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第44話 素直に言っちゃいな!
どうしてこんなに泣いているのか、自分ではわからなかった。
どうしようもないほどに溢れる涙をとめる手立てがない。
やっと言えた。
ずっとずっと言いたかった相手に、ハッキリ言うことができた。
とても満足しているのに――
「愛希」
不意に名前を呼ばれて、枕に押しつけていた顔をあげた。
声のしたほうを見ると龍空が神妙な面持ちで立っていた。
急いで涙を拭くと「あんたイベントどうしたのよ?」と素っ気なく返す。
せっかく倫子にきれいにしてもらった顔が涙で台無しになってしまっている。
それを見せたくなくて、私は龍空から顔をそらした。
「任せてきた。もう終わりだったし」
そう答えながら龍空がベッドサイドに腰を下ろした。
「店の常連さんたちでしょ? こっちはいいから、仕事に戻りなさいよ」
「戻れないでしょ?」
「なんでよ?」
「だって愛希のほうが仕事より大事だもん」
即答された瞬間に私の体が固まった。
ううん、体だけじゃない。
心も思考も固まった。
仕事より私が大事?
なんで?
「№1よりも?」
「うん」
「10万円のドンペリピンクよりも?」
「うん」
「何百、何千って売り上げよりも?」
「うん。愛希のほうが何万倍も大事」
「ウソつきっ!」
龍空のほうへ顔を向ける。
笑っていなかった。
真面目な顔をした彼が、私の髪を触った。
「ウソじゃないよ。なんなら今すぐにでも仕事を辞めてもいいよ」
「そんなのできっこないじゃない! 女好きのあんたがそんなこと……」
「できるよ。愛希が言えば。ホストなんて辞めろって愛希が言うなら辞めるよ。それで愛希がオレのことを心から信じてくれるなら」
「あんたって本当に口がウマすぎる!」
「まあ、オレ、ホストだから」
悲しそうに目を伏せて龍空がほほ笑んだ。
――違う! そうじゃない!
龍空を傷つけたくて言ったわけじゃない。
本当は来てくれてうれしいって思ってる。
龍空が来てくれてホッとしてる。
だって私は――
「逃げずによく頑張ったね。すごく嫌だったはずなのに」
「あんたがさせたんじゃない。酔ったら思ってること、全部ぶちまけるだろうって狙ってお酒もだんだん濃くしてったのもあんたの指示なんでしょ?」
「うん」
「おかげでスッキリしたわよ、全部ぜ言えて。なのにさ、涙とまんないのよ。クズな男を成敗してやれたってのに、ぜんぜん涙とまんないの。せっかくみんなにきれいにしてもらったのに!」
「愛希はきれいだよ。泣いてる姿なんて見るとオレ、きゅんきゅんしちゃう」
「ふざけないでよ!」
「ふざけてないよ。本心だもん。ああ、この人、こんなにかわいい人なんだなって」
「あんたはひどい男よ」
「うん、そうかも。だからさ、組手試合しない?」
――は?
なにを突然言い出したかと思ったら……組手しない?
私と?
「あんた、組手試合の意味わかってる?」
「わかってるよ」
「言ってなかったけど、私、空手の有段者なのよ?」
「知ってる。すぐにわかったもん」
「なんで?」
「だってオレも空手やってたから」
目をぱちくりとさせて龍空を見る。
龍空が空手をやっていた?
ウソでしょ?
いつも私に簡単にやられてたのに?
「だから遠慮しなくていいよ。オレ、強いからさ」
「な!? じゃあ、今まではなんだったのよ!」
「あえて受けてたんだよ。だって、愛希の突きとか蹴りとか、久しぶりに受けたかったから」
「久しぶりに受けたかった?」
「そう。オレの初恋の人の突きと蹴り。オレに初めて黒星つけた女の子が愛希だったから」
パチパチパチと何度もまばたきを繰り返す。
なにを告白されているんだろう。
初恋の人?
初めて黒星つけた女の子?
なに突拍子もないこと言ってんのよ?
「どこかで頭打った?」
「打ってないよ」
「誰かと間違えてない?」
「間違えてないよ。藤崎道場の藤崎愛希ちゃん、当時15才はオレをボッコボコにした初恋の人だよ?」
当時15歳の私が龍空の初恋の相手だった?
ボッコボコにした?
まったく記憶にない。
「当時15才の愛希ちゃんはもう本当に強くてねえ。それまでオレは試合に出れば連戦連勝で鼻高々だったの。この世界にはオレの相手になるやつなんていないってケンカ三昧だったし、カツアゲなんかもしてたわけよ」
「武道やってる人間なのにクソサイテーじゃない」
「そう、クソサイテーだった。まあ、親への反発心もあったわけで、かなり荒れてたんだよね。そこに天使が降臨だよ。あれは中学の修学旅行のときだった。京都のとあるお寺の裏で、オレは他校の生徒をフルボッコにしてカツアゲしてたんだけどさ。セーラー服を着た女の子が突如現れてねえ。おさげで分厚いメガネかけてて、いかにも古い時代の化石女子って感じの子。その子に「やめなさいよ」って言われたの。勇気あるでしょ、その子」
「……そうね」
「ちょっと脅したら逃げると思って凄んだらさ、その子が豹変してさあ……ねえ、思い出した?」
天井を見上げる。
15歳、中学三年生。
京都の修学旅行でグループ行動をとっていたときに不良グループに絡まれた見も知らぬ中学生たちを見かけたっけ、
なんかやばそうな雰囲気だったからトイレに行きたいと言ってそっと抜け出したんだ。
で、コテンパンにやっつけた。
そのときの不良グループのリーダーに……言われてみれば似ている。
「金髪の不良のリーダーが……龍空?」
「そう。あれからオレ、心を入れ替えて真面目な男になったんだよ。いつか彼女とどこかの試合会場でもう一回対戦したいから、めちゃくちゃ稽古したんだよ。だってさ、初黒星だよ? しかも地味な日陰女子にフルボッコにされたとなれば、プライドもなにもかもなくなるでしょ?」
「自業自得じゃないの、それ?」
まあ、そうだよねと龍空は笑った。
「でも私、あなたのこと知らなかったけど?」
「そりゃあねえ。対戦申し込んだけど、愛希のお父さんに「娘と試合したければ俺の屍を越えてからにしろ」って言われて断られちゃったんだよね。っていうか、愛希のお父さん、ヒグマみたいだよね。オレ、睨まれただけで手も足も出なかったし。あのお父さんと組手稽古してたら、そりゃあ強くなるよ」
「……もしかしてだけど、あなたの夢って……私と試合すること?」
恐る恐る尋ねると、龍空はうんと首を大きく縦に振った。
「だから有名人になろうと思ったんだ。いつかどこかでキミに会えるようにって」
「なにもホストじゃなくてもよかったんじゃないの、そこ」
「芸能人だと自由がなさそうじゃん?」
頭痛い。
本気でこんなことを思って生きてきたのか、この男。
しかも、私と会うためだけに。
「でもさあ、せっかく有名人になれたのに愛希はぜんぜんオレのこと知らなかったし。運命の再会したのに昔のことはなんにも覚えてなかったし。その上、カスな男ばっかとつきあってるし。オレ、本当は泣きそうだったんだからねえ」
はあっと大げさなため息をつきながら、龍空は胸を押さえた。
「だからね、愛希。もしもオレがキミに勝ったらさ。オレの願い事叶えてよね? だからオレも手を抜かない。真剣勝負」
「なんでそんな賭けしないといけないのよ! 私が勝ったらどうすんのよ!」
「え? オレ、負けないし」
「ハンデなくてもいいのね?」
「もっちろん。オレが頼れる男だってところ、ちゃんとわかってもらいたいし? 二度も同じ相手に負けるわけにもいかないし」
「そう。わかった」
涙なんか吹っ飛んでいた。
よくわかんないけど。
なんでそういう展開に持って行くのか、ぜんぜん意味不明だけど。
龍空が望むならやってやろうじゃない。
15年もかけた夢だって言われたら、なおさら手なんか抜けっこない。
本気で。
ガチで。
――やってやるっ!
ベッドサイドから降りた龍空がテーブルと椅子を隅に移動させてスペースを作る。
広くはない。
だけど充分だ。
「それじゃあ、行くわよ」
「どこからでもどうぞ」
龍空と向き合って構える。
対面に立って構えの姿勢を取った龍空の目つきが瞬時にして変わった。
直後、空気が凍りついた。
いつもの龍空とは別人に見える。
一寸の隙もない。
ヘタに手を出せばやられる――そう私の経験が語っている。
稽古をしなくなってずいぶんになるけど、相手の度量くらい肌で感じられる。
私なんか足元にも及ばないくらい龍空は強い。
父と稽古したときに何度も経験した感覚とすごく似ている。
龍空は父のことをヒグマみたいだって言ったけど、今の龍空は本当に野生のヒグマだ。
獲物を前にした空腹のヒグマそのものだ!
――ダメだ! 絶対に適わない!
そう思った瞬間に隙が生まれたんだと思う。
龍空が一気に間を詰めた。
回し蹴りが来る。
上段蹴りだ。
避けられない!
瞬時に両腕で顔をガードする。
直撃は避けなくちゃと必死に体に力を入れた。
だけど痛みはやってこなかった。
龍空の足は私の顔面すれすれのところでピタリととまっていたからだ。
「愛希は稽古不足だね。ね、オレの勝ちでいい?」
龍空がニヤッと笑みを作った。
私はガードしていた両腕を下げて「ええ」と潔く答える。
本気の試合で負けたんだ。
ここで言い訳はみっともない。
「あんたの願いってなに?」
「キミの本心が知りたい。オレのこと、本当は好きでしょ?」
上段蹴りの体勢を保ったまま龍空が訊いた。
その目が「素直に言っちゃいな」と告げている。
不本意だ。
もっとロマンチックな告白させてくれたっていいじゃない。
貴斗との一件が片付いた直後にこんなことしなくたっていいじゃない。
なんで今?
なんでここ?
なんでこのタイミング?
だけどわかってる。
こうでもされなくちゃ、私は龍空に対して素直になれない。
それを彼は見ぬいている。
悔しいけれど、いろんな意味で私は龍空に完敗だ。
だけど反面、よかったと安堵もしてる。
だって気づいちゃったから。
龍空のことが好きなんだってこと。
ハッキリ気づいちゃったから。
「うん」
「うん?」
首を傾げて龍空が私を見る。
蹴りの姿勢は崩さない。
これでは納得できないらしい。
「わかったわよ! 一回しか言わないからよく聞きなさいよ!」
すうっと大きく息を吸いこむ。
「大好きっ!」
ありったけの声で叫んだ瞬間、私は思いっきり強く抱きしめられた。
見上げた先には満面の笑みをたたえた龍空の顔があった。
「バカホスト! いじわる! 鬼! クズっ!」
「はいはい、よくできました。素直な愛希はとってもかわいいね」
そんなふうに私を子ども扱いする龍空の顔が近づいてくる。
バカバカバカバカ、バカホスト!
あんたなんか!
あんたなんか!
私の唇に、龍空のやわらかくて温かい唇が触れる。
――大好きだ、バカ野郎!
彼の背に腕を回す。
このしあわせな時間を逃がさないように、私は回した腕に力を込めた。
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