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旅人は夜を歩く。北のひとつ星を目印に夜を歩く。
旅人は夜にだけ歩く。次の目的地まで夜にだけ歩く。
旅人は小さな民家に着いた。民家の戸を叩き、出てきた老人に尋ねた。
「この辺りで一番美しいものは何ですか?」
「そんなの、俺の女房に決まってるだろ。おーい。」
主人は家の奥に呼びかけた。奥から品の良さそうな老婆が顔を真っ赤にしながら出てきた。年老いてはいるが顔立ちは整っている。若い頃はとても美しかったのだろう。恥ずかしそうにする老婆と自慢げな老人をしばらく眺めたあと、旅人はお礼を言って民家をあとにした。
しばらく歩くと丁度良さそうな大きな木があった。その根元に腰を下ろす。いつものスケッチブックを開き、さっき感じた美しさを詩として記した。
確かに老婆は美しかった。しかしそれ以上に、あの歳になっても互いを愛し続けることができるその愛情が美しく、そして羨ましかった。旅人は下手くそな字で情熱的にそれを記すと、満足そうに立ち上がった。
旅人は夜を歩く。北のひとつ星を目印に夜を歩く。
旅人は夜にだけ歩く。次の目的地まで夜にだけ歩く。
旅人は数えきれない場所に着いた。そして、その場にいた多くの人に声をかけた。
「この辺りで一番美しいものは何ですか?」
旅人の鞄の中には、スケッチブックの中には、だんだんと美しいもので溢れていった。
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