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どれくらいの時間が経ったのだろう、父が落ち着くのを待って夏樹は父から離れた。気まずい雰囲気に耐えれなくなったのか、目を赤く泣腫らした父は「なにか飲むか」と自動販売機を探しに行ってしまった。
リリリ……と虫の鳴き声が聞こえる。
蛍光灯の灯りに包まれたベンチに、並んで座った。
「ずっと自分の性に悩んでいたんだ」
夏樹は手を組み、口重く打ち明けた。
夏樹は性同一性障害だった。
「家を飛び出したものの、どうするか考えてたら、追ってきた母さんに婆ちゃんの家に行きなさい、とお金を渡された。婆ちゃんは、しばらくすると仲直りしろって言ってたけど、私も意地になって帰らなかった。ずっとバイトをしてお金を貯めてたよ」
夏樹は組んだ指先を、指先で撫でながらつづけた。
「成人をきっかけにアパートを借りたんだ。母さんにはたくさん相談に乗ってもらってた。賢ちゃんから母さんが入院したことを聞いてね、時折、お見舞いに行ってたんだ。春実のことも、たくさん聞いてたよ」
夏樹が夜空を仰ぐ。
女性に生まれ変わることを告白した次の日の昼下がり、母さんはアパートを訪れ、テーブルの上に封筒を置いた。
「お父さんからよ」
封筒の厚みに一驚し丁重に断ったが、母は「受け取りなさい」と言い、頑なに座りつづけた。
賢ちゃんと一緒に見舞いに行くと、女性らしくなった姿に目を見開き、「私の若いころに似て美人ね」と笑ってくれた。
「夏樹、私の最後のお願いを聞いてくれる?」
「何?」
「私が死んだら、私にそっくりな夏樹が会いに行ってお父さんを泣かせてくれる? お父さん、どんなふうに泣くのかしら」
母さんがコロコロと笑いながら企んだことは、私だけの秘密だ。
戻ってきた父が暖かいコーヒーを夏樹と私に渡し、立ったまま缶を開けて飲んだ。
「……なぜあの場所に?」
父がコーヒーの缶を見つめながらポツリと言った。
「お母さんが思い出の場所だと話していたの。ことあるごとに言ってたから、夏樹も覚えてるだろうと思って」
父はコーヒーと一緒に、言葉をのんだ。
「どんな思い出かは知らないけどね」
私の呟きに、夏樹がくすりと笑った。
「……あの場所で結婚を申し込んだ」
私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまった。
「母さんは、別嬪だった」
夏樹はくすくすと笑った。
父はコーヒーを飲み干そうとしたが既に空だったらしく、不機嫌そうに口をへの字に曲げて顔をそむけた。
たくさん話したいことはあったが、日を改めることになった。これからはいつでも会えるのだから。
父は父らしく、ずっとぶっきらぼうな口のきき方だった。
「部屋はそのままだ。気が向いたら、帰ってこい」
夏樹は目を丸くし、私は頬がゆるんでしまった。
「父さん」
「なんだ?」
「……またね」
可憐に微笑んだ顔が母を彷彿とさせ、私たちは夏樹が見えなくなるまで見送った。
・・・・・
美しい夕焼けが両手では抱えきれないほどの雲をバラ色に染め、向かいあう二人を照らしだす。
父はポケットからリングケースを取り出して無愛想に渡し、母が嬉しそうに受け取る。
「………………」
黙っている父に母がしびれを切らして口火をきった。
「啓秋さん、私と結婚したいんでしょう?」
「……そうだ」
母は笑い、そんな母を父は強く、強く抱きしめた。
・・・・・
なんてね。
私はそんな想像を膨らませながら父と家路についた。
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