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第36話 すげーセックスしたいと言われても
人の気配に私の脳はほんの少しばかり覚醒した。
音もなく入ってくる『誰か』の気配だけは敏感すぎるほど感じ取ったからだ。
きっと浅い眠りに入っていたからなんだろう。
シーツの上を滑るように潜り込んでくる相手に、自然と体が硬くなっていく。
薄い羽毛の掛蒲団の端をぎゅうっと握りながら、このまま眠ったふりをし続けるべきか、それともクルリと振り向いて『お帰り』と声を掛けるべきかを考える。
だって背中を見せたままなのはとても危ういだもの。
Tシャツ一枚にTバック。
バカホストからしたらこれ以上美味しいシチュエーションはないはずだ。
このまま後ろから抱きつかれて、ああでもない、こうでもないされ放題は御免こうむりたい。
据え膳食わぬは男の恥なのは重々承知の上で、不本意ながら龍空のマンションに来ることを決めたのも他ならぬ私自身だけれど。
――ん? ちょっと待て。
そもそもここのマンションには部屋が他にもあったはずじゃなかったか?
なにも私の寝ているベッドで一緒に寝る必要性なんかないはずだよね?
『ここで寝てね』って部屋を指定したのは間違いなくあのバカホストで、部屋を間違えて寝た覚えもない。
それならば、やはりこれは一発言ってやらないと――
そう思って、もぞりと体を動かした瞬間だった。
にょっきりと太い腕が布団の中から伸びてきて、私はガッツリ後ろ側から引き寄せられるようにして抱きしめられた。
熱い息が耳元に掛かり、アルコールの匂いがガンガン鼻孔を攻撃してくる。
――酔っぱらってるじゃん!
なんとか腕を振りほどこうとしたけれど、「ちょっとだけ……」と、力の入った腕からは想像できないようなか細い声で言われては抵抗する力を削がれてしまう。
「ちょっとだけ……このままでいて……」
私の体をさらにきつく抱きしめるバカホストの唇が首筋に寄った。
耳の根元をやんわりと唇で挟むようにキスをされる。
「ちょ……」
反射的に首を動かすけれど、リクの大きな手が喉元に伸びてきて軽く押さえつけられてしまう。
また首筋にキスを落とされる。
今度は尖った湿った舌先まで添えてチュッと……軽く音がするようなキスをしてくる。
それと同時にすばやくTシャツの下の素肌に龍空の手が伸びてきて、腹の脇をゆっくりと摩り上げられる。
ゾワリとした感覚が撫でられた部分から上半身と下半身に拡散していく。
龍空の手は胸に触れそうなギリギリの部分でとまって、わき腹を中心にして静かに撫で上げ続けている。
その間も首筋への攻撃は続けられる。
艶めかしい、ちゅくっ……という唾液を含んだキスの音に刺激されるように全身が急激に熱を帯びていった。
「あふ……っ」
溜まらずに口から洩れてしまった声に『待っていた』とばかりに龍空が半身を軽く起こして私の顔を自分のほうに向けさせた。
抗う間もなく私の口は龍空の酒臭いそれに塞がれてしまった。
「んん……っ」
熱い舌が一気になだれ込んで来て、私の上顎を舐めとっていく。
龍空の下が暴れるように私の舌に絡まっていく。
わき腹を柔らかく撫でていた手はいつの間にか、たわわに実った乳房を覆ってゆっくりと円を描くように撫でている。
「あっ……やっ……」
酔った勢いでやっちまおうという気つもりなの!?
そんな小さくて卑劣な男だったわけ!?
ありったけの力を込めて手足を動かし抵抗する。
こんな形でセックスしたくない!
こんな形で龍空としたくない!
どうせするならもっとロマンチックに。
ちゃんと愛されているってわかるようなセックスがしたいのに――!
「泣かないで……」
そう言われて、私はハッと目を開けた。
窓から差し込む光に、龍空の顔がぼんやりと浮かんで見える。
困ったように目じりを下げて『ごめん』という言葉を紡ぐ唇はすでに私の顔から離れたところにあった。
乳房をまさぐっていた手も体から離れ、私の目元の濡れた部分を拭っていた。
そんな風に獣から一気に草食系に戻った龍空の熱い裸の胸に、ドンッと一発拳を叩きこむ。
「卑怯者!」
そう言うと「本当だ」と龍空は乾いた笑いを浮かべた。
そして「正直に言う」と私の顔の輪郭をなぞるように優しく撫でた。
「なによ?」
睨みつけながら見上げる私から、龍空は一度視線を逸らした。
深呼吸すると吐き捨てるように告げた。
「愛希とすげーセックスしたい」
龍空を見つめる。
まばたきもできない。
リクも私を見つめたまま固まっている。
「あんた、酔ってるでしょ?」
「うん、すげー酔ってる」
龍空がいつものフニフニ砕けた笑顔を浮かべる。
だけど目だけは笑っていなくて、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「我慢が爆発しそうなんだ。オレ、愛希を抱きたい。めちゃくちゃにしたい」
「それ……他の男と変わんないじゃない……」
呆れたようにそう告げる私に、しかし龍空はきっぱりと「違う」と言い張った。
「どう違うのよ?」
「愛の深さが違う」
「意味がわかんないんだけど?」
「だからわからせたい。もう嫌だというくらいわからせたい」
「でも、こういう酒の勢いでやっちゃおうって言うのはポイント下がる」
「……だよねえ」
アッハッハッハと今度は大きく笑ってリクはごろんと寝転んだ。
右腕で目元を隠すように覆う龍空の顔を、私は半身を起こして見下ろした。
龍空はちらりと腕を外すと、私の顔にまた手を伸ばして小さく笑った。
「今日の愛希さ。すごくキレイだった。オレがこんなに狂っちゃうくらい、本当にキレイだったんだ」
真剣な眼差しでハッキリと告げられた私の心臓がドキンッと小さく跳ねた。
リクの親指が私の頬を小さくさする。
私の視線を外させないほど彼の目が強く輝いて見えた。
「オレだけのものにしたいって本当に思った。だから……もう過去を引きずらせるようなマネはさせないから」
「……龍空……」
どうしてこの男はこんなにも私に入れ込むんだろう?
なにか特別なことをしたわけじゃない。
むしろ、なんにもしてない。
ここまで思ってもらえるようなことをした覚えなんかひとつもないし、そんなに魅力があるとも思えない。
龍空なら他にいくらだって選べるはずなんだ。
なのに、どうして私なんだろう?
だから聞きたくなる。
なんでって――
「龍空……あのね……」
質問しようと声を掛ける私のお腹の辺りに龍空は潜り込んで顔を寄せると、そこで大きく息を吸いこんだ。
「愛希の匂い……いい匂い……」
「ちょ……」
「お疲れ様、愛希……おやす……」
『み』という声の代わりに静かな寝息が私の腹のあたりから聞こえ始める。
「マジで?」
長いまつ毛をつんつん引っ張ってみても、ぱちぱち頬を軽く叩いてみても、フニフニになった口元を引っ張ってみても、龍空はなに一つ反応しない。
深い寝息だけが静かになったベッドの上に落ち続けている。
「もうっ……本当に……勝手なんだから……」
そう呟きながら大きく嘆息する。
龍空は深い眠りについていた。
それこそ精も根も使い果たしたみたいな深い、深い寝息を立てて。
「寝ていれば……顔はイイのに……」
全国から女子が押し寄せるくらいの美貌は湛えている。
寝顔は本当にモデルみたいにきれいだと……思わなくもない。
内容に問題がなければ、これほどの男に言い寄られることに悪い気分になんかならなかったはずなんだ。
だけど引っかかる部分が多すぎて、どう対処していいのかわからない。
『愛希とすげーセックスしたい』
ドストライクに自分の欲望を口にしたこの男の言葉に胸がときめいたのは……認めたくないけれど真実だ。
「私は……」
セックスしたいんだろうか?
この男とならセックスしてみてもいい?
――って、期待持たせないでよ……もうっ!
ベッドの上に流れる彼の柔らかで艶やかな茶髪に指を這わせる。
起こさないように静かに撫でてみる。
勝手な男。
勝手すぎるっていつも思うのに、どうしても憎みきれなくて……
やり場のない悔しさを奥歯で噛みしめながらも、なぜか私の口元には小さな笑みが浮かんでいた。
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