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 授業も終了近くなった。  生徒達がラケットを体育倉庫にしまい、ホイッスルを鳴らす先生の周りに集まっていくのが見えたので、陰山もグラウンドに向かおうと立ち上がったときだった。 「陰山、お前今日も見学かぁ!」  頭上から聞き覚えのある明るい声がした。  上を仰ぎ見れば、体育館の二階の窓からひょこっと飛び出た男の顔。その顔には見覚えがある。いや、毎日こうも話しかけられれば嫌でも脳が記憶する。 「今下に降りるから、そこで待ってろよ!」  窓から顔を覗かせた男の表情は逆行のせいでよく見えないが、声だけは無駄にデカイためよく聞こえる。  そう大声で叫んだと思えば、男はすぐに窓から顔を引っ込めた。おそらく今あの筋肉質の足で体育館の中の階段を駆け下りているところだろう。  この男がめんどくさい奴だ、ということを陰山はすでに十分分かっていた。  陰山は男が体育館の出口から駆け寄ってくるよりも先に、踵を踏みつけていた靴を履き直し、皆が集まるグラウンドの中心に足早に向かった。 「で、来週は今日組分けたグループ同士2対2で試合を‥‥お、陰山、具合は大丈夫か?」    体育担当である増渕先生を囲むようにして半円を作り、授業のまとめを聞く生徒達の後ろに、陰山はそっと静かに加わった。その陰山に気がついた増渕は、柔らかいトーンで声をかける。  いきなり名前を呼ばれたことに驚き、陰山は体を軽く跳び跳ねさせた。  前で先生の話を聞いていた生徒達が皆振り向き、陰山を見つめている。少し離れた場所で女子二人がクスクスと笑っているのが見えて、陰山はなんだかとてつもなく恥ずかしい気持ちになった。心臓の鼓動がどんどん早くなって、背中に冷たい汗が滲むのを感じた。   「は、はい、もう大丈夫‥です」  陰山はうつむき気味に小さな声で答えた。   「ん?本当か?まだ顔色悪いぞ」 「あ、いや、だいじょぶ、です‥」 「そうか、よかった。えーと、どこまで話したかな、そうだ来週は‥」  増渕は手に持っていたボードに目線を移すと、すぐに先ほどの話に戻った。生徒達の注目もすぐに先生へと戻ったが、近くにいた男子たちの「あっいやっだいじょぶでぇす、だって」「根暗きっも」とゲラゲラ笑う声が聞こえて、陰山は死にたい気持ちになった。そして同時にこいつらこそ悪霊に取り憑かれてしまえばいいのに、とも思った。  そのとき、陰山の後ろから連続で砂を強く蹴る音が聞こえてきた。と思えば、陰山より頭一つ分背の高い体格の良い男が、スザザザザという音と砂ぼこりと共に、陰山の隣にスライディングをした。  走ってきたせいか、ハァッハァッという軽い呼吸が聞こえてくる。  顔を見ると案の定、健康的に焼けた肌の男が、どこかの歯磨きのCMのモデルのように白い歯を見せて無邪気に笑っている。  やはりあの男だった。   「待ってろって言ったのに、置いてくなんてひどいぞ陰山~このやろお~!」  男は大きな声でそう言いながら陰山の肩に腕を回すと、その汗ばんだ男らしい手で陰山の黒い髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。  またみんなの注目が陰山とこの男に集まる。  ああ、最悪だ‥。  陰山は絶望を感じて、俯いたまま、心の中で力なく呟いた。  周りの目を見るのが怖くて、顔を上げられない。    「おい光、お前が吹っ飛ばしたテニスボールは見つかったのか?」    増渕が呆れたように笑いながら言うと、光と呼ばれた男は陰山の肩に腕を回したまま、あっと声を上げた。そしてジャージズボンの左ポケットから黄色いテニスボールを取り出すと、高く掲げて見せた。 「ちょうど体育館の二階の窓に入ったので、取ってきました!」 「なんだそれ奇跡かよ、あんな遠くから飛ばしたのに?」 「やっぱお前、腕の力ゴリラ並みじゃんかよー!すげぇ!」  誰かがはやし立てるようにそう言うと周りにドッと笑いが起こった。  いやほんとただの偶然なんだって!と、陰山の隣で男は眉を下げ少し困ったように笑う。  それが男の癖であることを陰山は知っていた。 「まあ見つかったならいい、とにかくボールは体育館倉庫に戻しておけよ、あ、来週は吹っ飛ばすんじゃないぞ?」   「次は学校の二階の窓狙います!」 「こらっ!やめとけ!俺が校長に怒られる!」 「冗談ですよ先生~」  先生も含めた生徒達の間に、また大きな笑いが沸き起こる。  男も笑いながら、自分の隣にいる顔色の悪い男の顔を、ちらりと覗き込んだ。  陰山は表情を変えず、目も合わさないまま、男の腕を振り払った。
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