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4日前の日曜日。
新しく購入したTシャツやタオルが入ったリュックを背負い、陰山は電車の中で揺られていた。
満員とまではいかないが、人がそこそこ多い電車内は、沈みかけている夕日の温かいオレンジ色に染まっている。ガタンガタンという同じリズムを刻みながら揺られている人たちは、眠ったり音楽を聞いたりスマホをいじったりとそれぞれのんびりと過ごしていたが、陰山だけは油断すると出てしまいそうになる嗚咽にただただ歯をくいしばっていた。
ああ、少し調子がよかったからって、外出なんかするんじゃなかった、くそっ!くそっ!
陰山は心の中でそう叫び、拳を固く握りしめ、過ぎていく窓の外の街並みを眺めてどうにか意識を逸らそうと努力した。
陰山は最近、本当に調子が良かった。調子が良いというのは、運が良いとか体調が良いとか、まあそういうことにも結局繋がるが、悪霊たちに取り憑かれることが減ってきていたのだ。だから以前より少しばかり顔色も良くなって、体も軽いし、歩いているだけで車が突進してくるなんていう不運もなかった。
だから久しぶりに、寮から出て隣町まで外出してみようかなんて思ってしまったのが大きな間違いだった。最近ヨレヨレになってきていたTシャツやいつの間にか消えていた靴下でも新しく買おうと、隣町のショッピングモールへ向かった。
そこまではよかった。
ショッピングモールでTシャツと靴下を買って、ファーストフード店でSNSを見ながら一人で食事をし、帰りの電車に乗って二駅ほど過ぎた。そのときだった。
いきなり背中に今までに感じたことのないほどの重みを感じた。息がつまるようなズッシリとした重み、そして実際に半透明の青白い女の手が陰山の首を絞めてきて、息が詰まった。この感じ、確実に悪霊だ。
思わずゲホゲホと激しく咳き込むと、近くに立っていたOLらしき女に顔をしかめられた。
かろうじて呼吸はできるものの、悪霊はどんどん重みを増していき、ひどい頭痛と腹痛、それから強い嘔吐感にまで襲われた。
陰山は、ヒューヒューと口で息をしながら、冷や汗の止まらない自分の体を抱えて、ひたすらに学校近くの駅に電車が着くのを待った。
しかしこういうときに限って時間は長く感じるもので、いくら走っても最寄り駅には着かない。陰山は自分の顔から段々と血の気が引いていくのを感じた。
こんな状態で立っているのは辛い。しかしなかなかの混み具合で、空いている席は見当たらない。
具合悪そうだなって、見れば分かるだろ、席変われよ!
と、目の前の座席に座り楽しげに話している男子中学生たちを睨み付けたが、下ネタトークに盛り上がっていて、一向に席を譲る気配はない。
そのときだった。
「あれ、陰山?」
背後から声がし、驚いて振り向くと、そこにはキャップを被った私服姿の朝比奈が、驚いた顔をして立っていた。どうやらたまたま同じ電車に乗り合わせたようだ、気がつかなかった。
陰山が朝比奈と知り合ったのは、二年生に進級して、同じクラスになってからである。
陰山は一年の頃から朝比奈の存在は知ってはいたが、関わったことは一切無かった。
二年生になって朝比奈と同じクラスメイトとして数ヶ月過ごした中で、一つ分かったことがある。それは、朝比奈という男は、驚くほどフレンドリーだということだ。
クラスが変わった初日に陰山含めクラスの全員とLINEを交換し、一人でいることの多い陰山にも積極的に話しかけてきて、ニコニコ笑いながら肩を組んでくるし、陰山が一人で昼食を食べていると、隣に座って弁当を食べ始めたりする。
正直、陰山はそんな朝比奈が苦手だった。
朝比奈はクラスの人気者。そして自分は嫌われ者。人気者と嫌われ者が話しているのを見て、「わぁ仲良しだね!」なんて思う奴がどこにいる。
大抵の人間は、「あんな嫌われ者とも仲良くしてあげるなんて、朝比奈くん優しいなあ」「陰山ももう少し愛想よくするべきだよね、せっかく朝比奈くんかが話しかけてあげてるんだから」という反応だろう。
なぜ自分はただ日常を送っているだけなのに、朝比奈の株を上げるダシにされそんな嫌味を言われなくてはいけないのか。
そもそも、そんな反応が返ってくるのは考えなくても分かることなんだから、いちいち話しかけないでほしい、と陰山が距離をとろうとしても、陰山がひとりぼっちなことに同情しているのか、朝比奈はグイグイとその距離を縮めてくる。
優しさでやっているのだとしたら、陰山にとってはとにかくありがた迷惑でしかないのだ。
だから陰山は普段からあまり朝比奈と関わらないように心がけていた。
「偶然だなあ!買い物でもしてきたのか?」
朝比奈は嬉しそうに笑って陰山に話しかけてくる。
しかし今の陰山には言葉にして答える余裕はない。こくん、と肯定の意味を込めて頷くことしかできない。
「そっかあ、お前も土日出掛けたりするんだなあ!俺も買い物。俺の寮の部屋三人部屋なんだけど、とにかく散らかっててさ。俺は片付けてるんだけど、他の二人がとにかく出したものしまわないんだよなあ、だからすぐ色々物無くなっちゃうからさ、買ってきた」
ハハハと朝比奈は笑って、持っていた鞄の中に手を入れると、袋に入った新品シャーペンを取り出して見せた。
分かった、言いたいことはそれだけならもうほっといてくれ、俺は今お前とのんきに話ができる状況じゃねーんだよ、
陰山は心の中で朝比奈に向かってそう叫んだ。場所を移動しようと、辺りを見回したとき、
「おい、陰山お前、‥体調悪いのか?」
朝比奈がそう言いながら、陰山の腕を掴んだ。思ったよりもその力が強いことに驚き、陰山は思わず自分の腕を掴んでいる朝比奈の手を振り払った。
「あ、ご、ごめん。痛かったか?」
朝比奈が申し訳無さそうに謝ってくる。
もうどうでもいいから話しかけないでくれよ、俺は今自分のことで精一杯なんだよ、
「大丈夫か?いつもより顔真っ青だし、息も苦しそうだし‥。電車酔いしたんじゃないのか?」
大丈夫なわけねーだろ!
お前のデカイ声が頭に響いて悪化してるんだよ!
「とにかく、一回降りた方がいい。水でも飲んで休んだ方が‥」
そのとき、陰山の視界がグラリと揺れた。
喉にあった白い女の手がギュウッと一層強く喉を締め付けてきて、呼吸ができない。
目の表面が乾いて、頭の後ろが殴られたように痛い。
「う、‥あぐ‥っ」
陰山は今まで真っ青だった顔を今度は真っ赤にして、空気を求めて口をパクパクと動かした。ガクンと体制を崩し、倒れそうになる陰山を朝比奈が抱き止める。
「お、おい陰山!!?大丈夫か!」
陰山は朝比奈のTシャツを掴み、無意識のうちに朝比奈に体をもたれた。朝比奈が、苦しそうに顔を歪める陰山の背中をさする。
苦しい、し、死ぬ‥!
なんだどうしたと陰山の異変に気がつき、電車内がざわめき始めた。
「陰山、とりあえず一旦次の駅で降りよう、な?」
朝比奈は陰山の背中を撫でながら、自分の腕の中で震える陰山に優しく囁いた。
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