第30話 エビで鯛を釣る

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第30話 エビで鯛を釣る

 回る、回る、メリーゴーランド。   物言わぬ白馬は私を乗せて、いつまで、どこまで回り続けるんだろう?   人生ロンド。   どこまでも、どこまでも…… 「あ――きぃ――」   放心状態のまま青い空を見上げていた私の視界を遮るように、耳元のスイングピアスを揺らした長髪美女に名前を呼ばれた。   ――ああ。メリーゴーランド。  なんていう妄想は頭の片隅に追いやって、現れた美女こと倫子を睨みつける。 「なんて顔するのよお。ほら、笑いなさいって。せっかく、レイナに綺麗にしてもらったのに」  フニフニと私の柔らかな頬肉を掴んで伸ばしてを繰り返しながら、意地悪なほほ笑みを湛えて倫子が笑った。 「キレイにしてもらいましたけどお。置いていくって……ひどくないですか?」 「そう? なら、一緒にいてよかったわけ?」 「いえ……それは……」  ほんの少し前までの悪夢を思い出し、身震いする。   身ぐるみはがされて美女、いいやオネエサマに体の隅から隅まで採寸されていたわけだけど。  オーダーメイドで服を作るんだから採寸するのは致し方ない。  だけど、一応、元『男性』であることに変わりはなくて。  いやいやいや、本来なら好きな男以外にはあまり見せてはいけないはずの裸をいろんな方々にお披露目することになっているっいうのが不本意なわけで。 「だいたい、恥ずかしがることなんてないじゃない? CMでもっと恥ずかしいこと、ガッツリやっちゃってるのにぃ?」  ニマニマと笑うこの人に恩義がなかったら、きっと鉄拳お見舞いしてますよ。  けれど、そういう気持ちはグッと押し殺して顔を覆う。  乗せられたこととはいえ自分で決めて全国的に晒した姿だ。  顔晒しは今のところしてはいないけれど、あと数日でその顔も晒すことになってしまう。そっちのほうがよほど恥ずかしいことだけど、なにも心に大ダメージを負っている今、このタイミングでそれを振らなくてもいいじゃないか? 「ほらっ、そんな絶望顔してないで。さっさと帰ろう。そろそろ帰らないとリクがマリリンの餌になってしまうから」  ほらほら……というように腕を掴まれ立ち上がらされる。  いや、あんなバカホストなんてアフロオネエサマの餌になってくれて構わないです。  むしろ食われて骨の髄まで飲み込まれてしまえ!  倫子と連れ立って再び歩き出す。  そしてふと、倫子の左手に先ほどまでなかった小さなビニール袋を見つけた。 「なんですか、それ?」 「ん? リクへの手土産。ほら、気持ち良くお金払ってもらわないといけないじゃない? 今回、結構な出費させると思うからさあ。まあ、こんなもん渡さなくてもアイツの計画だから、喜んで出費するとは思うけどねえ。でも飴は必要だと思わない?」 「それを買いに行っていたと?」 「そうよ」 「飴……?」 「そうよ、人を使うならここがミソよ。女ならしたたかに、これくらいやらないとねえ。男はバカなんだから、それを上手に使ってやらないと。あくまでも気持ちよーく、悟られないように、ちょっとした気遣いを鳩尾に入れてやる。アキの鳩尾パンチよりも効果絶大よお」  あははははは……と私が龍空の鳩尾に鉄拳お見舞いしたときのことを思い出して高笑いする倫子。 「だから……なんですか、それ?」 「ヤツの大好物」 「大好物?」 「そ、大好物」 「教える気ないんですか?」 「教えちゃったらアキの楽しみひとつ取り上げちゃうじゃない?」 「楽しみって……なんですか、それ?」 「恋する乙女は相手の好きな物を自分で探るのが楽しみなんでしょうよ」 「恋する乙女って。なんでそうなるんですか!」 「あら? 恋してないの?」 『リクに』  と目が告げている。  ふいっと顔を背けて視線を逸らした。  恋する乙女って……そんなバカな。  あのアホホストだぞ。  女の敵だぞ?  そんなヤツに私が恋をするわけが……な……い? 「正解はねえ。黒鋼屋のたいやき~」  そう言って倫子がビニール袋に印刷された店のロゴマークを見せる。 「たいやき?」 「そうよ。昔っからここのたいやきが好きだったの、アイツ。私や亨の分まで食べちゃってね。亨とは大激怒。仕方ないから私が二人分をまた買いに行くってこと、日常茶飯事だったわ。あんな二人にもかわいい子供時代があったのよねえ」  倫子は袋からたいやきを取り出すと「ほら、ひとつどうぞ」と私に手渡した。 「そんなわけでアキ、1000円あとで私に返しなさいね」 「え? なんで?」 「私が買って渡したところで意味がないでしょうが。エビで鯛を釣るんだからさ」 「エビで鯛を釣る……」  1個200円のたいやき5つで、今朝の食事代と美容院の費用、オーダーメイドの服の支払いを喜んでする男がこの世に本当にいるんだろうか。  消化不良の疑問を抱いたまま、私たちは表通りでタクシーを拾ってマンションへ向かう。  タクシーを降りるとすぐに倫子は私に向き直って、右手の人差し指を私の鼻先に立てた。 「今日の夜はお店来るのよ。体を動かさなくていいから音楽とフリは聞いて、見て、頭に叩き込んでほしいの。無理は承知の上だけど、私たちは遊びでやっているわけじゃないから、できるだけの努力はしてほしいのよ。リハは明後日。本番はその次。ハードで高いハードルだけど、あなたなら乗り越えられるって信じてるわよ」  バンッと背中を一たたきすると、倫子は颯爽と階段を上って私の部屋に向かって行った。 「私なら乗り越えられるって……」  ハードルが高すぎる。  だけど信じているって言われたら、根性据えてやるしかない。  ――そうね。もう賽は投げられたんだから!  追いかける私は倫子の足の長さを思い知りながら、心の中で盛大にため息をついた。  しかし部屋に戻ってさらにそのため息は大きくなった。 「ちょ―――――っと、あんたたち、人のベッドの上でな――――に、やってんのよぉ―――!」  ベッドの上で上半身剥き出し状態でマリリンに押し倒されながら、必死にもがく龍空の顔が引きつっていた。  裸の上半身にはいくつもいくつもべったりと真っ赤な口紅の痕が残っている。  顔にも腕にもどこにでも、真っ赤なバラの花びらのごとく。 「いや……愛希ちゃん。これは……不可抗力であって……オレのせいではな……」 「問答無用!」 「な……! やめてぇぇぇ! 痛いのはぁぁぁぁ!」  馬乗りのマリリンを投げ捨てるようにしてベッドから逃げ出す龍空の背中にとび蹴りを炸裂させた話は、後、倫子たちオネエサマ方の中で語り継がれる伝説となった。
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