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第37話 ねつ造でいいの
女性ファッション雑誌Lunaがリビングテーブルの上に置かれていた。
「どう?」
そう言って龍空はワクワクと目を輝かせて私の顔を覗きこんだ。
「どうって……」
表紙を見るだけでドキドキがとまらない。
『特集』の二文字の後には『CM謎の美女の正体』という赤文字がデカデカと表記されている。
そして表紙の写真には私の鼻から下の顔とブラウスから大きく覗いた鎖骨という、とても刺激的なものが使われていた。
倫子のメイクの賜物によって生まれた官能的なプルプルした唇を見て、これが本当に自分なのかと疑いたくなる。
パーツモデルの写真と差し替えたんじゃないのかという疑念さえ湧くくらいには、普段の私とはかけ離れた秀麗な表紙に先ほどから息を飲み込みっぱなしだった。
「綺麗に撮れてるよねぇ、コレ」
龍空はニヤニヤ笑いながら私の顔を伺っていた。
「見る?」
からかうようみたいに小首を傾げて私を見る男の面を、できることならぶん殴ってしまいたい。
だがしかし、中身を見ないことにはぶん殴れない。
「見る」
淡々と答えて私は片手を差し出す。
だけど逆にその手を取られて、ぐいっと引っ張り込まれる形になった。
ソファーに深く腰を掛けた龍空の隣に強引に座らされる。
距離を取ろうとする私を逃がすまいと龍空は私の腰をロックして言ったのだ。
「どうせなら一緒に見ようか?」
「あなた見たんでしょ?」
「見てないよ」
「なんで?」
「だって一人で見たって面白くないじゃん」
「からかってるの?」
「『特別』なことは二人でしたいんだよ、オレはね」
ニッコリと悪意を押し隠した笑顔を湛えて答えてくる。
さらに『一緒に見ないなら、コレ見せてあげないよ?』くらいの威圧を掛けてくる。
本当に意地が悪い。
「わかったわよ、貸して」
仕方なく龍空の隣に落ち着いて、雑誌を受け取る。
広告ページを数枚めくった後に私の特集記事が載っていた。
『CMの謎の美女 アキ』
と大きすぎる黒文字で書かれた文章と私の全身写真。
まだ顔は隠されている。
だけど、このためだけに用意されたフェミニンなスカイブルーのフリルシャツに白のミニスカートのスーツを着た私がベッドに両手を投げ出して艶めかしく足を組んだ状態で横たわっている姿が見開きページでドカンッと掲載されている。
そこに踊る文字も『謎の美女、彼女の名はアキ。彗星のように現れた正体不明の美女の素顔に迫る』云々が書かれていて、再度ゴクリと唾を飲み込んだ。
「素顔に迫るってのが良いよねえ」
呑気な感想を投げてくるバカホストは無視して、震える指でページをめくる。
今度は私の顔がまるっと出た写真が掲載されていて、自分とは思えないほど妖艶な笑みを浮かべながらホテルの窓際に佇んでいる。
「いい写真。この笑顔はそそる」
どさくさに紛れて私の腰をグッと自分のほうに引き寄せる男を睨みつける。
しかし龍空はそんな私の視線をガン無視して「ほらほら」と指差した。
「わあ、ほら。個人情報結構載っちゃってるねえ。これじゃ、愛希ってバレちゃうねえ。会社、大パニックになるね。ちなみに亨兄には了解、ちゃんともらってるからね!」
「ねえ」
「なに?」
「楽しんでるよね?」
「楽しんじゃいけないの?」
「会社行けなくなるって思わないの?」
「思わないよ」
ガツンッと思いっきりリクのつま先をかかとで踏みつける。
「ぎゃっ……!」
龍空は少しばかり腰を浮かせて痛がって見せた後で「不意打ちなし~」と情けない声を上げた。
これくらいで済ませてやっているんだから感謝してほしい。
――まったく。いつか絶対にギャフンと言わせてやるんだから!
なおも痛がり続けるバカを無視して、私は視線を雑誌に戻した。
言われたように会社の命令でCM出演したことなどが書かれている。
「ん!?」
違和感を覚えた文章に出くわして、目をとめる。
話した覚えのないことがたくさん続いていたからだ。
理想の男性やら今の生活やらが書いてあるが、まったくのでたらめだった。
「これ、なんなのよ?」
と問えば龍空は策に満ちたいやらしい笑みを湛えてみせた。
「あれ、気づいちゃった?」
「気づくも何も、こんなこと言ってないじゃない」
理想の男性を聞かれて、私は『誠実な人』と答えた。
だけど雑誌では『自由でロマンチック。女性心を理解して接してくれるような男性に心がくすぐられる』みたいなことが書かれている。
実生活なんてまったく違っていて、お洒落なカフェでコーヒーを飲みながら読書するのが好きだの、バーでカクテルを飲むのが仕事終わりの日課だの……おおよそ私がやっていないことばかりが羅列しているんだ。
「ねつ造じゃない!」
「ねつ造でいいの」
「はぁ?」
呆れたように見た龍空の顔から笑顔がなくなっていた。
「これはあくまで今日の合コン用のネタだから。これを見て甲山貴斗が昔のキミと今のキミのギャップを思い知ればいいだけ。そのためにオレが加奈子さんに言って文章を考えてもらったから。キミは今日、ここに書かれた『アキ』を演じてくれればいい。ここから一歩外に出れば、周りはキミを雑誌に載っている『アキ』として見ることになるんだから」
「な!?」
呆気にとられて言葉が詰まる。
アキを演じる?
周りがみんなして私じゃない、作られた『アキ』で見る?
ちょっと待て。
私を一体なんだと思っているんだ、この男!
「わ……私はあんたのおもちゃじゃない! それにねつ造されたものなんてすぐにはがれちゃうもんでしょ? それなのに私に『アキ』を演じろって? 何考えてんの? 私は女優じゃない。普通のOL。しかも地味。ファッションに疎くて、化粧がへたくそで、友達がいなくて、彼氏もいない、普通にそこらへんにいるモテない女なの!」
バンッと机の上に雑誌を置いてバカホストの胸ぐらを掴む。
そんな私を龍空は「そうだね」と冷静な目で見ながら深くうなずいた。
「それはこの前までの愛希でしょ? もう愛希はそこから一歩を踏み出している。不本意かもしれないけど、キミは一歩を踏み出しちゃったの。もう賽は投げられちゃったんだ。やるしかないんだよ、愛希? それとも逃げ出す? 別にいいよ。それでキミの気が済むのなら逃げ出したっていいよ。決めるのはキミだもの。オレはとめない。オレにできるのは選択肢を用意することだけで、決定権は持ってないからね」
笑いもしない。
臆しもしない。
殴りたいなら好きにどうぞと言わんばかりに見つめ返してくる男をじっと見つめ返す。
『やるの? やらないの?』
いつもそうだ。
一番大事な決定は私に丸投げしてよこす。
だけどたしかに納得もする。
嫌なら全力で逃げればよかったんだ。
それなのに、なんだかんだとその波に乗ってきたのは他でもない私自身。
変えたいなんて思ったわけじゃないけど、それでも決めてきたのはまぎれもなく私なんだ。
「どうする?」
なおも畳み掛けるように龍空は聞いた。
答えなんか決まっているとさも言わんばかりだ。
こんな男の口車に乗って、振り回されっぱなしなのが悔しい。
でも、もっと悔しいのはこのまま振り回されて終わることだって、私は知ってる。
だからリクを見返した。
――私の闘志に火をつけるっていうんなら後悔させてやるわよ!
「やってやろうじゃない?」
その答えを待っていましたと言わんばかりのタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。
その音を聞いた龍空は私の手に自分の手を重ねて力強く握りなおすと、鼻先すれすれまで顔を近づけて片方の口角を押し上げた。
「じゃあ、戦闘準備を始めようか?」
『これからが本番だよ』と目を眇めた男を睨みつけながら、私も負けじと『うん』と大きくうなずきながらほほ笑みを返した。
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