明の星

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明の星 あの日、抱き締めた腕の中のぬくもりは、今もずっと残ってる。 清香と僕は、どんな運命のいたずらか、幼い頃からずっと一緒だった。 一緒に成長し、一緒に笑い合い、時には二人で泣いて。 何も変わらないはずだった。 ずっといつまでも一緒だと、二人とも信じて疑わなかった。 だけど、ただ一つだけ、僕らを遮るものに、僕らの未来は悲しくも無残に引き裂かれた────・・・・ 「ヒロ、私ね、明日お見合いするの。」 「え?」 彼女の言葉に大袈裟ではなく、本当に時が止まった。 「多分、そのままその人と結婚になると思う。断ることは出来ない。」 「どうして・・・」 「お父さんの古くからの友人で、重要な取引先の息子さんなんですって。私には選ぶ権利がないって言われたわ。」 「そんな・・・」 悲しそうに、でも諦めたように笑う彼女に僕はどうすることも出来ずに立ちすくんだ。 「清香はいいの?」 「え・・?」 「会ったこともないヤツなんだろ?そんなヤツと結婚なんて・・・」 「仕方ないわよ。だってそういうお家柄なんだもの。ご令嬢なんて、結婚相手を自分では決められないものよ。」 自嘲めいて笑う清香。 分かるよ、分かってるけど・・・ 「でも・・っ」 「だからね、最後に伝えたいことがあるの。」 「伝えたいこと・・・?」 「きっと最後の恋だから。この想いだけは言わせて?」 そう言うと、清香は僕の手をそっと握ると、今まで見たことのないような笑顔でこう言った。 「好き。ヒロのことが、ずっと。」 清香の精一杯の言葉に、ぐっと心拍数が上がるのと同時に、全身の力が抜けていくのが分かった。 こんな感情をなんて呼んだらいいのか分からないけれど、幸福なのか、絶望なのか、単に未来に対する失望なのか。 堪えたように笑う清香に、僕は何も言えずにただきつくその小さな体を抱きしめた。 「逃げようか。」 「・・え?」 「誰もいない遠くへ。二人だけで。」 なんでそんなことを言ったのか、考えてみたら無茶なことなのに、何故か今ならそんな無茶なことさえ出来る気がしたんだ。 彼女が乗るには相応しくない不格好な軽自動車を走らせる。 行先は当てのない明日。 小さく頷いてくれた彼女を助手席に乗せて走る。 まるでとてつもない罪を犯しているような気持ちに駆られ、アクセルを踏み込む僕。 静かな夜明けの街。 僕らを見ているのは遠い夜空に輝く星たちだけ。 微かに光る町の明かりも、間もなく迎える朝にかき消されるように次々と消えてゆく。 朝なんて来なければいい。 ずっとずっと夜のまま、僕らを暗闇が隠し続けてくれるなら・・・ 「懐かしい曲・・・」 呟くようにそう言う清香にハッとしてラジオから流れる曲に耳を傾ける。 「よく聴いたよね。二人で。」 耳に届く優しいそのメロディーは、清香が好きだと言ってよく二人で聴いていた曲だった。 「いい曲だね。」 「うそ!ヒロこの曲、ずっとバカにしてたじゃない!」 清香の言葉にははっと笑う。 当時はバカげた恋物語だと笑っていたっけ。 今聴いても陳腐な恋の物語だったけれど、でも今なら分かるよ。 本気の恋をしたら、こんな大ばか者になるんだって。 「うん。いい曲だね。」 青く続く信号機に想いを馳せる。 きっと僕らの未来は永遠と赤信号なのだろう。 でも、進めと、それでも進めと僕らの未来を照らしてくれるのならば、僕は何を捨て去っても彼女の手を引いて行けるのに。 「怖くないの?」 「え?」 「・・ううん、なんでもない。」 懐かしい曲と、窓から入り込む風の音にかき消されて聞こえなかった。 微かに乱れた髪に隠されて、彼女のその表情も見えなくて。 ただ青く続く信号機に縋るように、僕はひたすらに車を走らせた。 小さな橋のたもとに車を停める。 もう空には明けの明星が輝いていた。 「少し寒いね。」 「うん。」 短い会話を繰り返し、橋の下に広がる水面を見つめる。 こんな時間がいつまでも続けばいいのに。 朝が来ればもうこの他愛もなく愛おしい時間は終わってしまう。 それでも世界は無常にも夜明けを迎える。 静まり返っていた街の呼吸が少しづつ聞こえ始める。 朝焼けってこんなに早いんだっけ・・・ 「清香。」 「うん?」 「このまま清香の知らないどこか遠くまで連れ去りたい。」 僕の言葉に清香は一瞬黙り込むと、こちらに笑顔を向けた。 「うん。連れ去って。」 「大好きだよ。ずっとずっと昔から。これからもずっと一緒だと思ってた。」 「うん。これからも一緒にいよう。」 「きっと僕の知ってる言葉だけじゃ伝えきれないくらい、清香のことを想ってる。」 僕の言葉をかき消すように街の音が息づき始める。 最後に伝えなきゃいけないこと。 街の喧騒に消え入らない内に・・・・ 朝焼けが清香の頬をオレンジ色に染めると同時にその体を引き寄せた。 「・・帰ろう。」 「・・・え?」 分かってた。初めから。 清香には決められた未来がある。 僕なんかじゃとても太刀打ち出来ないくらい、大きな未来が。 最後のドライブ。 僕の願望という名の夢を乗せた愛の逃避行もここまで。 見渡すと微かに青く色づく空。 これが清香の未来。 懐かしいメロディーも柔らかな風に乗って遠い空へと流されてゆく。 揺れる清香の髪に優しく触れる。 「攫ってくれるって言ったじゃない・・」 微かに肩を震わせる清香。 「ごめん。」 「怖気づいたの?」 「違う!・・・ううん。そうかもしれない。」 先に怖くなったのは紛れもなく僕だ。 大切な人の未来を壊すのはどうしようもなく怖い。 守ってあげるなんて、そんな甲斐性もなくって、自信もない。 責められるのならそれでもいい。 清香が幸せになれるのなら・・・・ 「幸せになってよ。僕なんかが追い付けないくらいさ。」 「どうしてそんなこと言うのよ・・」 「それが僕の幸せって気付いたから。」 抱き締めた腕の中で小さく震える清香。 これが最後の温もりだから。 忘れないようにそっと、ぎゅっと清香を抱き締めた。
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