覇王の横顔

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 夏の終わりのことだった。  ミエザ近郊の港街に、海賊の一団が現れた。これを耳にするや、ヘファイスティオンは勇んで物見に乗りこんだ。  悪童ヘファイスティオンも、所詮は貴族の御曹司である。恐れを知らない少年は地元の漁民たちにまじって、ならず者の一団に野次を投げつけていた。ヘファイスティオンの立派な体格も災いした。それぞれ得物を手に、襲いかかかってきた海賊の手に捕らわれてしまう。名前を聞きだして、少年が貴族だとわかると、身代金を要求してきたのだ。  ミエザの学園でこれを知った師アリストテレスは、天を仰いで嘆いた。  学問に生涯を捧げてきたアリストテレスは、いわれのない暴力をなによりも忌み嫌う。民の統治や領地の安寧のための武力は認めていても、海賊のような暴徒を憎み、望んで災いに巻きこまれたヘファイスティオンの軽挙妄動を暗愚の極みだとして、口をきわめて蔑んだ。 「参ったな」  ヘファイスティオン不在の中、いつもの面々は互いに顔を見合わせて嘆息するしかなかった。 「アリストテレス先生は王宮へ、身代金を払うように連絡したらしい。金さえ支払われたなら、あいつも解放されるだろう」 「だといいんだけど。相手は海賊でしょう? 本当に約束を守るのかな」 「身代金だけ手にして、ずらかるっていうのか? そんなことをすれば、今後、誰も金を払わなくなるぞ。奴らだって商売あがったりは困るだろう」  リュシマコスとマルシュアスが声をひそめて言い合う中、アレクサンドロスはすっくと立ち上がった。 「どうして、海賊などという奴らに、金を払わなければならないんだ?」 「それは、金で命を(あがな)うためだろう。野蛮で獰猛な奴らだ。金のためなら、どんな手段を取ってでも脅してくる」 「だから、それは何故だと言っているんだ。王は不法行為を認めていない。この国で、王の意にそぐわない不当な暴力が振るわれているのを、見過ごしてしまっていいのか」 「よくはない。だが、いま大切なのはヘファイスティオンの身の安全だろう。ここで金を出し渋れば、どこぞの遠い国に奴隷として売り払われてしまうぞ」 「わかっている!」  アレクサンドロスは珍しく声を荒らげた。手の甲に筋が浮くまで拳を固く握り締め、肩を震わせて立ちつくしている。  ヘファイスティオンの無事を誰よりも案じているのはアレクサンドロスだった。  皮肉屋で淋しがり屋で、醒めているように見えて、度を越した熱血漢。誰よりも王子の側にいた。王子がつぶやく夢物語を、うっとりと聞いていた美貌の少年。  ヘファイスティオンは手の届かない場所には置いておけない。  アレクサンドロスとは傾向の違う、退廃的な美少年は、身も心も踏みにじられてしまう。  私はその可能性に思い至って慄然とした。一刻も早く、彼を助け出さなければ。ヘファイスティオンが損なわてしまえば、アレクサンドロスもまた変わってしまうと思えた。  とはいえ、アレクサンドロスを損なうわけにもいかないのだ。 「いや、早まった真似をしてはいけない。王子には立場がある。ここは王宮の返事を待って、身代金と交換するべきだろう」  私の返答を聞いて、アレクサンドロスはきつく唇を噛んだ。 「プトレマイオスなら、わかってくれると思っていた」 「駄目だ。早まるな。わかっているだろう。おまえのその肩には、どれだけの民の重みがのしかかることになるか……」  みなまで言う前に、アレクサンドロスは駆けだした。厩舎へ向かっているのを悟って、声を張りあげて制止したが無駄だった。 「待て! おい、待ってくれ!」  私も馬に跨って懸命にあとを追いかけたが、見る見るうちに距離が広がった。アレクサンドロスの乗馬の腕にかなうはずもない。なにしろ、王は王子にねだられて国一番の名馬を与えるのだ。下々が止めるのを振り切って、飛び出してしまう王子を止められる者などない。
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