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トリックサンタ
キックイットオフサンタクロース!
私の事業は快楽に満ちた、完全な全地球規模の容赦ない洗脳である。と、サンタクロースがロシア人ならば言ったかもしれない。
薄汚れた幸福で溢れかえっているこの国では、クリスマスイヴ、クリスマスだけならまだしも、最近ではクリスマスイヴイヴが設けられている。おかげで俺は、バッチリ女どもの相手ができる。クソ嬉しい限りだ。三日後には街全体が狂気乱舞するだろう。サンタクロースにボディーブローを食らった気分だ!
俺をブレインウォッシュする気か?善で人々を惑わし、悪と不条理で傷を負った奴らの弱さにつけ込んで、その臭い息を吹き込むのか?お前を拝まない者があれば抹殺し、大人も子供も、貧富と身分の差もなく『メリークリスマス』と額に刻印を押すのか?
だが、俺の心底には何もない。悪や罪、善や許しがあるとしても―――いや、あるわけがない。空虚な入れ物としての空間を、自足した実体の物質として時間の流れに従い運動しているだけだ。俺は量子力学も素粒子論も、根底から馬鹿にするためにリサーチしているのさ。こんな人間を、お前はブレインウォッシュできるのか?
真冬の太陽が、寒空とビルに血を垂れ流している。俺のコートにもへばりつく。イエス、お前が流した血は何の救いにもならなかった。今や賢い猿どもの優越のためだけにある。
歩いても歩いても反吐でベトベトだ。ティッシュ配りの女が近寄ってくるが、片手でそれを制す。絶命する直前の太陽の叫びを聞いて、俺は身震いをした。
メトロプラザの街灯が点く頃だ。わずかに足を早める。五本の道がクロスする場所に出て向こう端を見る。赤いコートと白いマフラーで、ポテトを美味しそうに食っているミスフォーチュンテラー。と、その隣りに死相を浮かべてハンバーガーをがっついている、薄汚れた服を着た見知らぬガキ。
俺はカンカンと警報を鳴らすように足早で歩いていった。やはり白く細い手がタロットカードを切り始め、到着する頃に一枚のカードを提示した。
「はい。今日の運勢はこれです」
白い服を着たジジイが、光り輝く杖を持っている。
「ヘイ、そこに科学はあるのか?」
「これは、慈悲を表す法王です。ずっと神様の事を考えてたの?」
「ああ。それで、このガキは?」
俺が顎をしゃくると、ガキは敵意むき出しでこっちを睨んだ。ひょいと眉を上げて馬鹿にしてみせると、食いかけのハンバーガーを投げつけてきた。一点の曇りも迷いなく、その薄汚れた黒い頭に制裁を加える。ドンという鈍い音が道に落ちた。
ミスフォーチュンテラーが、白い顔を凍りつかせてガキを抱き締めた。
「ちょっとお!子供に手を上げるなんて、反則よう!」
「子供だから何だ?俺とこいつは違う生き物か?」
「自分より弱い者を苛めるなんて、酷いよう!」
「こいつが弱いと、なぜお前にわかる?おい、ガキ。家に帰れ。ゴー ホーム!」
「嫌だ!」
ガキは、柔らかそうな胸から顔を出して叫んだ。俺はその頬を左手で引っつかむ。捻り潰せば死ぬ、ちっぽけな顔だ。
「レディムーン、手を離せ。こいつは家出だ。捜索届が出てるぞ」
「嫌!悪い事をして、家出したわけじゃないの!だから―――」
「シャアラップ!お前も締め上げるぞ!」
「悪い子じゃないの!だってこの子、サンタさんを捜しに来たんだもの!」
「ああ?」
サンタクロースを捜しに家出して来ました、だ?おいおい、このガキ一体いくつだよ?
キックオフサンタクロース!
「ね?だから、悪い子じゃないの。手を離して!」
俺は舌打ちをして、垢で汚れた頬から手を離した。汚ねェな、このガキ!
ミスフォーチュンテラーが諭すように話しかけると、ガキは俺を睨みつけながらボソボソと辛気臭い身の上話をし始めた。横浜の養護施設に住んでいる事、両親が「迎えに来るから」と言ったのに全然音沙汰ない事、サンタクロースへの手紙を他人に見られたからプレゼントがもらえないのではと不安に思っている事、直接依頼しようとサンタクロース大捜索を決行した事、その間中散々酷い目に遭った事、金がないからミスフォーチュンテラーのハンバーガーを強奪しようとした事。
今日食った物全てを吐き出しそうだぜ。煙草を吸う気にもなれないな。
ミスフォーチュンテラーはティッシュで、ソースで汚れたガキの口回りを拭いた。ついでに雪色のハンカチを取り出して、痩せた頬の垢汚れを拭く。そして極めつけに、「後で服をお洗濯しようね。それからお風呂にも入りに行こうね」と言って笑った。
「おい、そのガキをどうするつもりだ?」
「サンタさんにお願いを聞いてもらったら帰るって、この子も言ってるの。だから―――」
「サンタクロースなどいない。嘘を教えるぐらいなら、事実を叩き込んでやれ。ファンタジーを抹殺する者に、社会は微笑む」
「違う!サンタはいるんだ!お前なんか、馬鹿で悪い子だから来ないだけだ!」
ガキが立ち上がって、俺に鉄拳パンチを食らわしてきた。肩叩きに丁度いい強さだ。だが、その手は俺の肩に届かない。ガキの頭を鷲づかみにして、煩わしい動きを封じた。
「何を言ってやがる。過去全てのクリスマスプレゼントは、お前の親がやってたんだよ」
「違う!だって、パパもママも知らないって言った!」
「嘘!嘘!ヒッヒッヒ!お前は愛しのパパとママにキッチリバッチリ捨てらたんだよ。今頃、奴らはハッピーに暮してるぜ?いいか?お前は見捨てられたんだ!」
「違う!違う!違う!」
「何が違う?お前は今、自分がどうなっているのか真剣に考えた事があるのか?」
「サンタはいるもん!パパもママも迎えに来てくれるって言ったもん!」
理由になってない。ガキの考えなんざジャンクだ。自分の信じているものは存在していると思ってやがる。信じていれば報われると思ってやがる!
俺は息を思いっきり吸い、反動をつけて言葉を吐き出した。
「よく聞け!国連人口統計局によると、世界には十八歳以下のガキが約二十億人いる。だが、サンタクロースはキリスト教の産物だ。信仰のない所に奴は来ない。異教徒を除くガキどもは約三億八00万人。一世帯当たりのガキの数は平均三.五人、つまりキリスト世帯は約一億八00万世帯。『善良なガキ』の所にしか来ないという通説から、楽観的に考えて一世帯に一人はそれがいるとすると、奴は一億八00万人にブツを撒き散らすわけだ」
「そんな難しい話、小さい子には無理だよう」
ミスフォーチュンテラーがガキを抱き締めて止めに入ったが、俺はガキを睨みつけたまま吐き捨てた。ガキも俺を睨み返している。
「お前の知っているように、奴はクリスマスにしか労働しない堕落した生き物だ。その主な活動時間は夜。地球は自転し時差がある。東から西へ移動し続ければ、三十一時間の夜を手に入れることができるだろう。それでも奴は、日頃の怠惰のせいで一秒間に一000軒を訪ねなければならない。一秒間に、だ!目にも止まらぬ早業でソリを停め、煙突から侵入し、靴下にプレゼントを詰め、用意された料理をつまみ食いして、再び煙突を登り、ソリに乗って次の家に行くことを一000回も繰り返す!これが生き物に可能か?」
「だって・・・!だって、サンタクロースは・・・だから目に見えないんだもん!」
「ふん、なるほどな!だが、どんなに都合良く地球上に各家庭が均等に分布しているとしても、サンタクロースの一晩の総走行距離は約一億二000万キロだ。無論、休み無くぶっ続けでな!結果、奴ご自慢のトナカイは一秒に一000キロ、音速の三000倍の超高速で走ることになる。トナカイはないだろうが、鹿ぐらい見た事あるだろう?お前、そんなに速く走るタフな鹿を見たことがあるか?」
「トナカイは・・・特別なトナカイなんだ!」
「『特別』って何だ?そこに科学は・・・まあいい。だが、プレゼント一個の重さを一キロまでとしても、全員分で十万トン以上の荷物だ。それを積載するに耐え得るソリの重さも加えれば―――お前、横浜港の氷川丸を見た事があるか?あれの以上の重さをトナカイが引けると思うか?通常トナカイは一頭当たり一四〇キロの物を引く事が可能だが、お前の言う『特別なトナカイ』がその一00倍の能力を持っていたとしても、七万万頭以上も必要になる。そんな大群が飛んでりゃ、見つけられないほうが変だぜ?」
予想通り、ガキは目に水溜りを作り始めていた。ミスフォーチュンテラーは汚れたガキを抱き締めて、フケだらけの髪を撫でている。救いようのないイディオットだな。
「結論的に、数十万トンの物体が毎秒一000キロ近い速度で移動すると、強烈な空気抵抗が発生する。隕石が大気圏に突入する時と同じく、トナカイどもは高熱を帯び、面白いぐらいにドロドロに溶けて死んでいく。加速のついたソリは勢いに乗って走り続け、その後ろに衝撃波を立ち上げて、お前の心臓を切り裂くソニックブームを発生させる。ジェット機の発する何十万倍もの音だ!四、五軒回った頃にはトナカイ全てが蒸発し、お前の愛しのサンタクロースも加速度一万Gの力で誰かの家に激突する。雪降る聖夜に、何の因果か善人の家は大破、奴の聖なる体は飛び散り、それこそ雪が積もってりゃあ、クリスマスカラーで染まるぜ!もはや奴は、ピチャピチャと滴り落ちる肉の欠片でしかない。わかったか?一兆光年ほど譲歩して、サンタクロースが人口の少ない昔に実存したとしても、爆発的に人口が増加する現在ではどうあがいたって生き残れない。奴は死滅した!」
ガキは悲愴を浮かべて深い息を吐くと、泣き出した。泣けば解決すると思ってるのか?声が出ないだけマシだ。ガキの泣き声なんざ、俺にとってはソニックブームだぜ!
「だいたい、お前は『飛行』についても真剣に考えていない!『空を飛ぶ』と言っても、飛行原理は様々だ。ロケットは『反作用』、飛行機は『揚力』。たとえ『特別なトナカイ』が飛行機と同じ原理だとしても、どうやって空気を燃焼し後方へ気流を発―――」
「もう、いいでしょ?」
ミスフォーチュンテラーが、白い手でガキの涙を拭いながら俺に言った。ガキはその手にしがみつき、今度は声を出して泣いた。夜を急ぐ奴らが白けた視線を向ける。鼓膜を破るようなソニックブームだが、ミスフォーチュンテラーは逃げ出したりしなかった。
一ヶ月前、俺に話したクリスマスの起源を、その時より柔らかな口調でガキに話した。そして結論的に、サンタクロースはいないわけじゃない、子供達のために沢山いるんだと言った。誰かがサンタクロースで、また誰かがサンタクロースになっていくと。
ヘイ、その理論は間違ってないぜ。『サンタクロースは唯一人』とする定説をリバースすればいい。奴が一人なら実存し得ない上に死を避けられないだろうが、ガキの数に比例して無数に存在するのならば無事だろう。
だが、世の中にはサンタクロースを辞めていく奴らもいる。このガキの両親のようにな!
キックイットオフサンタクロース!
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