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笑った顔
「なあ、あいつの笑った顔、見たことある?」
俺の机に肘をついてサンドイッチを食べていた友人、佐藤が教室の端を指差し、声を潜めて言う。
俺の席は窓際で、太陽の光があたりやすくいつもぽかぽか暖かい。加えて昨日は夜遅くまでスマホゲームに没頭していたせいもあり、俺は昼の少し長い休み時間も半分夢の中にいた。
「え?ごめん今意識飛んでて聞いてなかったわ、誰がなんだって?」
「は~?お前それ今日何度めだよ!人の話はちゃんと聞かないといけないって先生に教わりませんでしたか~?江本く~ん??」
「はいはい、ごめんって!」
俺は、佐藤が頭に食らわしてくるチョップを避けながら謝った。
「だーかーら、あいつだよあいつ。ほら、今一人で本読んでる‥」
佐藤は先程よりも少し大きめな声で言いながら廊下側の一番後ろの席を指差した。
そこには、昼飯をもう食べ終わったのか、それともそもそも少食で昼飯を食べないのかは分からないが、弁当も出さず分厚い参考書みたいな本を読んでいる男の姿があった。
名前は、瀬戸俊。
ちなみにこの男、瀬戸がどんな見た目をしているかと言うと‥艶のある黒髪に少し長めの前髪、スッと通った鼻筋に薄い唇、花瓶のように白くて綺麗な肌、スタイルの良い長い手足‥。この説明が何を示しているのか、それはつまり誰がどうみたってこいつがイケメンということだ。
「あー瀬戸のこと?あいつがなんだって?」
「おい、あんまり大きい声で名前言うなよ、聞こえるだろ!‥あいつの笑った顔みたことあるかって聞いたんだよ。」
「笑った‥顔?いや、ないな。」
俺は即答した。
そもそも人が笑っている顔なんて意識して見たことはない。しかし、正直瀬戸の笑った顔を見たことがないということだけは考えなくても分かる。
なぜなら俺は、瀬戸の笑った顔はおろか、眉を潜めたり、口角を上げたり、目を細めたりなんていう人が無意識のうちにしているほんの些細な表情の変化だって、こいつがしているのを見たことがない。
そして瀬戸の表情の変化を見たことがないのは、俺だけではなく、きっとこのクラスの生徒全員だろう。
そう、瀬戸の欠点はそこなのだ。
無表情。
俺が今まで生きてきた17年間の人生の中で様々な人間に出会ってきたが、ここまで無表情を貫く人間はいなかった。
瀬戸はイケメンだが、決してモテてはいない。その理由はこの無表情にある。
元から物静かな奴で、俺もまともに話したことはないが、それでももし瀬戸が日常的にニコニコ笑っていれば、教室の前の廊下は瀬戸と仲良くなりたいという女子でいっぱいになるだろうし、毎日放課後呼び出されて告白されるだろうし、バレンタインでは机の中やロッカー下駄箱がチョコまみれになるだろう。
しかし実際の瀬戸は笑わない。はじめはキャーキャー言っていた女子たちも、友達になろうと集まってきた男たちも、お面でも張り付けたように全く表情を変えず、光のないあの暗い目で見つめられれば、皆去っていく。
今や瀬戸はクラスでは孤立して浮いている状態だ。近寄り難い雰囲気がプンプンしているせいで、もう新学期から半年過ぎた秋だというのに友達もいないらしい。
まあ自業自得といえばそうなのかもしれないが。
「だろ?お前も見たことないよな?なあ、‥見てみたいって思わねぇ?」
佐藤が身を乗り出して悪戯っぽく笑いながら言った。この佐藤の子供みたいな笑顔にはもう何度も振り回されてきた。
俺は思わず、はぁ、とため息をつく。
「あのなあ、お前またなんか企んでるんだろ?思い出してみろ。お前先週は隣のクラスの男子が少し可愛い顔してるからって女装姿が見たいとか言って、ジャンケンで負けてお前の代わりに俺がそいつに着てくださいってメイド服持っていったら顔面パンチされたの忘れたのか?その前はメガネ女子のメガネをとった姿が見たいとかいって、俺がジャンケン負けて後輩のメガネかけてる女の子のメガネとろうとしたら泣かれちゃったし。そんでその前も俺がジャンケンで負けて‥」
「ていうか江本お前ジャンケン弱すぎでしょ。それに江本って頼めばなんだかんだやってくれるよね」
「うるっせえ!ちょっとは反省しろよな!?」
まあまあ怒るなよ~と佐藤はヘラヘラ笑った。
佐藤のお遊びに付き合わされているせいでこちとら顔面パンチされて顔がタコみたいに腫れたし、女子を泣かせたとか変な噂流されたしさんざんな目に遭ったのだ。さすがに今回は断ろうと思ったが、しかし‥。
「でもまあ、たしかにあいつの笑った顔気にならないっていえば嘘になるけど‥」
「だろだろ!?今まで一度も見たことないんだぜ?!笑った顔はブスとかだったら超うけるんだけど!」
俺が少し食いついたとばかりに佐藤は声を張り上げ俺の肩をぐらぐらと揺らす。
「だからって協力するとは言ってねーからな?俺お前に協力して良かった経験ねえから。毎回何かしらの被害にあってるし」
俺は佐藤の手を振りほどき、呆れた顔をして見せた。えーまじかよ~と佐藤はガッカリしたようにうなだれた。
午後の授業始まりのチャイムが鳴り、佐藤含めクラスのみんなは自分の席についた。
うるさい佐藤がいなくなり、静かな空間になったせいで、俺はまた段々と夢の世界に体が吸い込まれていった。
今日は一段と天気がよくて背中に日が当たって気持ちがよく、弁当を食べて腹も満たされた。黒板のチョークの音も先生の声も今の俺にとってな睡眠用bgmにしかならない。
先生の教科書を読む声を聞きながら本格的に眠りそうになっていたとき、
「そういえば後期の文化祭実行委員は瀬戸と江本だよな?」
という声で一気に眠気が覚めた。
え?
今俺の名前呼んだよな?それに‥瀬戸って言った?
「え、な、なんのことですか?」
俺がしょぼしょぼする目を擦りながら言うと、クラス中にドッと笑いが沸き起こる。
「まったく、今日の二時間目言っただろ?また寝てたのかお前。後期で委員会に属してないのは瀬戸と江本、お前たちだけだ。だから強制的に誰も手をあげなかった文化祭実行委員になるって言ったろ。」
え、俺そんなこと言われた記憶ないんですけど。まあおそらく寝てたんだろうけど。
文化祭実行委員はほとんどの人がやりたがらない。なぜなら、とにかくめんどくさい仕事だから。
みんなをまとめないといけないし、残ってやらなくてはいけない仕事も多い。
今更変えられないだろうしやるしかないのか。でも、瀬戸と一緒とか、話したこともほとんどないし、正直不安でしかねえよ‥。
こっちをみてニヤニヤしている佐藤に無性に腹が立つ。
「で、実行委員は今日の放課後残って文化祭の打ち合わせだ。生物室に集合だそうだぞ。遅れるなよ、特に江本」
「うっ‥、はい。」
少しくらい遅れてもいいか、むしろ今日くらいはサボっても次の集まりで参加すれば大丈夫とか考えていたが、バレた。これはもう逃げられないようだ。
「瀬戸もいきなりで悪いが、頼むぞ。江本をちゃんと連れてってくれよな」
「‥はい」
瀬戸が控えめに返事をする。もしかしたら今日学校ではじめて聞いた瀬戸の声かもしれない。
ちらりと瀬戸を見てみたが、瀬戸はいつもの通り無表情のまま、先生の方を見つめていた。
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