっ!」
嬉しそうに声を上げた倫子に肩を叩かれてショーウィンドウから表通りへと目を向けた。全身黒のライダースーツに身を包んだ細身の女性が大型バイクを店の前の駐車位置に停めるところだった。
フルフェイスのヘルメットを被っているので顔はわからない。
その人物は颯爽と降りてくるとツカツカとこちらへ歩み寄ってきた。
自分たちの前で一気にフルフェイスのヘルメットを脱ぐ。
長い髪がさらっと流れてライダースーツの上に舞い落ちた。
ヘルメットを持つ手とは反対の手で髪を掻き上げた人物の顔に口があんぐりと大きく開く。
言葉が出て来ないまま、目は豆鉄砲を食らった鳩のごとく丸くなる。
知らない人物ではない。
むしろめちゃくちゃ知っている。
だけどそのライダースーツ姿は反則ではなかろうか?
ボンキュッボンなセクシーラインを強調しすぎで周りの男性の視線を釘付けにしまくっているじゃないか!?
某アニメのセクシーお姉さまを彷彿とさせるその人物の登場にもはや笑いしか込み上げない。
「悪いわねえ、ナナちゃん」
「いいえ。時間ないですからどんどんやっちゃっていいですか?」
隣にいる私をちらりと見ただけでナナは倫子にそう告げた。
「ええ、もっちろん。お金はリク持ちだから好きにしてね。あと、今回のテーマは大人セクシーだから。そうねぇ、背中強調したデザインでお願いしたいかなあ。いいかしら?」
「え?」
なにか今、とても重要な一言をさらりと言ってのけませんでしたか?
背中を強調したデザイン?
背中ってなに?
「はい。ではアキ、お借りしますね」
そう言うとナナは私に中へ入れと言うように店の扉へとカツカツ進んでいった。
「え? ええっ!?」
話の流れにさっぱりついていけていない私の背中をずずいっと倫子は押した。
「30分後に迎えに来るから、また後でね」
そう囁いてスタスタと去っていってしまう。
「ちょ! 待って、倫子さん!」
「あなたはこっち!」
「は……はいッ」
叱られて回れ右。
ばっちりメイクを施した美しいオネエサマに促されて、しぶしぶ店内へと足を踏み入れる。
白の大理石の床はピカピカに磨き上げられいて、そこかしこに洋服がずらりと並んでいる。
奥にあるガラス製の階段から二階へ上がると、正面には『VIP専用』と書かれている金色のプレートがはめ込まれた扉があった。
ナナはそこへ入るように指示をする。
VIPって恐れ多いです。
しかし誰がこんな部屋を利用するのかな?
いや、そもそも今から何が始まるのよ?
もしや……採寸?
恐る恐る入ると、ナナは静かに扉の鍵を閉めた。
ライダースーツを胸元まで引き下げると豊満な胸の谷間に手を突っ込んだ。
あまりの光景に唖然とする私にナナは「その髪、レイナ?」と訊いた。
「はい、そうです」
「そう、似合ってるわ。それにさすがね。一流芸能人からもこっそりオファー来るくらいなのに全部断っているあの子がやっているんだから当たり前か」
「げ……芸能人……!? そ……そんなにすごい人だったんですか!?」
「まあ、過去はすごかったわよ。あの子にやってもらえるなんて幸せ者ね、あなた」
と一度目を伏せツッコんだ手を一気に引き抜くと、手にしたものを両手で引き延ばしてニヤリと笑った。
「だからね。こういうバトンはより燃えるのよ」
「は……ぃ?」
「全部見せてもらうわよ」
『お覚悟はよろしくて?』とでも言うように右手を私に差し出しながらナナが告げた。
彼女の瞳に燃え上がる炎が見えた私は気圧されてように一歩後ずさる。
だけど逃げ場はどこにもなくて――
「い……いやぁぁぁぁっっっん!」
なんてキャラにもないような絶叫をするだろうとおそらく予想して去って行った倫子は今頃腹を抱えて笑っているに違いない――と恨めしく思いながら、私は見事にナナに身ぐるみ剥されてしまったんだ。
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