ある少年は

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ある少年は

銃を突きつけられた少年が小さく震えている。幼い体は薄汚れていて、高かったであろうブランド物のシャツも所々破れていた。 「許してください……」 少年は裕福な家庭で生まれ、両親に溢れんばかりの愛を注がれ生きてきた。だから知らなかった、お金のために誘拐も行う恐ろしい人間がいることも。 目の前の大柄な男はニヤニヤと満足気に笑っている。少年の命は今、この男に握られているということを、彼は確かに理解していた。 「お前の父ちゃんが、ちゃあんと金持ってくれば悪いようにはしねえよ。」 下品に笑う声に寒気がする。煙草の匂いに吐き気がして、小さく嘔吐けば頬を思い切り蹴り飛ばされた。目の前がチカチカして、頭がグラグラ揺れた。男の舌打ちが聞こえて、また煙を吹きかけられる。 「汚ねえんだよクソガキが。」 もうダメだ。少年は確かにそう思った。打撃と煙草の煙で意識が薄れていく。優しい両親が好きだった。だから恨んでなんていない。こうなったことは少し悲しいけれど、それは二人のせいじゃないから。お父さんお母さん、今までありがとう。二人は何も悪くないから、安心して、僕のことはどうか忘れてください。僕はきっともう帰れないけれど、本当に、大好きだったよ。 意識が遠のきかけたその時、大きな破壊音にハッとした。 近づいてくる破壊音は、男の仲間のものではなさそうだ。周りで男を護衛していた人達も慌てて部屋の扉に銃口を向けた。この部屋には扉は一つだけ。来るとすれば、ここしかない。 しかしその予想は大きく外れた。吹き飛ばされたのは右側の壁で、轟音と共に護衛が数人ぶっ飛んだ。 「誰だ貴様ァ!!!!」 立ち上がった男が吠える。空気がビリビリとして、頭が痛い。応えるように、壁の破壊で舞った土煙がブワッと切り裂かれた。 「うるせーよ。あとくせえ。煙草もだけど体臭もだ。最悪な自覚ある?」 怠そうな声で開口一番そういった青年は、つまらなそうに欠伸をした。褐色の青年の、襟足の長い金髪が、穴のあいた壁から入る光でキラキラと光る。浅黒い肌と相まって一昔前のギャルを想像させる彼はベルトのような黒いチョーカーをしていて、それ以外は所謂ストリート系の目がチカチカするような派手な服装だった。 東京の渋谷から来たようなこの場にそぐわない青年に、困惑した空気が流れる。しかも彼は、開口一番大変なことを口にしているのだ。 「なんだてめぇ……俺の怖さを知らないらしいな?」 明らかにキレながら、ニヤリ、と男が笑う。煙草を踏みつけ、立ち上がった男の右手はビキビキと音をたて赤くなっていく。 「俺はなァ…力を操れる邪神、ってやつなんだよ。」 ーーー右手超強化(メテ・チャオストレンジ)。 神の右手とされるそれは、鉄塊を握りつぶし、トラックをワンパンで破壊するとされている。この力を持って、男は裏社会に勢力を伸ばしていた。全部ぶっ壊して、いつだって世界は不平等だと弱いやつらに教えてやるのが、そんな現実への希望を、希望という光を失っていく瞳を見るのが男の楽しみだった。 さあ今日のガキは、どんな目をしてくれるのか? 力任せに地面を蹴る。最初の拳を青年は猫のようなしなやかさで軽々と避けて、転がっていた人質の少年を肩に担いだ。金髪が揺れて、その瞳が此方に向く。二度目のストレートを繰り出そうと飛び出していた男は、その瞳と真近で目が合って、 ーーーぞっとした。 青年が体を捻り、半円を描いて蹴りを放つ。身長はあまり大きくない青年の長い足が、ガタイのいい男の頭を勢いよく蹴り飛ばす。軽い身のこなしで放たれた蹴りで男が地面にめり込んだのを見た時、周りは目を疑った。 青年は笑った。ふ、と馬鹿にするように。 「おいおい、終わりかよジジイ。このチビはあんたに蹴られても地面にめり込まなかったのになあ?根性足りねえんじゃねーのー。」 わし、と担がれたまま頭を撫でられた少年は何が起きたのか分かっておらずオロオロしている。護衛が青年を囲む。青年はちらと周りを見て、少年にだけ聞こえる小さな声で言った。 「舌噛むなよ。掴まれ」 そして、強く拳を地面へと向ける。轟音と共に突きはまっすぐ青年の足元に放たれ、その場の大気が揺れた。その衝撃に、意識を保っていられるものはいない。青年と、担がれる少年以外は。 かろうじて頭を起こした男の、その頭を躊躇いなく踏みつけた青年は、まっすぐに男を見下ろす。 その瞳は、始めから光など持ってはいなかった。希望も喜びも知らないような、闇のような恐ろしい深さを宿す瞳だ。失わせるものなどなかった。自分より遥かに、青年は暗い何かを持っていた。 「残念、僕もなんだよ。『力を操れる邪神』さん。」 男は気がついていた。青年の蹴りはただの蹴りではなかった。彼は衝撃波を使い、蹴りに、拳に、何百倍の力を上乗せしていたのだ。 「破壊神『シヴァ』は、お前か……!!!」 政府の犬であり、邪神駆除の最高兵器。世間で身を隠し生きる邪神達の最も恐れる存在であり、同胞殺しの代名詞のような者たち。 その中でも特に凶暴とされる一人、殲滅任務のための存在と言える、『破壊』のための男こそが、破壊神シヴァだった。 「無慈悲な、殺人鬼めが!!!!」 その言葉に、青年は特に顔色を変えるでもなく、ただつまらなそうに頭をもう一度地面にめり込ませた。 ***** 「あ、ありがとうございます!えっと、お兄ちゃん?」 大きくなってきたサイレンの音に、地面に下ろされ黙って置いてかれかけた少年は慌てて青年を呼び止める。だるっとしたパーカーの裾を引けば、青年は此方を振り向いた。 「お兄ちゃんは、どうして来てくれたの?」 少年は不思議だった。ヒーローのように現れ、助けてくれたこの青年が、どうして自分が助けを求めているとわかったのか? 「助けないと、殺されちゃうから。」 少年と目線を合わせるようにしゃがんで、青年は笑った。青年の言葉の意味を、首元のチョーカーに触れた理由を、残念ながら少年は深く知ることはできなかった。ただ、青年の睫毛の長い整った顔立ちに、女の子みたいだ、と能天気に少年は思った。しかし少年の頭を再び撫でた手は大きく、しっかりとしている。 「もう捕まんなよ。」 助けるの疲れるからな。なんてちょっと困ったことを言う青年は、言葉とは裏腹にとても優しく微笑んでいた。思わず見惚れてしまうような、さっきのかっこいい青年とは別人のような柔らかな笑みだった。 強くて、女の子みたいで、かっこいいなんて、なんだかすごい人だ。そう思いながら、少年は去っていく後ろ姿を何も言わずに見ていた。 殺されちゃう、という言葉は、美しい笑みに掻き消され忘れてしまっていた。
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