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夕方、仕事帰りにも駅前で署名活動をしたが、立ち止まる人は少ない。
諦め顔で、花立タワーに寄る。守衛達に署名を求めたが、困惑顔をしていた。
「三州鉄道さんが、花立駅の建て替え工事中、駐車場の管理人として、守衛全員を雇用してくれることになったんです」
「そうだったんですか」
龍は、がくりと肩を落す。
新築する花立駅の工事が始まれば、工事車両の出入りも激しくなり、交通事故防止のために駐車場管理人が、多数必要になるのだろう。
龍も、花立タワーを守ってくれた、守衛達の生活を考えれば、もう、口を開けなかった。
しかし諦め切れない。その足で、軽ワゴン車に乗り、直接市役所に向う。
業務終了時間近くに、カウンターで対応した若い市役所の職員に質問する。
「どうして市は、タワーと土地を三州鉄道に売るのですか?」
「市長が決めたからです」
きっぱり、言い切られた。
「反対署名を集めて渡しに来ました。市長を呼んでください」
龍も市長選挙では、現市長に投票していた。かかりつけのクリニックに、現市長のポスターが貼ってあったからだ。うっかり投票してしまった、後悔の念で、下唇を噛む。
中年の温和そうな男性が、並ぶデスクの間を通り抜けながら、カウンターまできた。若い職員と対応を交代する。
「応接室でお話をお伺いします」
廊下を歩きながら話せば、男性は市民課長だった。質素な応接室に案内される。龍は頭を下げながら、両手で署名を差し出す。
市民課長も真面目な表情で、丁重に受け取る。二人は向かい合わせで席に腰を下ろす。龍の熱弁に、課長は一時間以上聞き入っていた。
「課長さん、私が直接市長と話し合いたいのです」
「小野寺さんから承ったご意見は、私から責任を持って市長にお伝えます。また、署名は市長に必ずお渡しします」
スマホで、受け取ったメールを見せた。
総務課・市長室の責任者を連れてこい。龍の言葉が、喉で押し止めれたのは、一重に市民課長の誠実な対応にあった。
「課長さん、どうか、どうか、市長さんにお伝えください」
龍は腰を上げ、ローテーブルに両手を突きながら白髪混じりの頭を下げる。
五万人の市民で一人の意見を、課長が市長にわざわざ上申するのだろうか。集めた署名は、息子夫婦と孫の朱里、定年退職した工務店の後輩員数人、エアコン取り付け工事をしている同業者の数人たち。高校前や街頭では、署名したのは数人だ。龍も言い分を話せて、冷静さを取り戻していた。
約二十名分の署名を、市民課長は大事そうに封筒に入れながら、抱えていた。龍はもし自分が、市議会議員選挙や、市長選挙に出馬したらを想像する。
選挙権のない十八歳未満の高校生を除けば、人口約五万人の花立市で、得票数は、二十票を越えるかをだ。
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