不格好なロールキャベツ 編

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不格好なロールキャベツ 編

 あの一件から、ぽんちゃんはぱたりと姿を見せなくなった。家に来ることもなくなったし、メッセージも送られてこない。  陸もどうしたらいいのかわからなくて、何もアクションを起こせないでいた。  また、ふらっと顔を出してくれるんじゃないか、なんて淡い期待を抱いていたらあっという間に二週間経った。  ぽんちゃんが来なくなってから、陸の生活はすっかり元に戻ってしまっていた。朝、昼は抜いて、夜にカップ麺かコンビニ弁当。生活は不規則で、頭も回らない。やる気も出ないから、生活がだらけてしまう。そんな、悪循環に戻っていた。  唯一違うのは、この生活の虚しさを痛いほど知ってしまっていることだ。  自分のことを思って作られた料理。一緒に「いただきます」を言う人がいる暖かさ。何気ない会話で笑い合う居心地の良さ。  彼と過ごす時間の価値を知らない頃には、戻れなかった。  本音を言うと、すぐにでも戻ってきて欲しかった。陸ができることならなんでもするから、ぽんちゃんに来て欲しかった。  でも。  それを伝えていいものだろうか、と陸はずっと迷っていた。  彼から伝えられた愛情の形は、恋愛に属するものだ。付き合いたい、心だけじゃなくて肉体の距離も縮めたい、と言う意志を孕んだものだった。抱きしめられたときのぽんちゃんの体は、陸を求めてひどく火照っていた。体温は陸の体全体を包み、泣きたいような嬉しいような気持ちにさせた。決して、いやではなかった。その熱が自分に向かっていることは、少なからず陸を幸せにさせた。  だけど、熱に応えられる自信が、陸にはなかった。  恋愛したい気持ちとか性欲とかが、生まれつき薄い方なのだと思う。自分から誰かと付き合いたい、と思ったことがない。付き合ったこともセックスしたこともあるけど、基本的に向こうから求められて、嫌じゃなかったから受け入れただけだった。振られるときのセリフはいつも同じ。「陸って私のこと、興味ないよね」。  そんなもんで経験値は乏しくて、この気持ちが恋愛感情なのか分からなかった。  金もかからなくて、美味しいご飯を提供してくれる、優しい母親的存在を求めているんじゃないか。そんな気持ちで、戻ってきて欲しいと伝えるのがどれだけ自分勝手で残酷だろう。  どうするのが正解なのか、分からないままただ日常は過ぎて行く。壁は薄いから、夜の九時ごろにぽんちゃんが階段を上っていく音が聞こえる。もう、陸の部屋に寄ってくれることはないんだろうか。  俺も好きだった、と言ったら戻ってくれる?いや、嘘の気持ちで戻ってもらっても、結局彼を傷つける結論になりかねない。  じゃあ、何も言わずにこのまますれ違うだけか。それも、嫌だ。せっかく、仲良くなれたのに。  このまま、じっとしていても埒が明かない。せめて、今の自分の気持ちだけでも正直に伝えたかった。包み隠さず、彼に気持ちを伝えるところから始めたい。やり直したい。  何か、話すためのきっかけが欲しい。部屋に忘れていったジャージとかを返すのでは、玄関先で追い払われてしまうかもしれない。手土産、も二人の関係性上、なんだか違う気がする。  ぐるっと部屋を見渡すと、二人用の大きめの冷蔵庫が目に入った。そうだ、料理だ。ご飯から始まった関係性だ。やり直す場所にもあったかいご飯があって欲しい。   野菜室を開けると、昨日実家から届いたばかりの柔らかい春キャベツがゴロンと転がっていた。  料理が得意じゃない人間の頭の中には、大した数のレシピは貯蔵されていない。わずかな情報の中から「キャベツ 料理」と検索して出てきたのは、ロールキャベツだった。作ったこともないから、難しいのかも、面倒臭いのかも分からない。まあ、なんとかなるだろう、とパソコンを開いてレシピを検索する。  幸い、必要な材料はぽんちゃんが買いだめしていたものの中に全て含まれていた。 「肉、って冷凍したままじゃだめだよな」  どうにか、レンジの解凍ボタンを思い出して皿の上に乗せてひき肉をチンする。 「えっと、4人分が玉ねぎ二分の一だから、四分の一か」  皮を剥いて、縦と横に一回ずつ包丁を入れる。みじん切りは目に染みるけれど、そこは我慢。 「あー、いってぇ」  サイズがバラバラなみじん切りの玉ねぎを、油を引いたフライパンに投入。「しんなりするまで」の定義に首を傾げながら、透明感が出るまで火を通す。  お湯を沸かしておいた大きめの鍋に、芯を取り除いたキャベツを一個、丸々放り込む。絶対に茹ですぎだけど、余ったらポン酢でもかければいい、と丸ごと火を通すことにした。大は小を兼ねるのだ。  くたっとしてきたところでザルにあげて、熱々の状態のまま一枚一枚慎重に剥がす。少し茹ですぎてしまっていたのか、半分にべりっと破れるものも多かった。 「やっぱり多めに茹でといて正解」  綺麗に剥がせたキャベツの葉をまな板に載せ、分厚い芯の部分をこそげていく。ここでも失敗しないように、慎重に、丁寧に……  最終的に無傷の状態のものは全体の半分くらいになっていた。うん、全部茹でておいてよかった。自分のことを過信するのは良くない。  レンジがチン!と鳴った。ボウルに解凍が終わったひき肉、パン粉、溶き卵、塩胡椒を入れてぐちゃぐちゃとかき混ぜる。  こんなんでいいんやろうか。  ハンバーグと似てる工程のはずなのに、よく覚えていない。陸の好物であるハンバーグ、ぽんちゃんはよく作ってくれていたのに、自分は作り方を何も知らない…… 知らないことを今知った。  そういえば、作っているときでもあまり手伝ったりしてなかったな…… 頼りっぱなしの甘えっぱなしだった。  好意に甘えて、良いように使っていた。そのことについては、謝らんと……  気持ちをぐるぐると整理させながら、肉だねをキャベツで巻いて鍋の中に敷き詰める。段取りが下手なせいで、時間はすでに二時間経っていて、シンクにはボウル、鍋、フライパンなんかが山を作っていた。ぽんちゃんはささっと何品も作ってくれたのに。ほんとに、甘えていたな……  コトコト煮込んで、いい感じにトロッとキャベツが煮込まれた頃、もう夕方になっていた。今日は水曜日。ぽんちゃんは仕事はお休み。 「おっし……」  片手鍋に蓋をして、気合を入れて、迎え入れてくれますように、と祈りながら部屋の鍵を閉めた。こぼさないようにそろそろと階段を上る。  一階上の彼の部屋。前に訪れたのは、思いを伝えられたあの日。  脈打つ胸を鎮めながら、茶色く煤けたインターホンを押す。鈍い響きがして、しばらくしてから扉がゆっくりと開いた。 「陸……」 「料理、作ってみてんけど、その、えっと」 「とりあえず上がりぃや」  気まずい顔をしたまま、彼は部屋にあげてくれた。炊飯器のスイッチは、まだ入っていない。晩ご飯はまだみたいだった。 「とりあえず、それ置き」  机の上に中心が焦げたコルクの鍋敷きがぺっと投げられて、その上に片手鍋を下ろす。ぽんちゃんは無造作に鍋の蓋をあけて、「お、うまそう」と一言こぼした。たった一言で胸が詰まって、目頭がじんと熱くなる。 「せっかく作ってくれたんやし、食べよか」  取皿と箸を二人分。目の前で、向かい合って食べるこの感覚が、たった二週間なのに叫びたくなるほどに懐かしくて、愛おしかった。 「陸?」 「あ、ごめん、なんでもない。うん、食べよ」  煮込みすぎていたロールキャベツは、箸で持ち上げると包んでいたキャベツがボロボロっと剥がれて中の肉だねがスープにおっこちた。一生懸命包んだものが、ぐしゃぐしゃに崩れていく様は、一向に整理がつかない自分の頭の中みたいで、嫌になった。  涙は出る直前まで迫り上がってきていて、「やっぱりいい」と鍋をひっつかんでいえに帰りたくなった。情けなくて、みっともなかった。  ぽんちゃんは、ぐすぐすしている陸を視界の中に入れながら、ボロボロで味もろくに決まっていないロールキャベツを黙ってもぐもぐと食べている。  一つを、残さず平らげてから、いつも見せてくれていた優しい顔で呟く。 「うん、美味いで」  唇を指で雑に拭って、もう一つを皿に載せた。それをみたら、なんだか体全体があったかい液体で満たされているような感覚に包まれた。初めて、ぽんちゃんが豚汁を作ってくれたとき、出汁が体全体に染みていった、あのときと同じ感覚。 「あ、あのさ……」  声が震える。今日の本題は、ここからのはずだ。 「ちょっと、話してもいい?」  食べていた手を止めて、ぽんちゃんは真っ直ぐな目で陸のことを見つめた。 「ええよ。なんでも話して」 「前、ここ来たときに好きって言ってくれたやん、ね。合っとう?」  口を固く結んで、小さく頷いた。 「言われてね、俺嫌じゃなかったんよ。びっくりしたんは、めっちゃびっくりしたけどさ」  目の前の表情が少しだけ和らいだ。 「俺もぽんちゃんのこと好き。めっちゃ好き。でも、わからんっちゃん」 「わからんって?」 「言ったことあるかもわからんけど、俺恋愛経験とか全然なくて。やけん、この好きがぽんちゃんとおんなし好きなんか、って。わからんくてさ。家族みたいな好きな気もするし…… ぽんちゃんに好きって言うてもらったこと自体は嬉しいんよ。けどわからん。いっちょんわからん……」  ぽんちゃんは黙っていたかと思うと、スッと立ち上がって俺の隣に腰を下ろした。真剣な眼差しの彼は、見たことも無い大人の男の顔をしていて、変に意識してしまう。手をぎゅっと握られて、射抜くような視線が突き刺さる。 「それ、可能性はゼロじゃないってことやんな?」 「へ、あ、うん。そういう、こと、かも?」 「じゃあ、落としても良い?陸のこと」 「落とすって、え?」 「どういう好きかわからんのやろ。やったら、俺のことを恋愛対象の意味で好きって思わせてもいい?」 「え、うん、わかった……」  急な展開に頭がついていかない。錯乱するまま、陸はうなずいていた。 「もちろん、陸が嫌がることはせえへんよ。せやけど、俺頑張るから、俺のことそういう意味で好きになってほしい。最初は家族とかお母さんみたいな感じでもかまへんからさ」  堪えるように、大切な想いを振り絞るように、ぽんちゃんは思いを伝えてくれる。 「俺のこと、ゆっくり好きになってくれたら、嬉しい」 「うん」  小さく頷くと、今日は嬉しそうに抱きしめてきた。体が、あったかい。このまま、溶けてしまいそうなくらいだ。 「ぽんちゃん……」 「ん?」 「試してみてもいい?」 「何を?」  体を少し離して、陸はぽんちゃんの右頬に口づけを一つ落とした。 「なんか、幸せな感じがする」  これは、恋愛感情としてカウントしてもいいんだろうか。でも、友愛のキスとかっていうもんな、と陸が頭の中で稚拙な考察をしていると、ぽんちゃんは顔を真っ赤にして大きな声で叫んだ。 「は、おまっ!」  体をいきなり突きとばされて、陸はカーペットに受け身をとった。 「陸、状況わかっとんのか! お前のこと好きやって言ってる男の家来て、そんな可愛いことして!あーもう! 俺の理性の在庫もそろそろ品切れに近いんやけど?」  顔を緩ませながら、でもすごい勢いで怒るぽんちゃんだったが、陸はなんで怒られたのかすぐにわからないくらいに鈍かったのできょとんとしていた。 「もうええわ、気が抜けた。また明日から飯作りに行くわ。でも」  ビシッと陸に向けてぽんちゃんは指をむけた。 「覚悟しいや。本気で落としに行くで」 「了解しました?」  とことん鈍い陸の攻略に、ぽんちゃんが時間と理性をすり減らすのは、明日からのお話。
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