第31話 不本意極まりない

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第31話 不本意極まりない

 いくつもの照明に照らされながら足が高らかに舞う。  歌声は麗しく、色とりどりのゴージャスなドレスの裾がひらり、ひらりと揺れている。  長く伸びたスラリとした細い足が宙を切るように翻って、肉厚な爆弾ボディがゆさゆさ揺れている。  ダイナマイトなアフロヘアに、たなびくロングヘアー。  美しい化粧を施したお兄様、おじ様方は、ステージ上ではキレキレのダンスを踊るお姉様、おば様達へと変貌を遂げている。  見慣れたはずだというのに、ただただ感動しながら眺めていた。  ぽっかりとお口を開けながら……  熱気渦巻くステージは熱い声援とおひねりをわんさか呼び込んでいる。  皆くちぐちに御贔屓の名前を叫んで、熱狂的に盛り上がっていた。  そのお客さんたちの声援に応えるようにステージ上のオネエサマ方はビシバシ決めポーズを決めながら、熱いダンスを踊っている。  刻むビートに心が自然に踊っているのはなぜだろう。  手と足でリズムを取って、曲を口ずさんで、しっかりフリを頭の中で再現していた。   「大丈夫そうだね」  そんな言葉に手と足が自然にとまって声の主をチラ見した。  テーブルに置かれたフルーツたっぷりのゴージャスなクリスタル製の器からイチゴを摘んで口の中に放り込んだ全身真っ白なスーツのチャラ男は、ニヤリとこちらに向けて笑みを投げた。  せっかく気持ち良くフリをを脳内再現していたというのに……水を差してくれるな、バカホスト。 「ねえ、仕事は?」  そう尋ねると、リクは「もちろん、行くよ」と何事でもないように答えた。    現在夜の八時です。  この時間帯ならナンバーのついたホストは出勤しなくても特に問題ないとかなんとか言っちゃっているが、こいつは本当に仕事をしているのかと疑いたくなるほどのんびりしている。 「そんなんでナンバー守れるの?」 「あれ? 心配してくれるの、アキ?」  質問で質問を返してくるな。  ちゃんと答えろ。  質問しているのはこっちだぞ。  と心の中の声をそのまま視線に置き換え、リクを睨み倒す。  だけどいつものことながら、そんな睨みは効果もなく、リクはうふふと気持ちの悪い笑みを零して、今度はパイナップルを口の中に放り込んだ。 「明後日がリハで、その次が本番かあ」 「パインは食べたかったのに……」 「ああ、酢豚に入ってるパインも平気だったっけ。ごめん。食べかけ食べる?」  オレの愛がたっぷりついてるけど?   な~んて食欲が落ちるようなことは付け加えなくていい。  軽くわき腹にワンパンチ入れると「うっ……」と鈍い声を上げて、龍空は腹を抱えた。 「アキの愛のパンチは重すぎる……」 「あんたの言葉は軽すぎる」 「だって重たくしたら愛希、逃げちゃいそうなんだもん」 「重たくなくても逃げたいわよ」 「またまたあ。愛希ちゃんってば本当にツンデレさんなんだからあ。素直になっちゃえばいいのに」  と目を眇めて伝えてくるあたりが本当にいやらしい。  なんで、私はこの男といるんだろうか?  もっと言えば、なんでこんな男の口車に次から次に乗せられているんだろうか? 「あー、でもでも、やっぱりその髪型はさ。いいイメチェンだと思うよ。なんていうか……可憐なかんじ?」  語尾を疑問形にしないで肯定形にできないのか? と、殴りたい衝動を押しとどめる。  龍空はそんな私を見ないようにしながら、シャリシャリ音を立てながらリンゴを頬張った。 「さっすがにレイナちゃん。いい仕事するねえ。うん、愛希のキュートさがますます前面に押し出されたね。それにメッシュも似合うじゃん。今までやったことないとか、本当にもったいなさすぎる。でも黒髪が嫌っていうわけじゃないよ。黒もいい。愛希はなんでも似合うからさ。黒髪美人もいいけど、ちょっと軽い感じのキュート女子もなかなかオレ好み」 「あんたのために切ったわけじゃない」 「うん。でもきっとそうなる」  ニッコリ笑顔のままキッパリと答える龍空の顔をぶん殴ってもいいですか?  するとそれを察したのか、リクはコホンと小さく咳払いしてから「約束してほしいことがひとつ」と言った。 「約束?」  小首を傾げてそう問うと、龍空は懐から一台のスマホを取り出して私の前に差し出した。 「なにこれ?」 「スマホ」 「そんなの見ればわかるわよっ」  自分が普段使っているスマホとまったく同じものが目の前に置かれている。  それをツンツンと指さしながら「愛希のスマホ出して」と告げたんだ。 「これと交換して、合コン本番の日まで」 「なんで?」 「なんでも」 「意味わかんないからヤダ」  こんな男に渡したら、なにされるかわかったもんじゃない。  こっそりいろいろやられるのがオチだし、そもそも信用していない人間に渡せるはずがない。  答えを予想していたらしい龍空は「じゃぁさ」と苦笑いをこぼした。 「たとえばなんだけど。もしも、この電話に『あの人』から連絡来たとしよう。取らない自信ある?」  上目づかいで私を見る龍空の顔から笑みは消えていた。  彼が誰を示して言っているのかがわかって息を飲む。 「甲山貴斗から電話来ても絶対に取らないって言えるなら別にいいよ」 「な……んで、アイツが電話を掛けてくるのよ?」  ドキドキ、バクバク……心臓が早くなり始める。  アイツの名前を聞いただけでキュッと胸が苦しくなった。  これは期待?  これは不安?  これはなんのドキドキ? 「合コンの日の午前中にこの間の取材の記事が載った雑誌が発行される。たぶん、彼はその本を見つけると思うよ。っていうか、見つけさせるように仕向けた」 「はぃ!?」 「合コン相手の『謎のCM美女』が愛希だって、当日、彼は知ることになる。そうなったら個人的にアポイントを取りに来ると思う……じゃないな。絶対に電話してくる。もしくはメール。どちらにしても、絶対に連絡は来る。そのとき、愛希は返事をしないでいられる?」 「ちょ……ちょっと待ってよ。意味がわかんない。わかったからってなんで連絡? それに連絡先なんて消しているかもしれないじゃない? なのに……」 「じゃあ、愛希は連絡先変えた? 甲山貴斗と別れてからメアド変えた? 電話番号変えた? その人の番号、消してある?」  畳み掛けるように龍空はそう質問した。  答えるチャンスすらないほどに―― 「それは……」  答えられないのは全部当てはまったからだ。  貴斗と別れても、私は貴斗の連絡先を消していない。  何度も消そうとした。  掛けようと思ったこともない。  でもできなかった。  他の男の連絡先は消せたのに、貴斗の番号とアドレスだけは消せなかった。  悔しさもあった。  いつか向こうからかかってきたら、こういうことを言ってやろう。  いつか向こうからメールがきたら、こんなことを返してやろう。  頭の中で幾度も幾度もシミュレーションした。  だけど一度としてそんなことはなかった。  別れてもう何年も経つ。  その間、一度も貴斗から連絡なんか来たことはない。  さっさと私の連絡先を消したに違いない。  そう思うのに、なぜか龍空は自信を持ってそう言うんだ。 「男は簡単に女の連絡先は消さないよ。男のほうがそういう部分は引きずるっていうか、女の人より割り切れない。いつかどこかで会うかもとか……まあ、男のほうが女々しいのが多いってこと」  そう言い切ると、リクは右手を出すと、そのまま私のほうへ突き出す。 「ん!」 「は?」 「ん!」  出してほらっと机の上のスマホまで手に取って私に突き出してくる。  じっと突き出されたスマホと龍空の顔を見つめる。  下げる気はないらしい断固とした目がそこにある。 「……わかったわよ」  そう言ってしぶしぶスマホを取り出して龍空の手に乗せてから、反対の手に乗せられた全く同じ機種のスマホを手に取った。  不本意だけど。  本当に不本意だけど、龍空の言う通りだ。  私はきっと無視できない。  まちがいなく出るだろうし、返してしまうと思う。  繰り返し頭の中でずっと想像してきた瞬間だから。 「じゃあ、合コンの日。見事リベンジ決まったら、これはお返しするから。あっ、無駄にいじらないって誓う。それと、そっちにはオレと倫ちゃんの連絡先は入れてあるから安心して。あー、家族からの連絡はどうしようかなあ?」 「出ないでよ!」  いたずらっぽく笑ったリクにピシャリと言い放つと、彼はカラカラと笑って、スクッと立ち上がった。 「さて、オレは仕事行くね。マッサージ、ちゃんとしてゆっくり休んでね。明日もちゃんと来るんだよ?」 「そ……そんなこと、あんたに言われなくってもわかってる……」 『わよ』と続けようとした私に、すぅっとリクが近づいて額の上のほうに唇が落ちた。 「とっても可愛くなったよ。自信持って……がんばれ」  『愛希なら絶対に大丈夫』  そう続けるとリクは体を離した。  見上げた彼は白い歯をこれでもかと見せつけるように極上の笑顔をこちらに寄越していた。 「あ……あんたに応援されなくっても頑張るわよっ」  プイッと横を向きながら、それでも視線だけは龍空を追ってしまう自分の浅ましさ。  言うとおり、ツンデレちゃんに成り下がっている。  女のプライドどこ行った!  やりこめられすぎだ、私!  ちょっとくらい優しい言葉かけられて、ふらふらしちゃう。  そんなどこにでもありふれたダメな女の典型じゃないか!    ――しっかりしろ、愛希。アイツはただの天敵です。 「心配なさそうだね。じゃ、またね」  ヒラヒラヒラヒラ。  いつものごとく軽く手を振って、真っ白なスーツ姿の男が消えてなくなるまで私はその背中を見つめ続けていた。  熱気にあふれた空間の中にひとり置いて行かれる寂しさが込み上げる。  そんな不本意極まりない気持ちを抱えたまま、私は渡されたスマホを強く握りしめた。
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