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遠く未来の二百年後
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西暦222×年。××元年十月一日。龍が、『セレクショングッド』で予約して公開を選択してから、二百年が経過した。
ブログサイト、『セレクショングッド』の運営会社は、ブログサービスを継続していた。
『セレクショングット』を管理するAIが“杏仁五聖”のブログを公開する。
偶然、ブログを見たなかに、東都大学教授がいた。二百年前の日本国内の街並みを写した貴重な写真の可能性に気づく。
東都大学で杏仁五聖ブログ研究チームが結成される。
東都大学のAIにより、令和×年十月一日に、花立タワーから撮影された写真と断定される。
AIが被写体として笑顔で撮影されている、女性の特定作業にも着手した。重要な手がかりは、ポロシャツの文字だ。東都大学のAIが“花立学園高校”の生徒“小野寺”生徒と推定する。
花立学園高校は、二百年以上の伝統を誇る名門校だ。東都大の研究チームは花立学園高校の図書室から、令和時代の卒業アルバムを借りる。大学に持ち帰り、AIに調べさせた。
東都大のAIは、令和×年の卒業アルバムで、小野寺朱里の写真を見つけた。またAIによる、顔写真の判定結果は“杏仁五聖”の被写体と同一人物と断定した。
さらに、卒業アルバムに掲載された多数の学校行事の写真からも、小野寺朱里を見つけた。ポロシャツも細かく調べつくす。卒業アルバムに掲載されている多数の生徒の写真も同じデザインのポロシャツであった。令和×年当時、花立学園高校の学校指定服とAIが断定した。
小野寺朱里、本人にについても、AIの調査が進む。
当時の花立タワーや花立駅の設計図もとにして、撮影者の背丈も計算された。AIは撮影者と、卒業アルバムに全身が写っている小野寺朱里の推定身長は±3センチ以内と、判断した。
歴史関係の学会において、東都大学教授本人が演壇で発表した。三州《さんしゅう)鉄道に残っていた、龍や花立タワーの守衛だった人々が写っている集合写真も論文に掲載された。
集合写真には“当時は工事に多くの人員が必要だった”と、一文が記されていた。
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日本史の教科書に、令和×年当時の花立タワーから写した街並みの写真が掲載されることになった。写真の説明文には、『撮影者“杏仁五聖”(小野寺朱里と推定)』と記される。
朱里については、“21世紀、令和時代の写真家・教育者。花立学園高等学校・第十代校長。女性初の同校校長。花立タワー屋上から多数の風景写真を残した。主な著書・『初の女性校長として。生徒に分かりやすいジェンダー論(花立学園高等学校、新聞部、責任編集)』”と掲載だ。
朱里の笑顔は、二百年後の遠く未来で、広く知られた。
(完)
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